山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

あるけばあるけば木の葉ちるちる

2009-11-18 23:52:27 | 文化・芸術
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―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、12月18日の稿に
12月18日、雨、后、晴、行程不明、本妙寺屋。

終日歩いた、ただ歩いた、雨の中を泥土の中を歩きつづけた、歩かずにはゐられないのだ、ぢつとしてゐては死ぬる外ないのだ。

朝、逓信局を訪ねる、夜は元寛居を訪ねる、お酒、御飯までいただく、私もいよいよ乞食坊主になりきれるらしい、喜んでいいか、悲しむのか、どうでもよろしい、なるやうになれ、なりきれ、なりきれ、なりきつてしまへ。

※表題句は、12/13付記載から

―四方のたより― 人外-にんがい-

「出遊-あそびいづらむ-上弦月彷徨篇-じやうげんのつきさすらひへん-」
Scene.4「人外-にんがい-」
は、デカルコ・マリィのsolo、人外とは、人ならぬもの、本来、動物や妖怪をさす古語だが、近頃は人外萌えなどと萌え対象の一つになっている。
演奏はViolaの大竹徹氏とPercussionの田中康之氏、Time-10’01”


出遊-上弦月彷徨篇/Scene.4-人外-にんがい-


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霧、煙、埃をつきぬける

2009-11-17 23:56:00 | 文化・芸術
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―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、12月17日の稿に
12月17日、霜、晴、行程6里、堕地獄、酔菩薩。

朝、上山して和尚さんに挨拶する-昨夜、挨拶にあがつたけれど、お留守だつた-、和尚さんはまつたく老師だ、慈師だ、恩師だ。

茅野村へ行つて見てまはる、和尚さんが教へて下さつた庵にはもう人がはいつてゐた、そこからまた高橋へゆく、適当な家はなかつた、またひきかへして寥平さんを訪ねる、後刻を約して、さらに稀也さんを訪ねる、妙な風体を奥さんや坊ちやんやお嬢さんに笑はれながら、御馳走になる、いい気持ちになつて-お布施一封までいただいて-、寥平さんを訪ねる、二人が逢へば、いつもの形式で、ブルジヨア気分になりきつて、酒、酒、女、女、悪魔が踊り菩薩が歌ふ、‥寝た時は仏だつたが、起きた時は鬼だつた、ぢつとしてはゐられないので池上附近を歩いて見る、気に入つた場所だつた、空想の草庵を結んだ。‥

今日も一句も出来なかつた、かういふあはただしい日に一句でも生まれたら嘘だ、ちつとも早くおちつかなければならない。

自分の部屋が欲しい、自分の寝床だけはもたずにはゐられない、-これは私の本音だ。

※表題句は、12/15付記載から

―四方のたより― 地震-なゐ・ぢなり-

「出遊-あそびいづらむ-上弦月彷徨篇-じやうげんのつきさすらひへん-」
Scene.3「地震-なゐ・ぢなり-」は、Guestの山田いづみではじまり、Junko、Ayaが加わる展開、演奏はViolaの大竹徹氏とPercussionの田中康之氏、Time-8’00”


出遊-上弦月彷徨篇/Scene.3-地震-なゐ・ぢなり-


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見すぎ世すぎの大地で踊る

2009-11-16 23:55:30 | 文化・芸術
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―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、12月16日の稿に
12月16日、晴、行程3里、熊本市、本妙寺屋

堅いベンチの上で、うつらうつらしてゐるうちにやうやく朝が来た、飯屋で霜消し一杯、その元気で高橋へ寝床を探しにゆく、田村さんに頼んでおいて、ひきかへして寥平さんを訪ねる、今日も逢へない、茂森さんを訪ね、夫婦のあたたかい御馳走をいただく、あまりおそくなつては、今夜も夜明しするやうでは困るので、いそいで本妙寺下の安宿を教へられて泊る、悪い宿だけれど仕方がない、更けるまで寝つかれないので読んだ-書くほどの元気はなかつた-。

こんど熊本に戻つてきて、ルンペンの悲哀をつくづく感じた、今日一日は一句も出来なかつた。

※表題句は、前日-12/15-記載から

―四方のたより― 月暈-つきかさ-

「出遊-あそびいづらむ-上弦月彷徨篇-じやうげんのつきさすらひへん-」
Scene.2
の「月暈-つきかさ-」は、岡林綾のsolo、演奏はもっぱら大竹徹氏のViolaによる、Time-5’45”


出遊-上弦月彷徨篇/Scene.2-月暈-つきかさ-


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磯に足跡つけてきて別れる

2009-11-13 23:55:42 | 文化・芸術
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―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、12月15日の稿に
12月15日、晴、行程2里、そして汽車、熊本市、彷徨。

けふも大霜で上天気である、純な苦味生さんと連れ立つて荒尾海岸を散歩する-末光さんも純な青年だつた、きつと純な句の出来る人だ-、捨草を焚いて酒瓶をあたためる、貝殻を拾つてきて別盃をくみかはす、何ともいへない情緒だつた。

苦味生さんの好意にあまえて汽車で熊本入、百余日さまよいあるいて、また熊本の土地をふんだわけであるが、さびしいよろこびだ、寥平さんを訪ねる、不在、馬酔木さんを訪ねて夕飯の御馳走になり、同道して元寛さんを訪ねる、11時過ぎまで話して別れる、さてどこに泊らうか、もうおそく私の泊るやうな宿はない、宿はあつても泊るだけの金がない、ままよ、一杯ひつかけて駅の待合室のベンチに寝ころんだ、ずゐぶんなさけなかつたけれど。‥

※表題句の外、11句を記す、その中に
「霜夜の寝床が見つからない」

―表象の森―日蝕-にっしょく-

久方ぶりにDanceCafeの動画をYou Tubeにuploadした。
9月26日の「出遊-あそびいづらむ-上弦月彷徨篇-じやうげんのつきさすらひ篇-」から、
先ずは冒頭のScene.1「日蝕-にっしょく-」である。

出遊-上弦月彷徨篇/Scene.1-日蝕-にっしょく-


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夕闇のうごめくは戻る馬だつた

2009-11-11 23:44:16 | 文化・芸術
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Information – 四方館のWork Shop
四方館の身体表現 -Shihohkan’s Improvisation Dance-
そのKeywordは、場面の創出。
場面の創出とは
そこへとより来たったさまざまな表象群と
そこよりさき起こり来る表象群と、を
その瞬間一挙に
まったく新たなる相貌のもとに統轄しうる
そのような磁場を生み出すことである。

―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、12月14日の稿に
12月14日、晴、行程4里、万田。苦味生居、末光居。

霜がまつしろに降りてゐる、冷たいけれど晴れきつてゐる、今日は久振に苦味生さんに逢へる、元気よく山ノ上町へ急ぐ、坑内長屋の出入はなかなかやかましい-苦味生さんの言のやうに、一種の牢獄といへないことはない-、やうやくその長屋に草鞋を脱いだが、その本人は私を迎へるために出かけて留守だつた、母堂の深切、祖母さんの言葉、どれもうれしかつた、句稿を書き改めてゐるうちに苦味生さん帰宅、さつそく一杯二杯三杯とよばれながら話しつづける、-苦味生さんには感服する、ああいふ境遇でああいふ職業で、そしてああいふ純真さだ、彼と句とは一致してゐる、私と句が一致してゐるやうに。-略-

夜は苦味生さんの友人末光さんのところへ案内されて泊めていただいた、久しぶりに田園のしづけさしたしさを味はつた、農家の生活が最も好ましい生活ではあるまいか、自ら耕して自ら生きる、肉体の辛さが精神の安けさを妨げない、-略-

さびしいほどのしづかな一夜だつた、緑平さんへ長い手紙を書く、清算か決算か、とにかく私の一生も終末に近づきつつあるやうだ、とりとめもない悩ましさで寝つかれなかつた、暮鳥詩集を読んだりした、彼も薄倖な、そして真実な詩人だつたが。

我儘といふことについて考へる、私はあまり我がままに育つた、そしてあまり我がままに生きて来た、しかし幸にして私は破産した、そして禅門に入つた、おかげで私はより我がままになることから免れた、少しづつ我がままがとれた、現在の私は一枚の蒲団をしみじみ温かく感じ、一片の沢庵切をもおいしくいただくのである。

※表題句の外、12句を記す

―表象の森― Goodbye、ALTI‥

’91年から’00年まで毎年、隔年開催になったのは’02年からで、延べ14回、20年近く続けられてきた公募形式による「ALTI BUYOH FESTIVAL」が、一人の個人の死を契機としてどうやら終止符がうたれようとしている。

その個人とは船阪義一氏、昨年の6月29日、心臓動脈瘤破裂のため急逝した。元来は照明家であった彼が、その職業柄、関西の舞踊家たちの活動に広く目配りの利いた所為もあってと思われるが、京都府民ホール・アルティがオープンしてまもなく企画され、ディレクターとして地道に下支えをしてきたものだ。

思うに、この事業に入れ込んだ彼の奮闘ぶりなくしては、抑も成し得なかったであろうし、またこうまで持続し得なかっただろう。そしてそれゆえにこそ、彼の急逝をもって、一時代を画したとも言い得る「ALTI BUYOH FESTIVAL」も泡沫と消えゆくのだ。

それほどに、この国の、公共的文化事業というもの、なべて個人の負託に依っていることがあまりに多過ぎるし、いつまでたってもこの弊から抜け出せないでいる。

あな無惨やな、‥


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