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    女神に出逢い37年。
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『貴方にも、”運”が訪れますように・・』

雇用機会均等法!.★ イコールオパチュニティ-★

2014-08-30 09:57:24 | Weblog
2008-07-29 のweblogからです。
・・・6年前のブログ記事です。
・・・・・・・・
雇用機会均等法は
米国では、1970年代から政府広報や
頻繁な広告などにより周知されていま
した。
★ イコールオパチュニティ★
米国での雇用機会均等法は
35年も前からでした!。
そして、その法律の運用は大変厳格
なものでした。雇用面接時の
性別の確認はダメでした。
(容姿と性が逆の人も多いのですが)
年齢。人種。両親や家族。などへの
質問や問いかけの行為は良いのですが
本人の任意の応答を貰うだけでした。
業務以外の事を本人には答える義務が
なく、学歴や職歴についてのみ、応答
要求が許されるという厳しさでした。
雇用面接時での対応を違法であると
いちゃもんを付けられたあげく、
労働局に訴えられ、
和解金を支払った事例なども聞いてい
ました。その当時、ホノルルでは、
ユニオン(組合活動)がたいへん盛んで
,ひとたびユニオンに入り込まれて
しまいますと、あの手この手での
経営管理への嫌がらせ等で事業存続が
困難になり、最後には事業を閉鎖して
しまうという事例も多くありました。
中小の事業者たちは、
従業員との良好な雇用環境を保つため
最低賃金法(ミニマムウェッジ)に沿う
・昇給スケジュールや
・成果給料制などを取り入れました。
もともとハワイは一時期英国保護地?
でしたので、サトウキビ農園の
過酷労働の暗い歴史がありました。
移民労働者の辛い歴史がありますので
、現在では、全米でも指折りの
民主党地盤の風土となりました。
その当時も、ホテル・レストラン業
旅客業も中小企業のマネージメントは
悪質なユニオン問題でいつもびくびく
させられていました。
また,ユニオン幹部の○○組織との
つながりで射殺事件も起こりました。
従業員労働者の為とはいいながら、
ユニオンにも黒い一面がありました。
ユニオンに対しての経営者連合として
各業種のマネージメント達は
  月に一度の朝食会を持ち、
  従業員の待遇向上の勉強や
  恩典の改善等の情報交換をして
  いました。。
週20時間以上勤務の従業員は
フルタイムワーカーと同じあつかいで
した。
ホワイトカラーイグザンプション
もありました。
(従業員は約200人でした)
従業員が多ければばいろんなことがあり
ました。ある時,日系のハワイ大学生従
業員の解雇をめぐり、私は不当労働行為
で訴えられてしまいました。
周到な罠のようなクレームで、私への
いやがらせでした。
公聴会への出席案内が送られてきました。
公聴会での弁明などは事態の解決には
ならない事がわかっていましたので
かねてからの手順どうり、
秘書のレイチェルを通して、
労働局長のM氏に口頭で事案の
顛末を弁明してもらいました。
そして幸運なことに、
2回の口頭での個別の申し開き。で
事なきを得ました。
ユニオン側がいろんな人を潜りこませ
私個人への中傷やウワサを流したり、
私の車に生卵を何個もぶつけたり、
面白くない事も多くありました。
ユニオン側にとっては、
ユニオン抜きで従業員を厚遇する
事業姿勢が
気にいらなかったものと思います。
・・・・・・
雇用の際は、年齢制限厳禁と言う事で
日本人一世のおじいさんを
雇ったことがありました。
『与の助さん』でした。
(雇用後に72歳と判明しました)
・・・(昔ばなしをよく聞きました)
・・移民船で港に着いて,
迎えに来たおじさんと馬車に乗り,
イノシシのいる沼地や原野を
心細い気持ちで叔父さんの家まで行っ
たむかし話しを,
一緒にランチを取りながら聞くのが
楽しみでした・・・。
・・気持ちを和ませる事が出来ました。
おわり