山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

考へてをれば燕さえづる

2011-03-03 04:03:35 | 文化・芸術
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―四方のたより― 春の日長に‥

「SOULFUL DAYS―逆縁-ある交通事故の顛末-」をひとまずは一書とし、読んでもらうには重きに過ぎるのを承知で、親類縁者や生前のRYOUKOと交友のあった人あるいは私の旧知の人々など180名ほどに、勝手ながら一方的に送ったのは1月も晦日近くだった。
それから一ヶ月余、はや3月になってしまったが、この間断続的ながらさまざまの反応があったし、なかには丁重な書面や思いもよらぬ供物まで届けられたりで、心にひとくぎりをつけるべし筈だったのに、送り主たちの心慮に恐縮しつつも、そのたびにふりかえっては些か沈潜気味となる日がくりかえされる。

一昨日、近くの仏具屋を尋ねて香炉を買い求めてきた。
供物として届けられた木箱入りの線香がそれも二つ、古い知友からのもので、ひとりは千葉に住む中高時代の同期生で半世紀近くも逢えぬままの友、もう一人は私が泉北に在る頃サンデー太極拳に集ってくれた仲間だから三十年来の知己。
このほどようやく調った机まわりなのだが、そこで日長おりふし線香を灯しては仄かな香りが室内に漂う。
壁に掛かった狩野芳崖の悲母観音が微かな笑みを投げかけている。

Hibokannon
Photo/狩野芳崖の悲母観音図軸装より

<日暦詩句>-22
薔薇いろの鉱石質の陽がはいまわる。
いま地上には、
下界をおおいつくそうとする灰色の湿地がはびこる。
それはおれたちのえいえいとしたいとなみの何億倍かの速度で殖える。
しかし、ああ、おれたちがその不毛の影を消す悲願を持ちはじめてから久しい。

おれたちはあの日以来二本の足で歩きまわることをやめた。
さればといつて手の長さと脚の長さのちがつてしまつたおれたちは、
もう四足で歩くことは永久に御免だ。
おれたちは二本の手を
それが最大の忍従のように、べつたりと前へ突き、
嬉しそうに膝ではいずりまわる。
  ―安東次男詩集「蘭」所収「死者の書」より

―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-155
6月12日、同前。

曇、今日から入梅。
山を歩いて山つつじを採つて戻る、野の草といつしよに、―花瓶に活けて飽かず眺める。
川棚名物の「風」が吹きだした-湯ばかりが名物ぢやない-。
16銭捻出して、11銭は焼酎1合、5銭は撫子一包、南無緑平老如来!
リヨウマチ再発、右の腕が痛い。

※表題句の外、7句を記す

020202009
Photo/’02年2月、高砂市にある山頭火句碑の園にて、抱かれたKaorukoはまだ生後4ヶ月だったか


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