土曜日に、藤沢にある朝日カルチャーセンターというところに、奥様と一緒に
出かけてきました。
http://be.asahi.com/20050312/W25/0012.html
詳しい内容は、すでに奥様のブログにも書いてあるので割愛しますが、本当に
目からウロコとはこのことです。私がパートナーを組んだ男性は、私より
身長はやや低い人でしたが、格闘技をやっている人ということで、かなり鍛えて
いるらしく、がっしりした体型の人でしたけど、そんな人ですらひょいっと
持ち上がってしまうのには、まったく驚かされました。
甲野義紀さんを初めてテレビで見たのは、もう10年以上も前のことで、その
ときはNHKの「トップランナー」に出演されたときだと記憶しています。
現代の剣道の動きは、本来の剣道の動きでは否定されていることばかりだ、
という氏独自の理論を実践を交えて説明する姿は、非常に印象に残りました。
ただ、そのときは氏の名前をメモすることも忘れてしまい、「すごい人が
いるものだ」という記憶だけがずっと残ることになりました。
そして最近になって、甲野さんの名前がメディアにたびたび登場するように
なり、「あぁ、あのときの人だ」と、すぐに気が付きました。私が二度目に
拝見したときは、すでに桑田投手のフォーム改善に多大な影響を与えたことを
はじめ、数々の成果を発揮されていたときで、やはりすごい人はいずれ世間に
名をとどろかせるものなのだな、桃李物言わざれど、ですね。
甲野さんで有名になったもののひとつに、いわゆる「ナンバ」があります。
これは、昔の日本人の歩行や走り方のことで、昔は歩くときでも走るときでも、
同じ側の手足を出していたということです。写真を見るとわかりますが、
飛脚の人はしっかりと右手と右足を同時に出しています。当時の飛脚は、
1日に200km以上もの距離を走りぬくことすらあったということで、
これは計算すると現代の駅伝選手などよりも、さらに早い速度で走っていた
ことになります。
なぜそんなことが可能だったのか?当時の日本人は現代ほど恵まれた食事を
摂っていたわけでも、科学的なトレーニングを積んでいたわけでもないのに、
このように驚異的なことがどうして可能だったのか。甲野さんのおかげで、
昔の日本人が持っていたすばらしい技術が、いまさまざまな方面で脚光を
あびるようになり、10年以上前から甲野さんを知っていた私としては、
ちょっと嬉しい気持ちです。
出かけてきました。
http://be.asahi.com/20050312/W25/0012.html
詳しい内容は、すでに奥様のブログにも書いてあるので割愛しますが、本当に
目からウロコとはこのことです。私がパートナーを組んだ男性は、私より
身長はやや低い人でしたが、格闘技をやっている人ということで、かなり鍛えて
いるらしく、がっしりした体型の人でしたけど、そんな人ですらひょいっと
持ち上がってしまうのには、まったく驚かされました。
甲野義紀さんを初めてテレビで見たのは、もう10年以上も前のことで、その
ときはNHKの「トップランナー」に出演されたときだと記憶しています。
現代の剣道の動きは、本来の剣道の動きでは否定されていることばかりだ、
という氏独自の理論を実践を交えて説明する姿は、非常に印象に残りました。
ただ、そのときは氏の名前をメモすることも忘れてしまい、「すごい人が
いるものだ」という記憶だけがずっと残ることになりました。
そして最近になって、甲野さんの名前がメディアにたびたび登場するように
なり、「あぁ、あのときの人だ」と、すぐに気が付きました。私が二度目に
拝見したときは、すでに桑田投手のフォーム改善に多大な影響を与えたことを
はじめ、数々の成果を発揮されていたときで、やはりすごい人はいずれ世間に
名をとどろかせるものなのだな、桃李物言わざれど、ですね。
甲野さんで有名になったもののひとつに、いわゆる「ナンバ」があります。
これは、昔の日本人の歩行や走り方のことで、昔は歩くときでも走るときでも、
同じ側の手足を出していたということです。写真を見るとわかりますが、
飛脚の人はしっかりと右手と右足を同時に出しています。当時の飛脚は、
1日に200km以上もの距離を走りぬくことすらあったということで、
これは計算すると現代の駅伝選手などよりも、さらに早い速度で走っていた
ことになります。
なぜそんなことが可能だったのか?当時の日本人は現代ほど恵まれた食事を
摂っていたわけでも、科学的なトレーニングを積んでいたわけでもないのに、
このように驚異的なことがどうして可能だったのか。甲野さんのおかげで、
昔の日本人が持っていたすばらしい技術が、いまさまざまな方面で脚光を
あびるようになり、10年以上前から甲野さんを知っていた私としては、
ちょっと嬉しい気持ちです。