見出し画像

あみの3ブログ

松波城@石川県鳳至郡能都町松波 令和三年(2021)8月11日

お城検索は→こちら

いしかわ城郭カード→こちら

この日は奥能登珠洲市を中心にした攻城です。
梅雨のような夏休みの僅かな晴れ間を狙っての奥能登遠征、久しぶりに友人との再会と美味しいラーメン、楽しい一日でした





【歴史】
城跡の東麓には内浦街道が通り、天然の要害となる松波川が流れている。松波川は600m下流で日本海に至っており、港湾と繋ぐ運河の要素も持っていた。
文明6年(1474)能登守護畠山義統の三男常陸介善智が松波の地に入部したと伝えられており、松波城の築城もこの頃と考えられる。能登畠山氏の奥能登支配における支城的役割だったと考えられるが、松波氏を取り込み能登畠山氏の有力家臣の一人に列せられるまでになった。
松波城最後の城主松波義親は九代能登守護畠山義綱の三男とされており、松波常陸介家の養子となり松波氏を相続したとされる。
天正5年9月15日上杉謙信の能登侵攻で七尾城が落城すると、義親は加勢していた七尾城から松波城に戻り籠城する。しかし奥能登に侵攻してきた上杉方の長沢筑前守により9月25日松波城は落城し義親は自刃したという。この戦をもって松波城は廃城になったと考えられている。

能登畠山氏と松波畠山氏の関係、、、「七尾城史年表」七尾城山を愛する会発行 能登畠山氏系図




松波義親の妻とその子は、松波城落城後縁故を頼って越後国の称念寺に逃れた。子弟は成長の後、 長連龍 に召し出されて長氏の家臣となった。次男は「松波」の名跡を嗣いで四郎兵衛義直と称し、長家を継いだ兄同様加賀前田家に仕えた。
「うずまきポンプ」の発明者であり、株式会社荏原製作所の創立者畠山一清氏は、松波義直の末裔である。
松波城跡には畠山一清氏が書いた「松波城址」という石碑がある(七尾城址にも一清氏が書いた石碑がある)


また松波義親の菩提寺萬福寺には畠山一清氏お手植えの松があり、表札には「松波城主十八世畠山一清」とある。



場所は石川県鳳珠郡能登町松波
のと里山海道を終点の空港ICまで行き、その先珠洲穴水線を珠洲方面に1時間ほど走る。道は県道57号線となり途中「駒渡ポケットパーク」で松波方面に右へ分岐する。その後松波方面に向かって暫く道なりです。やがて県道35号線は国道249号線と合流し、「松波西」交差点で分岐しますが、ここは直進で松波市街(松波漁港方向)に向かいます。
しばらくすると「松波」交差点で35号線は分岐しますが、このまま直進し「ファミリーレストラン大家族」の前を通過し、一つ目の交差点を左折。松波川の橋を渡たると突当りの山が城址です。



突当りの壁面に松波城跡の看板があります。



突当りは三差路になっており、左折すると児童公園の駐車場が利用できます。
登城口はこの看板と公園の間位にあります。



もう一つの登城口として、突当りの三差路を右折し「幼稚園」の方向に回り込みます。幼稚園脇の道から城址公園に登ることができます。



当日の行程を縄張り図で紹介します。、、、佐伯哲也氏著 能登中世城郭図面集(ブログ管理者加筆)



「松波城址公園」の看板が目印


その左脇に登り口があります


「史跡松波城址」の石柱


緩い坂を上ると


眼下には松波川とそこに架かる橋が見えます


登り始めて最初に到達するのは、上記縄張り図にある「E郭」という削平地
ここには「一竿亭」という茶室が建っています


歌碑


左右一対の土塁が虎口になって見える


その先が上段「A郭」への登り口


「A郭」下の踊り場的な削平地


そこから一段高い場所に「A郭」の削平地が広がる


「景勝台」と「音川亭 鳳梓斎」二本の石柱正対している最も広い曲輪


南西側には堀切で分断された台地上の削平地がある


現在は堀切へ下る階段が取り付けられている


堀切の底から北西方向を見る
右手が「A郭」、左手が「B郭」



この堀切は先ほど登ってきた最初の削平地「E郭」と地続きの同一削平地となっており
時計回りに進むと「B郭」の南側登り口に至る


「B郭」の南側登り口



「B郭」
公園の中心的場所で美しく整備されており、巨大な石碑が建立されている


最後の松波城主松波義親の末裔で
株式会社荏原製作所の創立者畠山一清氏揮毫による「松波城址」石碑


「B郭」西側には向かいの「D郭」に行く階段があり、途中北側の幼稚園側平坦地への分岐がある



階段を降り廃線になった能登鉄道を跨ぐ橋を渡ると「D郭」です


城郭を東西に分断する深い谷
ここにかつて「のと鉄道」の線路が敷かれていた
谷を跨ぐ暗渠上に架かる橋から北方向


同南方向
旧線路上に積み上げられた土嚢
西側斜面の崩壊を防ぐための防災処置でしょうか



「D郭」発掘調査中
「松波城大手門跡」の石柱



「D郭」南側崖上から俯瞰
一面ブルーシートに覆われた「松波城跡庭園跡」
京風文化の名残を留めた室町様式の庭園遺構で、昭和37年の公園整備中に発見され、昭和55年に再調査を行いました。
平たい小石を縦なびにしてに敷き詰め、あたかも流れに洗われた岩や浅瀬のように、そのところどころ大小の石を配置することで水の流れを見事に表現した枯山水の意匠は非常に珍しいものです。また、枯山水の付近から小さな草庵風の建物や天目茶碗等が発掘されており、茶庭的な庭園を形作っていたと考えられます。
まさに風雅を愛した松波畠山氏の心情を忍ぶことができます。

石川県教育委員会・松波町教育委員会、、、案内看板より
今後の調査が待たれるところですね。


庭園「D郭」背後の崖
帯曲輪的な細長く取り巻くような平坦面も調査の対象となっているようです
この崖の上に「C郭」があり櫓台を設けて、西側の尾根続きを監視していたようです



庭園「D郭」上段に点在する削平地1


同削平地2
休憩スペースが整備されていたようですが現在は廃墟のように荒れています




庭園「D郭」の背後を西に進むと広い平坦面に出ました


こちらも奇麗に整備され「松波城本丸跡」の石柱が建っています
最高所にあるであろうことはわかりますが、全く無防備に感じます
縄張り図で佐伯氏が指摘するように、「A郭」か「B郭」のいずれかでしょうね




本丸広場の北側には「雁鯉池」へ降りていく看板があります


少し斜面を下ると、小さな池がありました
水深は浅く、湧水でしょうか濁りはありません
看板に偽りなし!鯉が二匹泳いでいました



さらに西に進むと舗装された道と大きな平坦面が現れました
資料によると、かつて武道館があったようですが現在は解体撤去され、更地になったようです



広場入り口には「史跡松波城址」の石碑が建立されており、かつての歴史を今に伝えていますが、夏草に覆われ見る影もありません


麓から車で登ってくる第3のルート
かつてはこちらがメインのルートだったのかもしれませんね

ここで折り返します。


先ほどの「B郭」から橋に向かう途中の分岐まで戻り
その分岐から幼稚園側登り口へ向かいます


ここは「A郭」の西側下段の平坦面で、現在は公園入口の「津波避難所」ともなっています


「A郭」や「B郭」がある城郭東側の北端にあって、幼稚園側から登ってこられます


この平坦面を「A郭」下の切岸沿いに北端まで回り込むと、幼稚園側に竪堀が見られます


同竪堀2か所目
ハッキリと残る遺構です


同土塁(横堀)


この平坦面は先ほどの「A郭」と「B郭」を隔てる堀切にも繋がっています



【まとめ】
七尾城資料館を訪ねた際、展示資料の家系図にて奥能登松波にも畠山氏の血縁の城がある事を知り、いつかは訪れてみたいと思っていました。
遠く能登半島の最果てまで行くのであれば、周辺のお城も攻めよう。さらに松波と言えばお友達のお店「ファミリーレストラン大家族」があるので、ぜひ立ち寄って久しぶりにマスターの顔を見てみたい! 
そんな欲張りな行程をギュッと詰め込んだ一日でした。

松波城移築門とファミリーレストラン大家族の報告もありますので、お見逃しなく(^^)/


※2022年6月12日 いしかわ城郭カードリンク追加

【松波城】


名称(別名);まつなみじょう(聴松山緑ノ城)
所在地;石川県鳳珠郡能登町松波
城地種類;山城
標高/比高;30m/24m
築城年代;15世紀
廃城年代;天正5年
築城者;松波氏
主な改修者;畠山義智
主な城主;松波畠山氏
文化財区分;城址町史跡、庭園国の名勝
主な遺構;曲輪、切岸、堀、竪堀、土塁
近年の主な復元等;


※出典、、、佐伯哲也氏著 能登中世城郭図面集
地図;



【移築門】

曹洞宗萬福寺山門
松波城の搦手口門



萬福寺山門は、松波城落城の際にも焼け残り移築されたと伝承されています。




最後の松波城主松波義親の末裔で
株式会社荏原製作所の創立者畠山一清氏お手植えの松
表札には「松波城主十八世畠山一清」とある。




萬福寺本堂


〒927-0602 石川県鳳珠郡能登町松波14字84
地図;




【城下町のグルメ】

ファミリーレストラン大家族



前回のエントリーは→こちら

松波城址のすぐ近くにあるファミリーレストラン大家族
超久しぶりの訪問です。
ちょうどお昼時間帯でなので満席。といってもディスタンスをとっているので密は避けてあります。

「ラーメン」
ラーメン屋さんで食べるラーメンは今年初めてとなります。
今迄で言うところの「21001」
嬉しくて大盛りにしました(笑)




マスターも奥さんも忙しく動いているので、お声掛けは致しませんでした。
お元気そうでなにより。
そして商売繁盛でなにより。

入店が最終組だったので、自分が帰るころには店内も落ち着いていましたので、退店のお支払い時にお声掛けさせていただきました。
マスターにも奥さんにもスッキリしたね~全然分からなかったわ~♡ と、言われたのが一番うれしかったりします(笑)
お元気で~(^^)/
また来ますね~

♪ ♪
【お店情報】

お店のWebページは→こちら
お店(店主)のTwitterは→こちら

店名;ファミリーレストラン大家族
住所;石川県鳳珠郡能登町字松波30-109
電話:0768-72-0388
営業時間;11:00~21:00
定休日;月曜(祝日の場合は営業)
駐車場;お店前と向かいの空き地
地図;

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「城歩き」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事