kouzi_2007~

発火村塾 established 2007

国土地理院のサイトより航空写真をみる。

2011-09-10 22:23:21 | ウェブログ
国土地理院 国土変遷アーカイブ 空中写真閲覧より。

リンクをクリックすると新しいウィンドウで開きます。

各写真縮尺が違うので見にくいと思いますが、東西に平行して走る甲州街道(国道20号線)と浅川、国鉄線路、そして南から西にカーブする京王御陵線のラインを目安に見比べてください。


1941年8月7日
http://archive.gsi.go.jp/airphoto/ViewPhotoServlet?workname=63&courseno=C4&photono=64
多摩御陵線と浅川、甲州街道、国鉄の様子がはっきり見える。甲州街道の上下の点線は銀杏並木。このとき東京陸軍幼年学校はまだ市谷にあった。
下の白い線は写真についた傷か?


1944年12月21日
http://archive.gsi.go.jp/airphoto/ViewPhotoServlet?workname=94C7&courseno=C15&photono=246
写真左下に東京陸軍幼年学校と、多摩御陵線が浅川をまたいでいた鉄橋のシルエットが写っている。


1948年3月31日
http://archive.gsi.go.jp/airphoto/ViewPhotoServlet?workname=USA&courseno=R1232&photono=2
戦後3年。この時点でも多摩御陵線と浅川、甲州街道、国鉄の様子がはっきり見える。鉄橋も健在なように見える。多摩御陵駅の姿も良くわかる。多摩御陵駅は光と影の関係でプラットホームが三本あるようにも見えるが、Bさん著””京王多摩御陵線”のよると線路がみっつ、ホームは二本だったようである。
美しく区割りされた陸軍幼年学校の敷地に建物跡。このときすでに廃墟だったと思われる。

1958年
http://archive.gsi.go.jp/airphoto/ViewPhotoServlet?workname=KT584YZ&courseno=P15&photono=5
多摩御陵線の浅川にかかっていた鉄橋が無くなっているように見える。橋脚と思われる物が川の中にも確認できる。
陸軍幼年学校のあったあたりが道だけ残して畑になっているように見える。

1989年10月18日http://archive.gsi.go.jp/airphoto/ViewPhotoServlet?workname=CKT891&courseno=C19&photono=9
団地が立ち並び住宅も密集している。京王多摩御陵線跡は浅川で分断されている。京王高尾線は御陵線の北野~山田間を利用して高尾山口まで伸ばしたかたち。
ちょうどこの頃筆者が八王子に越して来た。現在、中央本線のアンダーパスがある場所はスーパーマーケット忠実屋と金子製材所がある(前出”京王多摩御陵線”による)。工事中の高い囲いがあったのはもっと後だったことになる。