1枚の、古いLPレコードがある。
これはアタシが21歳の時、レコードショップのおねえさんに『このアルバムいいよ!』って勧められて買ったものだ。
もちろん、そのおねえさんが美人だったことはゆうまでもない。
当時、西島三重子さん、正直言って知らなかった。
21歳のアタシは、どうゆうわけか演歌ばかり聴いていたのだった。
しかし、聴いてみると全部いい。歌詞がすんなり身体に入り込んでくるのだ。
特に、『池上線』のメロディーが哀愁を帯び、男女の別れの情景をまざまざと描きだしている。
それからまもなく、『池上線』が話題になりシングルカットされ大ヒットとなった。
今日の記事、発端は昨日の朝日新聞第二紙面に掲載されていた『歌の旅人』とゆうシリーズに取り上げられていたのである。
『池上線』の歌詞は実話だったとゆう。歌詞の駅は池上駅。
作詞者は佐藤順英さん(55)。今もベンチャー企業経営の傍ら、作詞家でもある。
この曲は、彼女に自分の思いを伝えたくて作詞したものだ。 そして当時、国連職員を目指していた夢を捨て、音楽で生きていこうと決心させた曲でもあるとゆう。
ヒット後彼女に会い、レコードを渡そうとすると『持っている。』と言い、もうすぐ社内結婚するとゆうことを聞いた。それが最後だったとゆう。
さあ、これからが朝日新聞記者の本領発揮である。
この曲のヒロインである女性を探し出し、話を聞いたのだった。これに対し戸惑いあきれながらも、やさしい口調で答えてくれたとゆう。
全く普通に普通に暮らし、二人の子供も社会に出たとゆう。
『あの方、どうしてらっしゃるんでしょうか。ご結婚なさってるんでしょうね?』
佐藤さんは、未だ独身を通しているとゆう。
このアルバム『風車』、1曲だけは西島さんの作詞作曲だが、他11曲は佐藤さんの詞である。
その中で、一番アタシが好きなのはこの曲。
鬼無里の道
昔女に化けし鬼の忘れがたみとつたえきく
ああ紅葉たずねて鬼無里の道
女ごころを君しるや
悪しき女と世に流れ覚えなきともすべもなし
ああ紅葉たずねて鬼無里の道
影に日向に君想ふ
たとえ生涯逢えねどもつのるいとしさ誰に負けん
つひにもらさぬ我が心後の煙に知れようか
老し夫婦の語らひにしばし安らぐ浮世かな
ああ紅葉たずねて鬼無里の道
結びかなはぬわが恋や
今日は、今週、仕事の関係で休みが取れなく、本来なら休むことの出来ない土曜日の休日となった。
田んぼの耕起も終わってしまい、揚水機場のポンプが回り出し、水を曳くまでしばしの休息である。
アタシが生息する見附市のお隣、三条市栄地区。
4・50メートル離れたお隣の家から、この地である。新聞が中越版から下越版、車のナンバーが長岡から新潟に変わるちょうど境界線付近なのだ。
さてさて、本日我が家から車で5分で来てしまう、ここ『しらさぎ森林公園』を歩いてみる。
ふるさと創生1億円を基に、合併前の旧栄町が整備した森林公園。6月に咲き誇る20万本の花菖蒲がうりものである。
花菖蒲にはまだ早いが、いろいろな花や野草が楽しめる。公園を囲む山並は、戦国時代の山城 「矢田城址」で、遊歩道が整備され、新潟平野が一望できる。
お昼時の一時間ほどを、ブラブラしながら山の新鮮な空気を、胸いっぱいに吸い込んだのであった。
あれっ? 今日は、花粉症、大丈夫みたいだ。
薬が効いているのだろうか?薬に頼ってばかりではいけないが、症状が出ないのはすこぶる快適だ。
桜の花吹雪の舞う中、園内ではバーベキューを楽しんでいるグループが何組かあった。
最近、ゆっくり自然を感じることによって、なんか幸せを感じるようになって来たような気がする。
齢のせいかなあ?
幸せとは「瞬間」的なものだ。ほとんど毎日、幸せな瞬間なら、少なくとも一度はある。 メイ・サートン
朝6時、昨日からの雨で弥彦山がくっきり見える。
あいにくの曇り空ではあるが、山の様子が良く分かる。
春耕を終えた田んぼに弥彦山が良く似合う。
きっと今年も豊作であろう。
庭先には、桃の花が満開である。
今日も、仕事でいろいろあった。
その辺のところは喋りたいのでありますが、グチが入りそうなので割愛するとしよう。
ん?、『割愛』 ? 妙な言葉である。今日はいささか疲れてしまって、この言葉、詮索、検索はしない。
近くの鳥専門飲み屋さんの、『若鳥カレー風味半場唐上げ』である。
アタシはこれの大ファンである。
月に二回は食べないと、中毒症状が起きるのだ。 あ、ちとオーバー。
ホントに今日は疲れた。
寝ますわ。
明日は、いい一日でありますように。