令和3年3月15日人生の処方箋
[愛情の双手を使いこなすこと]
人間は努力の積み重ねで、この世界のさまざな障害を乗り越えてきました。多くの人を失いながら、悲しみに耐えてきました。そこから見えることは、御神尊様が『天地を拝んで道を知る』といわれたことばです。
天地を親祖(みおや)といわれる、つまり主役は人間ではなく、天地であり大自然であるということです。そこに生きて生かされていることは、何かの使命、天命を感じるからこそ生きられるものです。だから傲慢さを鼻にかけ、人の世話にはならないなどということはいえません。
夫婦、親子、そして隣人、職場。その時々に憎みあい、咎めあったとしても、何事か身辺をおびやかす出来事があれば『愛の霊性を発露するのが私たち人間』です。
時に『手で叩く、口でたたく、根性で叩く』としても、これに対して『人間は叩けば、撫でさする。泣けばいたわり。優しいことばをかける』ものでもあります。
私たちは天地の狭間にいて『愛情の生活』しかありません。『激しく対立すれば』かたや『慰めいたわるこれを愛情の双手』といいます。『片手は不幸の始まり、右手があれば、左手もある』右手で叩くならば、左手はどうしていたんでしようか?左手も動かしてください。 やります
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