今回は、競馬昔ばなしシリーズのその1です。
近代競馬の歴史は300年そこそこですが、その中心は発祥の地である英国と、その周辺である愛・仏・独あたりの欧州大陸でした。20世紀に入り、第一次世界大戦前後から米国もその輪の中に入って、第二次大戦後は戦乱の影響もあり、米国こそが競馬サークルの中心になっていきます。
そんな状況下、世界中の戦後競馬に最も影響を与えた馬は? と聞かれれば、私は迷わず「ネアルコ」と答えます。イタリアの名伯楽フェデリコ・テシオが創った歴史的な大種牡馬です。ところで、ネアルコとはどのような馬だったのでしょうか?
戦績は14戦14勝、これも凄い成績ですが、本当に凄いのは、ネアルコから続くサイアーラインの豪華さです。たくさんのサイアーラインが伸びていますが、その中でも、①ナスルーラー系、②ニアークティック→ノーザンダンサー系、③ロイヤルチャージャー系、の3つは特筆されるべきもの。
①のナスルーラ系はさらにグレイソヴリン系、ボールドルーラー系、ネヴァーベンド系などに血脈を広げて、1960年代、70年代の世界の競馬をリードするサイアーラインでした。
次の②ノーザンダンサー系は80年代、90年代と世界競馬を席捲いたします。そして現在の欧州競馬を支配するサドラーズウェルズ系もノーザンダンサーの直系にあたります。
最後の③ロイヤルチャージャー系は、言わずと知れたサンデーサイレンスに繋がる血脈で、2000年以降の日本競馬を完全支配した後、その血脈を欧州や豪州へ広げつつあり、いずれは世界の競馬をリードする存在になると思われます。
こうしてみると、ネアルコの血脈は、1960年代以降の世界競馬を常にリードしてきた存在であり、「近代競馬の祖」と呼ばれるのも頷ける実績だと思います。
ところで、これだけの名馬がなぜ、当時の競馬二等国であったイタリアで誕生したのでしょうか?
これはもう、天才生産者フェデリコ・テシオの執念というしかありません。年間100頭前後しか生産規模がなかった当時のイタリアで、常に英国の超一流の血脈を求めて生産を続けました。その結果、ネアルコやリボー(仏凱旋門賞2連覇)といった名馬たちを創ることができたのです。
近代競馬の歴史は300年そこそこですが、その中心は発祥の地である英国と、その周辺である愛・仏・独あたりの欧州大陸でした。20世紀に入り、第一次世界大戦前後から米国もその輪の中に入って、第二次大戦後は戦乱の影響もあり、米国こそが競馬サークルの中心になっていきます。
そんな状況下、世界中の戦後競馬に最も影響を与えた馬は? と聞かれれば、私は迷わず「ネアルコ」と答えます。イタリアの名伯楽フェデリコ・テシオが創った歴史的な大種牡馬です。ところで、ネアルコとはどのような馬だったのでしょうか?
戦績は14戦14勝、これも凄い成績ですが、本当に凄いのは、ネアルコから続くサイアーラインの豪華さです。たくさんのサイアーラインが伸びていますが、その中でも、①ナスルーラー系、②ニアークティック→ノーザンダンサー系、③ロイヤルチャージャー系、の3つは特筆されるべきもの。
①のナスルーラ系はさらにグレイソヴリン系、ボールドルーラー系、ネヴァーベンド系などに血脈を広げて、1960年代、70年代の世界の競馬をリードするサイアーラインでした。
次の②ノーザンダンサー系は80年代、90年代と世界競馬を席捲いたします。そして現在の欧州競馬を支配するサドラーズウェルズ系もノーザンダンサーの直系にあたります。
最後の③ロイヤルチャージャー系は、言わずと知れたサンデーサイレンスに繋がる血脈で、2000年以降の日本競馬を完全支配した後、その血脈を欧州や豪州へ広げつつあり、いずれは世界の競馬をリードする存在になると思われます。
こうしてみると、ネアルコの血脈は、1960年代以降の世界競馬を常にリードしてきた存在であり、「近代競馬の祖」と呼ばれるのも頷ける実績だと思います。
ところで、これだけの名馬がなぜ、当時の競馬二等国であったイタリアで誕生したのでしょうか?
これはもう、天才生産者フェデリコ・テシオの執念というしかありません。年間100頭前後しか生産規模がなかった当時のイタリアで、常に英国の超一流の血脈を求めて生産を続けました。その結果、ネアルコやリボー(仏凱旋門賞2連覇)といった名馬たちを創ることができたのです。