面白草紙朝倉薫VS安達龍真

夢と現実のはざまで

幸運メッセンジャー

2005年12月05日 | Weblog
 幸運メッセンジャーという公社に勤めている。仕事の内容は、実に簡単だ。不幸のどん底で喘いでいる人に、やがて幸運が訪れる時期を知らせに行くだけだ。給料も悪くない。只、三度目の結婚にも失敗したばかりの僕には、皮肉な仕事だ。午後に出社すると、机に幸運通知の書類が置かれていた。後輩のKの名が記されている。そういえば、Kはこの二、三年不幸続きだったことを思い出した。友人Wの話しだと、入院中で長くは持たないらしい。そんなKにどんな幸運が訪れるというのだ。僕は、少し憂鬱になった。
 Kの家は郊外にあった。私鉄を乗り継いで、目の前に田園が広がる駅に降りた。木枯らしに出迎えられて、僕はコートの襟を立てた。「せんぱーい!」Kの元気な声がした。真っ赤な電動機付き自転車に跨ったKが手を振っている。入院してるんじゃないのか、と思ったが口には出さなかった。「夏には有り難うございました」人懐っこい笑顔でKは頭を掻いた。そういえば、去年の夏、僕は西瓜を提げてやまあいの病院を見舞ったような気がする。「乗ってください」僕はKに促されて自転車の荷台に跨った。「いきますよ!」Kは自転車を走らせた。風が耳に痛い。僕は左手をKの腰にまわし、右手でコートのポケットにある幸運通知を握り締めた。でこぼこの坂道をKはぐんぐん登った。病人とは思えない力強さだった。良かったなあK,来年の春、君には人生最大の幸運が訪れるんだ。ぼくは涙が止まらなかった。Kの背中に顔を押し当てて、声を殺して泣いた。「せんぱーい歌っていいすか?」Kは自転車を漕ぎながら歌い出した。「忘れられない事の中に、何でもないような事があるう」三十年も昔、一緒に歌った歌だった。
 翌朝、友人Wから電話でKの訃報を知らされた。僕は、右の手の平に、あるはずもない幸運通知の感触を捜した。