☆☆女神のみる夢☆☆         NOBLESSE OBRIGE 

    女神に出逢い37年。
  幸運な出逢いを導いてくれた女神。
『貴方にも、”運”が訪れますように・・』

マレーシアからの電話。

2015-12-19 11:02:31 | Weblog

2008-12-14
11:43:56 Weblog からです。
7年前のブログ記事なのですが、
まず最初に、
思い出をつれずれに書いてみます。
 過去のブログ記事を転載する度に
「光陰矢の如し」時間経過の早さを
最近しみじみと感じています。
このブログを書き始めてからの
8年間の時間の流れの中で、
 小さかった子供たちが、
 大人になり結婚したり、
そして赤ちゃんが産まれたり、
 年老いた方々は人生の歴史の幕を
 静かに閉じられたり・・・、
 未だ壮年なのにガンを発病され
 早世された方が二人もいたり、
 両肺の移植をされたり、
  腎臓移植をされたり、
 心臓や大動脈手術をされたり
(・・書ききれませーん・・)
ありとあらゆる事が、
 (生きていれば当たり前の事)
  身近な周りで起こります。
昨日、2015年12月18日
数年ぶりに30数年来の友人の
ジョー船長(キャプテン・ジョー)
から電話があり、会いました。
30数年来ともなりますと、お互いに
満身創痍の状態となってしまいました。
そして色々な事が思い出されました。
・・・日本でのジョーの結婚式では、
不肖ながら私達夫婦が、
  仲人を務めさせて頂きました。
10人の御親族が来日され、結婚式に
参列されました。
その当時、この結婚式に至るまで・、
花嫁の父の許可や花嫁側の全親戚の
承諾を得る為に、ジョーは3か月近くも
ホテルに滞在して、お父さんや親戚の
家に日参したものでした。
その当時はマレーシアのみならず、
貧しい東南アジア諸国への偏見が強く
「嫁入りするなどもっての他!」という
風潮が残る時代でした。
最終的には、
(駆け落ちされたり、思い詰められて
 不幸な結果になる)よりはという結論で
「めでたし、めでたし」の
顛末になりました。そしてそれを元にして
その後にラジオドラマも作られました。
・・・・・7年前のこのブログ記事内での
「Nさん」は
   昨年ご逝去なされました。
・・・・・・・・
  2008-12-14・11:43:56
     Weblog からです。
マレーシアの
 ジョー船長が昨年購入した中古船です  
先日、元の会社での先輩「Nさん」から
4,5年ぶりでの電話がありました。
現在はマレーシアのクアラルンプールに
もう4年住んでいるとのことでした。
私の事を突然思い出し、懐かしくなって
電話をされたとのことでした。
80歳に近い年齢の方なのですが、
独り身での気軽さと元商社マンの経歴を活
かして、世界中を住み家にされてきた人生
の方です。いつでもなにかしら、
変わった経験をされては
突然電話をくださる不思議な人です。
今回のクアラルンプール在住は日本企業の
現地事務所責任者。
(ではなくて毎日事務所で新聞を読んでいる
だけ。事務所員の監視役程度の仕事と
   いっておられました。)
いつでも無償で奉仕の方ですので、
事業家達には国籍を問わず好かれます。
クアラルンプールには、
25年来の友人夫婦清美ちゃんとジョー
のファミリー(私が仲人をした)が住ん
でいます。何かの時の助けになればと思い
N氏には連絡先を伝えました。
N氏がひまにまかせて連絡したところ、
ジョーは腎臓が悪くなり入院していて
透析を今受けているとの事でした。
昨年のクリスマスカードには念願だった
 中古作業船の写真まで送ってくれて
新事業に張り切っていましたので、
さぞかし意気消沈して
いる事と思います。お見舞いの気持ちを
ご子息に伝える事しかできませんでした。
ただ、「N氏」からも、
「電話した際におどろいたー!」と
聞きましたのは、
長男の勇漢くんの
日本語の流暢さという事でした。
勇漢くんは
7年間日本語学校に通いましたのでと
   さりげなく言われましたが
 たいへんに見事な日本語でした。
2年前日本で会った時はまだ子供でした
がほんとうに良く成長されたと感心しま
した。清美ちゃんも不在でしたので、
 改めて電話してみようと思ってます。
 ジョーから習った中国語は、
  ヒンダイ(兄弟)と、
チョイ・サン・トオォー(財産到)
     でした。
つづく