『本能寺の変 431年目の真実』の第1章「誰の手で定説は作られたか」の「定説を固めた高柳光寿神話」(47~54頁)及びエピローグ(321~324頁)に書いたことを補完するような記載が三鬼清一郎氏の本に書かれていましたので抜粋してご紹介します。
『豊臣政権の法と朝鮮出兵』三鬼清一郎著、2012年11月
「補章 近代史学史における信長・秀吉像」より抜粋
このような(秀吉の朝鮮出兵が「国威の発揚」として高い評価が与えられた)兆候は明治末年から現れている。日露戦争の最中に刊行された『弘安文禄征戦偉績』は、その前年に東京帝国大学史料編纂掛が行った展示会をもとにしたもので、戦地の部隊や傷病兵を収容する病院に寄贈し、また国内の学校で修身や歴史の講話に役立てる目的をもっていた。秀吉の朝鮮出兵は、国民あげての戦意高揚に利用されていったのである。このような流れの先陣をきったのが官学アカデミズム史学であることは、記憶にとどめておくべきあろう。(中略)
敗戦後の歴史学(仮に現代史学と呼ぶが)は、これの全面否定から出発した筈であるが、戦前期の「負の遺産」についての断片的な批判にとどまっているのが現状であろう。それをトータルに批判する視点を確立することが、新たな段階にすすむための前提になるように思われる。
高柳光寿神話も「官学アカデミズム史学」の「負の遺産」ということです。正に「トータルに批判する視点の確立」が不可欠です。歴史学界内部からの指摘ですので大いに期待しております。
>>> 軍神豊臣秀吉が歪めた本能寺の変研究
>>> 愛宕百韻:桑田忠親・金子拓両博士の怪
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>>> 本能寺の変当日に発生した謎が解けるか
『豊臣政権の法と朝鮮出兵』三鬼清一郎著、2012年11月
「補章 近代史学史における信長・秀吉像」より抜粋
このような(秀吉の朝鮮出兵が「国威の発揚」として高い評価が与えられた)兆候は明治末年から現れている。日露戦争の最中に刊行された『弘安文禄征戦偉績』は、その前年に東京帝国大学史料編纂掛が行った展示会をもとにしたもので、戦地の部隊や傷病兵を収容する病院に寄贈し、また国内の学校で修身や歴史の講話に役立てる目的をもっていた。秀吉の朝鮮出兵は、国民あげての戦意高揚に利用されていったのである。このような流れの先陣をきったのが官学アカデミズム史学であることは、記憶にとどめておくべきあろう。(中略)
敗戦後の歴史学(仮に現代史学と呼ぶが)は、これの全面否定から出発した筈であるが、戦前期の「負の遺産」についての断片的な批判にとどまっているのが現状であろう。それをトータルに批判する視点を確立することが、新たな段階にすすむための前提になるように思われる。
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高柳光寿神話も「官学アカデミズム史学」の「負の遺産」ということです。正に「トータルに批判する視点の確立」が不可欠です。歴史学界内部からの指摘ですので大いに期待しております。
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明智 憲三郎 | |
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