面白草紙朝倉薫VS安達龍真

夢と現実のはざまで

ACTシアター「かもめ」観劇

2008年06月21日 | Weblog
 昨日初日を迎えた赤坂ACTシアターでチェーホフの「かもめ」を観劇した。十数年前、不謹慎にもコメディの劇中劇にパロディで使用したこともあり、後ろめたく懐かしい。藤原竜也のトレープレフに鹿賀丈史のトリゴーネンは是非観てみたいと思ったが、オールキャストとの前宣伝に、微かな不安は禁じえなかった。

 藤原竜也は素敵だ。足のつま先から髪の毛の一本まで、演劇が満ち充ちている。鹿賀丈史も職業俳優だ(ギャラ分の芝居は見せる。松田優作を唸らせた往年の芝居は何処かに預けているのだろうが)。しかし、オールキャストの面々を生かさねばならない商業演劇の演出家は地獄だろうと同情した。演技の前に発声練習が必要なニーナ、常にセンター芝居で歌う宝塚スター、「我々は伝統ある日本の新劇俳優である」とばかりに、50年前に習った新劇芝居で藤原竜也を困らせる新劇界の大御所たち。彼らを相手に、藤原竜也はコースチャーでなくとも死にたくなるだろう。90分の芝居くらい藤原竜也は一息に演りたかったに違いない。そうすれば、彼は十倍も輝いて、ニーナがどんな素人だろうと、観客の感涙をものにしていたはずだ。

 僕はけっして、塩山嬢や僕の劇団の女優が上手いと言っているのではない。手前のことは棚にあげなければ、他人の芝居の感想など書けない。まだ耳に残る。トレープレフ(藤原竜也)が内臓を抉られるような声で「君の歩いた地面に接吻までした」という告白に、「私の歩いた地面に接吻したなんて…私なんか殺されても文句はないのに」と返すニーナの台詞の生ぬるさ。灰皿をぶつけられて芝居を鍛えた藤原竜也は、ハムレットと並ぶ西洋の看板芝居を見事に耐えぬいていた。そのことだけでも、賞賛に値する俳優であることを、この目で確認出来て幸せな観劇であった。それにしても、今年は鹿賀丈史ばっかり観ているような気がする。楽な芝居ばっかり演っていてもファンがはなれないなんて、なんて幸運な俳優だ。

最新の画像もっと見る