山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

冬の夢のおどろきはつる曙に‥‥

2006-02-04 15:00:43 | 文化・芸術
Ishida-0602-w

Information-Aliti Buyoh Festival 2006-

-今日の独言- 石田博、絵と陶器の個展

 陶芸家であり画家でもありつづける石田博が「大自然を臨書する」と銘打った個展をする。
来週の月曜(2/6)から11日(祝)まで、大阪は西天満、裁判所西横のマサゴ画廊にて。
 彼と私は同年だが、育ちも経歴も異なり、直接言葉を交し合うようになったのは40歳も過ぎてからである。ところが初めて会った時から、彼は私のことを子どもの頃からの愛称である「テッチャン」と呼んでいた。私がまだ二十歳前後の頃の舞台をいくつか観ていたというし、私は私で、親しいスタッフとして付き合ってきた仲間内のような友人に彼は深くつながっていたのである。お互い直接見知りあうことはなかったが、まったく同時期に京都で学生をしていたし、60年代という同じ時代を同じ環境で生きており、そこから派生する共有域は意外に深く濃密なものであり、お互い自分たちの背後に遠くひろがる共通の過去を蘇らせつつ、話を弾ませものだ。
 彼は長らく寝屋川高校の美術教員をしながら、地域の文化活動において仕掛け人の一人としてリーダー的存在であった。府の教員を辞して、陶芸家として専念するようになったのは十年余り前だろうか。彼は自分の作品を焼く釜にサン・イシドロ窯という耳慣れない名を冠せているが、その名の由来は、どうやら彼が昔、半年ほど滞在したというスペインに発するらしい。サン・イシドロとは自然や農耕の恵みに関して多くの奇跡をもたらしたという伝説の農業守護神であるという。また、スペインといえば闘牛だが、一番の権威ある著名なものがマドリッドのサン・イシドロ祭とのことで、成程、彼らしい名づけだと頷かされる。
 個展の案内ハガキに刷られていた写真の絵は唐古遺跡と但書きされている。
今なお陶芸と絵画の二河両道をゆく、驚くほどの繊細さと大胆さを併せもつ奇異なるアーティストである。
陶器と絵画の作品たちによるコラボレーションが、訪れる者たちにきっと後出「おどろきはつる曙」の効を発することだろう。


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>
 春立ちぬ、またも強い寒波到来だが暦のうえではすでに春である。この頁も今日からは春の歌を採ってゆくことにしよう。

<春-1>
 冬の夢のおどろきはつる曙に春のうつつのまづ見ゆるかな
                                    藤原良経


秋篠月清集、百首愚草、西洞隠士百首、春二十首。
西洞隠士とは摂政良経の雅号、他に、南海漁夫、式部史生秋篠月清、の号あり。おどろきはつる-眼を覚ますの意を有する。
邦雄曰く、新古今集仮名序作者、摂政良経20代の作。冬・春・夢・うつつの照応鮮やかに、迎春のときめきをうたった。だがこの春は必ずしも爛漫の時を暗示していないところに、作者の特徴あり、と。


 うつりにほふ雪の梢の朝日影いまこそ花の春はおぼゆれ  光厳院

光厳院御集、冬、朝雪。
邦雄曰く、「朝雪」、陽に照り映える雪景色に一瞬花盛りの頃の眺めを幻覚する。三句切れから「花」にかかるあたり、一首が淡紅を刷いたように匂い立つ。品位と陰翳を併せもつ歌風は出色、と。


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