山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

春の夜の夢の浮橋とだえして‥‥

2007-05-04 21:41:59 | 文化・芸術
0511291961

Information <連句的宇宙by四方館>

Information 林田鉄のひとり語り<うしろすがたの-山頭火>

-四方のたより- 一滴の水も‥‥

蒼天に新緑が映えて初夏の薫り満ちわたる時節だというのに、歌詠みの世界は「春」の項がなかなか幕とならない。
塚本邦雄選の「清唱千首」には秋の歌がもっとも多く採られ240首を数える。次いで春の歌が若干少なく222首である。
今回で<春-72>となるから、その倍の144首目で、なお78首を残すことになる。これもみな、始めた当座はほぼ毎日のように綴ってきたものの、このところ滞りがちとなってしまった私の思うに任せぬ日々のリズムの狂いの所為なのだから、誰を責めるわけにもいかない。
本書を採って、毎回2首をセットに紹介しつつ、ブログを綴りはじめたのは05年の10月3日からで、これで363回を数えるから、計726首をすでに掲載したことになる。その全容は、私のHome page「山頭火-四方館」からも見られるようにしてあるのだが、めでたく1000首をまっとうするのは来春のこととなるかもしれない。
それより以前、といっても移行期には重なり合いながら転じていったのだが、もっぱら山頭火の句を冒頭に据えて綴ったシリーズが299回、他に、馬場あき子の「風姿花伝」に依拠しつつ、世阿弥の能楽論の節々について綴ったのを、時折挿み込んできたが、これが18回だから、〆て680回。A4の紙ベースで1000頁を優に超える長大なものとなっている。
綴り始めたのは04年の9月15日だったから、今日時点で963日目。963/680なら1.42日に1回の頻度で綴ってきたことになる。
所詮、気紛れに任せた駄文の類にすぎぬとはいえ、継続は力というならば、まこと「点滴石を穿つ、一滴の水も集めれば湖水となる」の譬えの如くありたいものだが‥‥。


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<春-72>
 春の夜の夢の浮橋とだえして嶺にわかるる横雲の空  藤原定家

新古今集、春上、守覚法親王、五十首歌よませ侍りけるに。
邦雄曰く、建久9年残冬の仁和寺宮五十首は秀作目白押しで、春十二首中にも、「大空は椿の匂に霞みつつ曇りも果てぬ春の夜の月」や「霜まよふ空にしをれし雁がねの」を含む。源氏物語最終巻名「夢の浮橋」の幻を借景に、彼の理想とする余情妖艶の美を、完璧に描き盡している。12世紀末に、中世和歌のサンボリズムの一極点を示した、記念碑的作品、と。


 世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし  在原業平

古今集、春上、渚院にて桜を見てよめる。
邦雄曰く、逆説の頌春歌。伊勢物語第八十二段、惟高親王の交野の桜狩に従い、渚院の宴で、「馬の頭なりける人のよめる」歌として紹介される。春の憧憬の的は桜、花のために盡し、かつ砕く心はいかほどであろうか。この花さえなくば、いっそのことと、思いきった理論の飛躍を試みるところが、この歌の特色。古今和歌六帖等では、第三句「咲かざらば」、と。


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