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    女神に出逢い37年。
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『貴方にも、”運”が訪れますように・・』

25兆円ものたんす預金!不動産投資にはまだ間に合うかなぁー?。

2017-05-21 10:49:03 | Weblog
1986年頃のカリフォルニアの風力発電

8年前のブログ記事からです。
2009年8月24日の記事からです。
9年前に書いた昔の思い出記事ですから
25年前とあれば今から35年近くも前の
事柄となりますです。その当時は、まだ、
日本をはじめ世界情勢についても
楽観的な見方しかしていませんでした。


  この写真は25年前です。
  1986年の写真です。
1980年代  サン・フランシスコ
 ベイエリアでは、
地域にもよりますが
中規模ショッピングセンターの自然淘汰が
  あちこちで進んでいました。
  頭の良い?〇〇の方達が、
 他人ごとのように言うところ?の
 『民間土地開発での新陳代謝』です。
たとえば、フォスター市の高速道路の
インターチェンジ出入り口近くに
  造成されていたショピングモール
★ファッションアイランド・モール
(全体で5平方Km 規模の開発)は
 数千台の駐車場も含めて、
 S・モールは(1平方Km以上?)
 まったくの無人で、ガラガラで、
  もぬけのカラ・閉鎖中でした。
ビジネスオフィス区、ホテル区、居住区
などのゾーンはそのままでした。
営業不振からの閉鎖状態の原因は、
メガ・ショッピングモールが
近隣のサン・マテオ地区(旧住宅街)の 
   高速道路出入り口に
  新規開業した為でした。
2倍規模での、
メガ・ショッピングモール開業の
あおりで
 一挙に閉鎖となったのでした。 
当フォスター市市内には、他にも
  開店休業状態の
小規模モール(第1期開発)。
 現在閉鎖中の
ファッションアイランド(第2期開発)
と、約7~8年サイクルでの
  商業施設の連続淘汰です。
それぞれの商業施設の心臓とも言える
キーテナント(デパート等)の撤退が、
  いとも簡単に
 全体の命運を決めてしまいました。
商業施設の盛衰の歴史としては
   それ以前には、
(それら小モール初期開発時の影響で)
 大通りのロードサイド店の閉店と
旧商店街のスラム化現象がありました。
商店街のどこへ行ってもコンパネ板を
建物全面に打ちつけた、10年越しの
レント物件のオンパレードでした。
20年間ほどで
(3回もの凄まじい商業淘汰)
そしてサンフランシスコ市中心の
ビジネス街では、
高い家賃や街なかの車渋滞を嫌って、
若い弁護士・会計士・医院・商社などが
、こぞって郊外へ逃げ出し、
あちこちで開発中の高速道路出入り口の
 オフィスパークに新テナントとして、
 ぞくぞくと入居し始めていました。
公園・街路樹・歩道・ゆとり空間の
あるオフィスビルパークと 
 隣接する高級住宅地区、
   ポルシェやBMW。
職・住・商業集積・近接土地開発。
  DINKSとかヤッピーとかも、
  もてはやされた時代でした。
シリコンバレーはまだ、少年期でした。
・・・・・・・・・・・・・
25兆円もたんすに眠っている日本国。
25兆円がもしも再投資され、
米国のように、
お金が回る社会構造であれば 
☆お近くのインター出入り口に☆
 居住区・オフィス区・商業区で
 3平方kmぐらい・ゆとり重視! 
 太陽光発電完備の地域開発!。
・・・・・いかがでしょうか?。
新陳代謝?は・悲劇も生みますが、
 資本主義のダイナミズムです。
  おわり
スンマセン・・・・・軽率でした、
街なかは完全に死に絶えますデス。
・・・・・・・困りマスタ。
消費税という政策の大失敗で、
日本での☆車社会型・都市計画☆は
  (焼畑農業式・土地開発?)で
 大失敗の連続が続いています。


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