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あみの3ブログ

後瀬山城@福井県小浜市 令和三年(2021)2月14日

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国指定史跡 後瀬山城跡(のちせやまじょう)
後瀬山城は、大永2年(1522)に若狭守護5代武田元光により築城されました。
北西部に畝状竪堀や大規模な竪堀を配し、西部への防御を密にした遺構配置をおこなっています。これは武田氏が若狭守護に任命されて以来確執のある丹後一色氏を意識していることが考えられます。また、若狭を東西に通過する丹後街道を足元に置き小浜湊を眼下に見下ろせる場所でもあり、日本海交易の主要港となっていた小浜湊の経済力を掌握する意図もあったものと思われます。
城の東稜線上北西稜線上に配置されている連郭群は切岸により区画されており、主要な部分において堀切を持っています。これらの連郭群は谷の横道と形容される連続した連絡道路によって連結されており、情報交換施設として注目されます。
永禄11年(1568)越前朝倉氏の侵攻により武田元明が拉致されて以降一時荒廃しますが、織豊期丹羽秀長の若狭拝領以降は城郭の再整備が実施されたと考えられます。
その後関ケ原の合戦の功により若狭国を諒することになった京極高次が入城しますが、北川と南川の河口に新たな海城「小浜城」の築城を開始し、後瀬山城は廃城となりました。、、、史跡後瀬山城跡パンフレット(小浜市教育委員会文化課作成)


場所は国道27号線、後瀬山トンネルの小浜側信号を右折、愛宕神社鳥居から登山道に入ります。(愛宕神社駐車場利用可能)



「後瀬山」
交差点角にあるコンビニよりを見る


「愛宕神社」
左手前が社務所、さらにその手前に駐車場がある
鳥居をくぐった階段のところにパンプレット置き場がありますので、是非ご利用ください。
その先が登山道となっています。



「登山道からの展望」
小浜市街が見渡せる展望所



「枕木を転用した登山道」
やや急ですが線路の枕木を再利用した階段状の登山道は歩きやすい。



「縄張り図」
出典、、、史跡成瀬山城跡パンフレット(小浜市教育委員会文化課作成)



「曲輪群」
北東尾根筋に曲輪が連なる。
ここからは落ち葉の積み重なった山道となるので注意が必要。特に粘土質の土なので雨上がりなどは滑りやすい。



「土塁」
土塁で囲んだ曲輪もある



「平坦地」
階段状に配置された曲輪の平坦地



「曲輪からの展望」
小浜湊が眼下に見渡せる



「土橋手前の曲輪」
北東稜線上の曲輪群では最大の広さの平坦地



「本丸土橋」
曲輪と本丸との間の通路を両側の堀切で細くして敵の侵入を抑制する防御施設の一環



「土橋堀切」
土橋の両側に深い切込み




土橋を渡ると第一村人発見!!
いや! あれはサルだ!!



土橋を渡ると景色が一変
大きな岩がゴロゴロしている



石段の先には本丸が待っている
その中段、両側に虎口石垣が見える



「虎口西側石垣」
角石は直線的な稜線では無く、自然石を積んで角を切り返している。
一部崩落しており、倒れた大きな石も見受けられた。



「虎口東側石垣」
角石には巨石が鎮座
正面から見えるのはここまで
写真左端(東面)は谷になっているので容易には近づけない



石段を登り切ったところが「本丸」
両脇に灯篭が建ち、正面に旧愛宕神社



「本丸 後瀬山城址石碑」



正面右手、「本丸西面石垣の巨石」
鏡石でしょうか?
下段東側虎口の巨石よりさらに大きく、本丸にふさわしい威厳がある。
しかし上部には崩落個所もある。



本丸正面向かって右手、西面から南面にかけL字型に石垣が築かれている。
中央は旧愛宕神社



本丸西面石垣とサル


奥は「本丸南面石垣」
かなり崩壊している



旧愛宕神社を南側より見たところ
右手(東面)には石垣がないことがわかる



「虎口東面石垣」
もう一度正面石段に戻って、灯篭下段にある虎口から東側斜面に回り込んでみる。
すると東面、谷側斜面に立派な石垣が残っているではありませんか!
北東隅には角石が存在しています


「虎口東面北東角石」
角石を煽って撮影



「虎口東面谷側の石垣」
西面の石垣は塀のような「石塁」で、東面にはそれが無く「石で斜面を覆う」という構造の違いがある。




本丸の旧愛宕神社奥から下段へ降りる険しい道



「二の丸」
本丸から下った先
林の中に平坦地が出現



「二の丸からの展望」



「二の丸 築山」
この写真にはちょっと自信がないです(;^ω^)


こっちが築山の断面なのか不明です(;^ω^)



二の丸と本丸の間の堀切
険しい崖で本丸南面からの石垣崩落の跡でしょうか?落石が散乱しています。


(二の丸)山上御殿~発掘された雅な空間~
昭和63年の発掘調査では、尾根を削平することにより出た土砂を利用して平坦地を拡張し、建物跡・玄関遺構と・土塁・築山などが設けられていたことがわかりました。これらの遺構は、確認された高さや土の体積状態などから2期間にわたり使用され、丹羽秀長・浅野長吉・木下勝俊の城主の時期に再整備が行われたと考えられます。
遺物では外国産・国産の陶磁器、土師質土器、瓦などが確認され、多くの茶器の存在からこの場で茶の湯を愉しんでいたことが想像されます。

、、、出典同上








【後瀬山城】
《若狭守護・武田氏の居城》

名称(別名);
所在地;福井県小浜市伏原男山
城地種類;山城
築城年代;大永2年(1522)
築城者;武田元光
主な城主;武田氏、丹羽氏、浅野氏、京極氏、酒井氏
文化財区分;国の史跡
近年の主な復元等;
天守の現状、形態;

※出典、、、小浜市教育委員会文化課
地図;

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