山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

あるけばきんぽうげすわればきんぽうげ

2010-12-07 23:54:54 | 文化・芸術
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―表象の森― 不壊のものへ、捨身の生
辻邦生ノート「薔薇の沈黙-リルケ論の試み」より -壱-

「どのような小さなかけらのなかにまで、充実したレアリテ-現実-が存在する。どんな場所を歩こうと、僕にはよろこびがあり、愉悦があつた」と1907年6月にクララに宛てて書くとき、彼は<もの>の本質を透視し、いわばセザンヌが絵の中に封じこめた<もの>の生命観をセザンヌ展に先駆けて予感的に掴んでいたといっていい。このように「その日常的なリアリティは最終的な「絵画的な実存」のためにすべての重量を失っている」とセザンヌの絵画の本質を的確に示しえたのは「マルテ」をかかえたリルケが、同じ質のレアリテに達しようと苦悩していたからである。リルケはセザンヌが通念的な日常的現実の一切を排除し、物の本質へ迫るという意味での<即物性>に強く共感する。「最初はまずこの仮借なさから出発せねばならぬ。芸術の「見る」ということは、おそろしいもの、一見いとわしいもののなかに、「存在者」を見るまでの、苦痛な自己克服の道なのだ」。

この「自己克服」の対象となる自己とは、なお主観の圏内に真実を探し、自己を他者や<もの>たちに対する意味の根拠と信じる主体に他ならない。芸術家は「存在者」という「新しい祝福」-通念的現実の奥に見透かされる本質-に達するために、この自己を破壊・克服し、「あらゆるものと伍し、目立たず、言葉なく、孤独に生き抜く愛」に生きる。それは本質への捨身の生といってもいい。だが、この「苦しいこころみに耐える」ことができるのは、<もの>の運命を見ぬき、それを最後まで担ってゆく意志だけだ。主観性と結びつく愛をすら芸術家は越えてゆかなければならないことをセザンヌは教える。彼は愛を示すのではなく「愛も何もかも仕事の中に溶けてしまって、初めてかかる絶妙な<もの>が生れてくる」のを教えるのだ。リルケはセザンヌの絵の前で突然このことに気づく。自己をほとんど無と見なし、一切の評価、生活、愛を無視し、ただ「存在者」を掴み、それを作品という「不壊のものに高めるためのレアリザシオン」を貫くことーそれがセザンヌの仕事だった。リルケはセザンヌが叫んだ「他人のことにいらぬ心配はするな。君の仕事をはげんで強くなれ」という言葉を引用している。だが、それはよほどの忍耐と不屈の意志がなければ不可能な道だろう。

―四方のたより DANCE CAFÉ 2010 EVE

Dancecafe20101224web

―山頭火の一句― 行乞記再び -122
5月2日

5月は物を思ふなかれ、せんねんに働け、といふやうなお天気である、かたじけないお日和である、香春岳がいつもより香春岳らしく峙つてゐる。
早く起きる、冷酒をよばれてから別れる、そつけない別れだが、そこに千万無量のあたたかさが籠もつてゐる。
4里ばかり歩いて歩いて、ここまで来て早泊りした、小倉の宿はうるさいし、痔もよくないし、4年前、長い旅から緑平居へいそいだときの思出もあるので。-略-

今日の道はよかつた、いや、うつくしかつた、げんげ、たんぽぽ、きんぽうげ、赤いの白いの黄ろいの、百花咲きみだれて、花園を逍遙するやうな気分だつた、山もよく水もよかつた、めつたにない好日だつた-それもこれもみんな緑平老のおかげだ-、朝靄が晴れてゆくといつしよに歯のいたみもとれてきた。
麦の穂、苗代つくり、藤の花、鮮人の白衣。

此宿の田舎らしいところはほんたうにうれしかつた、水もうまかつた、山の水としてもうまかつた、何度飲んだか分らない、何杯も何杯も飲んだ、腹いつぱい飲んだ、こんなにうまい水はめつたに飲めない。-略-
今夜といふ一夜は幸福だつた、地は呼野、家は城井屋、木賃30銭、中印をつけて置くが上印に値する、私のやうなものには。

※表題句の外、12句を記す。

緑平居の糸田から香春町へ出ると、国道322号線に寄り添うように日田彦山線が走っている。

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Photo/香春岳全景、右手から一の岳、二の岳、三の岳

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Photo/一の岳の麓にある香春神社、その参道から社殿へ

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Photo/その鳥居からは一の岳が覗く


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