Information<四方館Dance Cafe>
-今日の独言-
小学校時代の恩師を訪ねる
今日の午後は、小学校の恩師宅へ初めての訪問。藪から棒の如く昨日電話を入れてのことだが、さぞかし驚かれたことであろう。逢うのは二年半ぶり、というのも一昨年の春の同窓会以来という次第。その折、次回の幹事役を押しつけられる羽目になったので、三年後あたりに開くとすれば、喜寿のお祝いを兼ねてのことにしましょうか、などと話し合っていた。来年の春にせよ、秋にせよ、喜寿を祝うなどと構えるとなれば、些か仕掛けも必要かと思い、せめて恩師の個人史的なプロフィールぐらいは紹介できる形が望ましかろうと、その取材のため突然のお邪魔をと思い立ったのである。
先生は昭和5年生れの満75歳。20年ほど前に胃潰瘍で2/3の摘出手術をしたというが、術後はなんの問題もなくいたって健康そのもの。夫人にも初めての御目文字だったが、まことに気安い方で昔談義に興じると話題も尽きず口跡滑らか。およそ三時間、話題はあれこれと飛び交いつつ、たっぷりとお聞かせいただいて、はや釣瓶落としの夕刻ともなったので、名残りを惜しみつつ辞去してきた。
宿題ひとつ、そう慌てることもないけれど、年明け頃にはモノにしておきたいと思っている。
<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>
<秋-27>
浅茅原はかなく置きし草のうへの露を形見と思ひかけきや
周防内侍
新古今集、哀傷。平安中葉、白河・堀河期。白河帝中宮賢子は応徳元年九月薨去。その御殿は荒れ草ばかり茂っていたが、七月七日は梶の葉に歌を書く慣わしあり、童子が硯に、草の葉の夜露を取り集めているのを見て、という意味の長い詞書が添えられている一首。その露が27歳ばかりで早逝した中宮賢子の形見だったとは思い及ばなかった、と詠っている。邦雄曰く、並々の贈答歌とは異なる、澄み透ったあはれがにじむ、と。
染めやらぬ梢の日影うつりさめてやや枯れわたる山の下草
永福門院内侍
風雅集、秋下。室町中葉、伏見院の女御永福門院に仕えた。第三句「うつりさめて」の字余りのたゆたい、四句「やや枯れわたる」の微かな限定。邦雄曰く、自然観照の細やかさ、一首の微妙な時刻の移ろい、山野の眺めの照り翳りは特筆に価しよう。草紅葉することもなく、枯れ草となっていく、秋の終りの山ふところの八重葎の原の幻が、墨絵のように浮かぶ、と。
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