奥様が、岸本葉子さんの『四十でがんになってから』を購入しました。
私は以前、岸本さんが癌になったときのことを詳述した『がんから始まる』
をすでに読んだことがあるので、この本を読むのも楽しみにしています。
岸本さんの作品はもうずいぶんと読んでいるので、岸本さんが癌にかかった
と知ったときは、まるで知り合いが癌にかかったかのような錯覚を覚えた
ほどです。
それまでは、おっとりとした文体で、そこはかとないユーモアを含んだ
軽快な文章が持ち味だった岸本さんですが、この『がんから始まる』の
中では、痛々しいほどリアルにがんのつらさ、悩み、闘病生活、etc を
記されています。それを読んでいると、もう40に手が届こうかという
自分も、それほど対岸の火事とは思ってもいられないんだ、ということに
気がつかされます。
もし、自分が余命あと半年だと知らされたら、どうだろう。若い頃は、
人間は河に登ってくる鮭のように、人生の役目が終われば死ぬだろう、
なんて冷めた考え方をしていたものですけど、今ならどうだろう・・・。
いつもの通勤路に生えている草花や木でも、「もう来年の今頃は、この
花を見ることができないのか。新緑を見ることもできないのか」などと
思うと、いつもの通勤路も違って見えてくるような気がします。
「私はもう来年の今頃はこの世にいないけど、この世を頼むよ。最近の
日本はどんどん荒廃してしまって寂しい限りだけど、この日本をどうか
これからも頼むよ。そしてこれからも、きれいな花を咲かせてね。春には
美しい新緑で、この通勤路の景色を彩ってね。私の知らない子供たちにも
おじさんおばさんにも、そして、これから生まれてくるたくさんの子供たち
にも、きれいな花をずっと見せ続けてあげてね」などと、何の関係もない
草木にまでお願いしたくなってしまいますね。
まぁ、実際には怖がってぴーぴー泣いてるだけかもしれませんが。
私は以前、岸本さんが癌になったときのことを詳述した『がんから始まる』
をすでに読んだことがあるので、この本を読むのも楽しみにしています。
岸本さんの作品はもうずいぶんと読んでいるので、岸本さんが癌にかかった
と知ったときは、まるで知り合いが癌にかかったかのような錯覚を覚えた
ほどです。
それまでは、おっとりとした文体で、そこはかとないユーモアを含んだ
軽快な文章が持ち味だった岸本さんですが、この『がんから始まる』の
中では、痛々しいほどリアルにがんのつらさ、悩み、闘病生活、etc を
記されています。それを読んでいると、もう40に手が届こうかという
自分も、それほど対岸の火事とは思ってもいられないんだ、ということに
気がつかされます。
もし、自分が余命あと半年だと知らされたら、どうだろう。若い頃は、
人間は河に登ってくる鮭のように、人生の役目が終われば死ぬだろう、
なんて冷めた考え方をしていたものですけど、今ならどうだろう・・・。
いつもの通勤路に生えている草花や木でも、「もう来年の今頃は、この
花を見ることができないのか。新緑を見ることもできないのか」などと
思うと、いつもの通勤路も違って見えてくるような気がします。
「私はもう来年の今頃はこの世にいないけど、この世を頼むよ。最近の
日本はどんどん荒廃してしまって寂しい限りだけど、この日本をどうか
これからも頼むよ。そしてこれからも、きれいな花を咲かせてね。春には
美しい新緑で、この通勤路の景色を彩ってね。私の知らない子供たちにも
おじさんおばさんにも、そして、これから生まれてくるたくさんの子供たち
にも、きれいな花をずっと見せ続けてあげてね」などと、何の関係もない
草木にまでお願いしたくなってしまいますね。
まぁ、実際には怖がってぴーぴー泣いてるだけかもしれませんが。