山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

暮れもあへず今さしのぼる‥‥

2005-11-15 16:20:32 | 文化・芸術
041219-036-1
Information<四方館Dance Cafe>

-今日の独言-

勅撰集編纂の背景
 今様を好んで「遊びをせんとや生れけむ」で知られる「梁塵秘抄」を集大成した後白河院は、平安末期から鎌倉期へと転換する源平の動乱期に、時の院政者として君臨、源平のあいだや或は頼朝と義経のあいだにあって老獪な駆引きに暗躍したが、丸谷才一の「新々百人一首」によれば、自身は和歌を嫌い殆ど嗜まなかったにも拘らず、戦乱のただなかに勅撰集の院宣を出し、そうして成ったのが「千載集」とのことである。この背景には当時の都の荒れようや疫病の流行などがあり、それも20年程前に讃岐に流されそのまま配所で恨みを残しながら死んだ崇徳院の怨霊による祟りと解され、和歌を能くした崇徳院鎮魂のため、生前所縁の深い藤原俊成を選者の筆頭にして編纂させたという経緯が事細かに活写されていて、とても面白かった。日本書紀の国史編纂にしろ、代々の勅撰和歌の編纂にしろ、その裏にはどんな生臭いことどもが隠されていることか、なかなかに興味の尽きないものがある。


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-33>
 暮れもあへず今さしのぼる山の端の月のこなたの松の一本(ひともと)
                                 花園院


風雅集、秋。南北朝動乱期の13世紀前期、後二条天皇崩御のあと12歳で践祚。すっかり暮れ切ることもないまま今さしのぼった山の端の月、眼を転ずれば、その光を受けて佇立する一本の松の大樹。邦雄曰く、月明りの松一本に焦点を合せて、まさに「直線的」に、すっくと立ち、詠いおろした珍しい調べ。「今」の一語で臨場感、生き生きとした現実感をさへ添えたあたり、この時代の美しい曖昧調のなかで、ひときわ目立つ、と。

 秋も秋今宵もこよひ月も月ところもところ見る君も君
                                 詠み人知らず


後拾遺集、秋、題知らず。一説に八月十五日夜、宇治関白藤原頼通の高陽院で、叡山の僧光源法師が下命によって詠んだ歌との後註が添えられている。邦雄曰く、同語反覆によって抑揚の強い響きを生み出し、稀なる効果を見せた。結句の「君」は勿論関白を指すが、「これぞ最高無二のもの」と述べるのを省いて、挨拶歌としてより以上の強調を果たしえている、と。

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