山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

越えてゆく山また山は冬の山

2010-03-12 21:49:10 | 文化・芸術
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-表象の森- 「宋=意」、士太夫・文人の書

・石川九楊編「書の宇宙」シリーズ-二玄社刊-、№14「北宋三大家」より

中国の書論には、「晋=韻、唐=法、宋=意、明=態」という、時代と書の特徴を比喩する言葉がある。
「晋=韻-晋代の書の本質は韻である-」という場合の「韻」の内実とは、強大で圧倒的な政治の陰に時折垣間見せる、老いや病苦をかこつこともできるようになった人間の意識によって裏づけられている。六朝時代の政治家を貴族と呼ぶが、この貴族とは、病苦や老苦さえ言葉にすることのできる政治家の別名である。

「唐=法-唐代の書の本質は法である」とは、神の代理人、あるいは神に仮託された王や政治ではなく、六朝時代に表現できるようになった人間的意識をまとめ上げて生まれた新しい国家と皇帝と法と政治の出現を意味している。唐の太宗皇帝が、王羲之の書を愛し、総合したのは、この流れの中の出来事であり、唐代の政治を貴族政治と表現するのはそれゆえである。

唐代の欧陽詢の九成宮醴泉銘は、漢代とは異なった政治を賛える文が刻り込まれている。そのような法と政治と国家を通過して、さらに一段ときめ細かな人間的な意識が涵養され姿を現わした書、それが「宋=意」である。そこでは、顔真卿に胚胎した意識をさらにおしすすめ、王羲之の段階よりもさらに一段進んだ人間的意識による政治的挫折のの詩-それは政治の中の非人間性-政治苦-を詠いあげることを意味し、政治の人間化が一段と進んだことを意味する-が書かれることになった。

「晋=韻、唐=法、宋=意」なる書論の背後にある姿を、書を通して考察すれば、前提、所与のものとして存在する圧倒的政治の下での、いわば政治戦略や戦術、方針の化身とでもいうべき政治家に、老苦、病苦など人間的意識が芽生え、表現できるようになったのが「韻」であり、それを背景として誕生する書体が、二折法=古代の草書である。そのような人間意識を宿すに至った政治家-貴族-や皇帝からなる新たな国家と法の形成を意味するのが唐の帝国であり、皇帝である。

草書体によって横画が右に上がることは、横画の右下方に手-作者=主体=人間-の存在を暗示し、つまりは、中国の政治家・官僚に新たな人間的意識が芽生えたことを証している。唐代に比類なき形で生まれた楷書が、後世の現在もなお基準となっているのは、横画水平の単なる政治文書とは異なり、この横画右上がりの草書体を吸収することによって成立しているからである。

宋代になると、士太夫や文人と言葉が新しい意味を盛るようになるが、これを、詩書画、あるいは琴棋書画を愛する知識人と、日本的に理解するのでは不十分である。苛烈な政治国家・中国の高級官僚政治家の中から、政治の中での挫折を手がかりに、人間的な苦悩にとどまらず、政治そのものの非人間性を詠う詩が生まれた。その言葉が人間の姿形をまとって出現した存在、つまり、反政治的、脱政治的人間、つまり人間的政治家の別名であって、日本で想像されがちな高等遊民の別名ではない。この種の新生の反および脱政治的人間の比喩が「意」にほかならない。そこに過度の緊張をもった初唐代の楷書とは異なる、抑揚をもった宋代の伸縮する筆触と、それによってもたらされる書も生まれたのである。

黄庭堅「黄州寒食詩巻跋」

Kohteiken03

東坡此詩似李太白/猶恐太白有未到
處。此書兼貌魯/公楊少師李西臺

Kohteiken04

筆意。試使東坡/復爲之。未必及此。它日
東坡或見此書。應/笑我於無佛處/稱尊也

蘇軾の「黄州寒食詩巻」の後に添えられた跋。
大意は「此の書-蘇軾の黄州寒食詩巻-は、顔魯公-顔真卿-、楊少師-凝式-、李西台-建中-の筆意を兼ね、試みにもう一度書いてみても、これほどのものは書けないだろう」と激賞している。

垂直筆が基調となった中に、<到>や<臺>などの草書風書体も交り、伏波神詞詩巻よりもさらにくだけた書きぶり。

文字の頭を左に倒した-右上がり構成の-<似>を、頭を右に倒した<李>で受けて均衡をとる構成は絶妙であり、均質な太さの垂直筆の<處>や<楊><少>には骨格芯の通った伸長感があり、また<李西臺><書應笑我>などの渇筆にも見所がある。

構成についていえば、第五画の横画を左に長く伸長した<意>の姿態には舌を巻く。

<復爲之>と縦に長い文字を連ね、一転して<未必及此它>と横長に綴っていく展開も見事の一語につきる、と。


―山頭火の一句― 行乞記再び -04-
12月25日、曇、雨、徒歩3里、久留米、三池屋

昨夜は雪だつた、山の雪がきらきら光つて旅人を寂しがらせる、思ひだしたやうに霰が降る。

気はすすまないけれど11時から1時まで行乞、それから、泥濘の中を久留米へ。

今夜の宿も悪くない、火鉢を囲んで与太話に興じる、痴話喧嘩やら酔つ払いやら、いやはや賑やかな事だ。

※表題句は、同前、12月31日付記載の句


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