面白草紙朝倉薫VS安達龍真

夢と現実のはざまで

巷の雨に濡れながら

2008年06月03日 | Weblog
 疼く頭蓋骨をなだめながら1日物書きをして過ごそうと思って珈琲を淹れていたら、マネージャーのKくんから電話。中新のパスタ屋で待ち合わせてブランチを摂った。30年を越える付き合いのKくんも田舎に86歳のご母堂がご健在だ。最近、「私が死んでから来るのだったら、暫くでも一緒に暮らさないか」と誘われたらしい。それも良き選択かも知れない、と僕も賛成した。勿論、彼がこの業界で遣り残したことは多々あるだろう。が、人間にも潮時がある。このところ、僕の周囲の芸能界に活気がない。春夏秋冬、季節があるように、華やぐ夏もあればコートの襟立てる冬もある。抗っても詮無いことだ。梅雨入りには早い雨に濡れながらひとり坂道を登れば、僕の体内で続く地震の余波が、不気味に皮膚まで伝わってくる。

 ヒリヒリする人生を駈けて来た。8月2日で60年だ。老いぼれたとはさらさら思っていないが、他人から見ればドンキホーテであろうことは自覚している。なおも生きろというのであれば、身体中にダイナマイトを括りつけて、片っ端から言葉の弾丸をお見舞いしてやろう。安らごうなどと思ったことが、そもそもの間違いだった。94歳の父がいて、32歳の息子がいる。両方から笑われ、心配される、おつな人生である。真ん中が先に逝ったら洒落にもなるまい。

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