☆☆女神のみる夢☆☆         NOBLESSE OBRIGE 

    女神に出逢い37年。
  幸運な出逢いを導いてくれた女神。
『貴方にも、”運”が訪れますように・・』

戦争も変わった。政権も変わった。そうか、時代も変わったんだ!。

2009-09-20 22:47:31 | Weblog
  スサーンベイ・カリフォルニア
1970年代後半?頃サンフランシスコの
ケンさんの案内で人生師匠と米軍艦と
輸送船の入札の下見(ひやかし半分)
 に行ったことを思い出しました。
その当時、師匠自身は元気はつらつな
のですが、実年齢ではもう高齢でした
引退や先々のことなどを考えておられ
る様子でした。  事業分も含め、
残し方の研究について、税務の方達
  から色々と助言や指南など
    受けておられるようでした。
税制で不動産資産の買い換え特例
というのがありました。緻密に工夫を
めぐらして考えることが大好きな師匠
ですので、その対象のひとつとして
中古軍艦を購入し、宿泊・飲食を
含めたホテル船の建造というアイディ
アを思いつかれたらしいのでした。
おもしろがり屋で前向きで斬新な思考
の師匠にとって、軍艦は残し方の対象
ではなく、新事業の頭の体操のような
  新プロジェクトに
   なってしまっていたのでした。
    師匠自身はおもしろがって、
     原案を本社に出させたり
       されていました。
ものものしい警備の基地に着きました
 迎えの士官達とボートに乗り込み、
ずらりと係留されている退役艦船群
に向かいました。長いタラップを登り
 甲板に出ますと、驚きました。
『ともかく、想像以上に大きい!』
野球は出来ませんがそれに近い印象を
受けました。そして船倉には歩兵携行
品パックなどがそのままぎっしりと
詰められたままでした。中古・廃棄
予定とは思いますが、もし近々に
有事となれば即出動の配備となって
いたのかもしれません。ケンさんが
微細に渡る船の説明を受けました。
丁重な敬礼の返礼として、深々と
3秒間のお辞儀をして、私達は
基地を辞することとなりました。
乗船記念に、キャメルのタバコ他
  歩兵パックを頂きました。
結論としては、軍艦再利用に関する
すべてに問題はありませんでした。
新プロジェクトも少し前進でした。
ただ・・・、ケンさんが、私達に、
アスベストスに関しての
  日本の法規制の有無を
   尋ねられた時に、
この事業案は『不可』となりました
 不燃・防護の為、
  軍艦のアスベストス使用量は
  特に膨大な量との事でした。
戦争も変わり、防衛配備も変わり、
   政権も変わりました。
 そうか、時代も変わったんだ!。
おわり
Suisun Bay
(スサーン?の発音のようでした)
万が一の有事用として、現在も
 多くの艦船が係留されています。
 中古軍艦の一大係留基地です。
 現代戦争では旧型の軍事艦船は
 どんどん時代遅れになってきて
  いるのではないでしょうか?。
    一定期間後に沈没処理。
1973年に米国でアスベストスの
『製造者責任が認定』されました。
  1985年までに
   3万件の訴訟になりました。
日本では1975年9月に
吹き付けアスベストの使用が禁止。
2004年に、製品の出荷が禁止。
2005年に石綿障害予防規則が施行。










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