日曜日に筋蒔きを行ったが、この陽気で芽が土を盛り上げ少しづつ頭を出し始めてきた。
本田でも田植えの準備が始まった。 苗が元気に活着(根付くこと)するように土に栄養を与えなければならない。
つまり田植え前の田んぼに、肥料を散布するのである。 これを元肥散布とゆう。
今日は天候にも恵まれ、絶好のコンディションで作業が行えた。
最も写真でご覧の通り、トラクターに200㌔位の肥料を積み込み、田んぼを回るだけなのである。
しかし、これが技術を要するのである。
昔は、と言っても3~4年前までは人が20㌔の肥料を担いで散布していたのだが機械技術の進歩で楽になったものである。
この作業が終わると、春耕、代掻き作業が待っている。
一ヶ月後には、田面一杯に張られた水の中で早苗が風に揺られていることであろう。
作業をやっている時は何とも思わないが、夜ひとりになると、季節の移ろう速さを痛切に感じる。
春耕を待ちわびるかのように、乾いた田んぼが夕日に照らされている。
若者にとって農業は仕事として何の魅力もないようだ。 この不景気の世の中でも、『俺、百姓やって食っていくよ』 なんてゆう声は私の周りでは皆無である。
他の生産者農家も同様だと思うのだが、米に関しても全く先が見えない。
農家の長男はたまに手伝いはするものの、全く別の仕事を選び、田んぼなど見向きもしない現状である。
最も二足のわらじを履けるような生易しい職場がある訳がない。 彼らとしても仕方がない選択なのだろう。
国は集落営農を勧めて(進めて)、農地を集約すれば補助金を出しましょうと盛んに農協を通じて訴え掛けてきている。
しかしそのとりまとめをするリーダーがいない現実がそこにある。 現況、各農家は農業収入より高い賃金を得て、その収入で農業経営をなんとか回しているのだから、力が入らないのは当たり前である。
この先どうなるかは分からないが、自分でやれるうちはやっていこうと思う。
何れ、私の農業人生の終わりは必ず来るとは思うが、今出来ることを精一杯やるのみである。
必殺百姓人生の衣装はオレンジかグリーンのつなぎであります。 ズボンとジャンパーが一体化しているので面倒くさくなくていい。
それに格好いい。
広い田んぼで作業をしていても、ゴンゾロン(屋号が権三と言います ろんとは、この辺の言葉でさんの意味であります)のしゅうとゆうことが一目でわかるのもいい。
しかし、田んぼを上がれば別仕事、金をかけずにおしゃれするがモットーのしゅうであります。
そして、定額給付金で購入したのがストライプ・ボタンダウンシャツとドットのタイであります。
シャツは綿50%ポリエステル50%、タイはシルク100%であります。
合わせて、1800円也。
モノトーンで決めてみました。
いくら安くても新しいものを身につけるのは気持ちのいいもの。
1800円に見えないように着こなすのもセンスのうちであります。
しかし、アタシにはあまりセンスがない。
自己満足で春爛漫の気分であります。