あかない日記

写真付きで日記や旅行・趣味を書き留める

ポルトガル紀行14 ヴィアナ・ド・カステロ14 雄鶏ガロ   

2019-04-15 | ポルトガル紀行

 

 

  ヴィアナ・ド・カステロのお土産を買おうと
  雑貨店に入ると 最初に目に留まったのが 
  このポルトガルのマスコットシンボル雄鶏(ガロ)が
  縫い込まれた
タオルのセットでした。

 

      

         取集している指ぬき

  

     ガロの発祥の地は 

  この町とポルトとの中間に位置する町バルセロス。


  「バルセロスの雄鶏」という伝説がある。
  昔、サンチャゴ・デ・コンポステーラに
  詣でる途中で村を訪れた巡礼者が

  無実の罪をきせられ死刑を宣告された。

  刑に処せられる前 巡礼者は判決を
  下した裁判官のところに行き

  そこで テーブルの上にあった鶏の丸焼きを指さして
  「私は無実であるという証拠に 刑が処刑されるとき
  この鶏が鳴くだろう」と言った。
  
  まさに 処刑されそうになったその瞬間

  本当に鶏が鳴き、これによって巡礼者は
  ただちに釈放されたというもの。

 

 


ポルトガル紀行13 ヴィアナ・ド・カステロ13 ケーキ屋   

2019-04-14 | ポルトガル紀行

 

 

  レプブリカ広場へ続く
  マスエル・エスプレゲイラ通りに
  行列があったので行ってみた。

  ショーウインドーを覗くとお菓子屋さんだ。

   そうだ!この町の名 「カステロ」
  というと“カステラ”。

  ポルトガルはそのカステラの
  原型になったと言われる菓子

  パオン・デ・ローを生んだ国。

  このパオン・デ・ローは中が半熟でトロリと
  甘いふんわりしたケーキのようなお菓子。

   この店 お菓子の有名店で
  パオン・デ・ローを求めて

  1日午前と午後 2回行列ができ完売とのこと。


   


    ショーウインドウには
      おいしそうな菓子が並ぶ。

 

 

  

 カテドラル脇にあるカフエ「Confeitaria a Brasileira」

 この地方の名物であるお菓子やペストリーで
 有名な店とガイドの説明があった。

 店内は満席でした。

 


ポルトガル紀行12 ヴィアナ・ド・カステロ12 嘆きの聖母巡礼祭   

2019-04-13 | ポルトガル紀行

 

 

  街のショーウインドーに
  
     民俗衣装をまとった女性像があったが

  ここヴィアナ・ド・カステロでは 
  
     毎年8月の3日間「嘆きの聖母巡礼祭」
  
   (別名:ロマリア祭)が行われる。 


  フラワーカーペットで華やかに飾られ道を
  聖母像を神輿に載せて町中を行進した後
  
漁師が海からより大きな恩恵を得られるようにと
  聖母像を船に乗せて海に出ていく。

 
  ほかに民俗衣装のパレード、民俗舞踊、
  コンサート、牛追い、花火大会、
     ミサなどが行われる。

  女性像はその時の赤の衣装で 
      他に緑、青、黄色、黒もある。


  民俗衣装は ハンドメイドで 
      代々親から子へと受け継がれる。

      

                

 

 


  レプブリカ広場の入り口にも 
     衣装博物館があって

  嘆きの聖母の祭りで着用される民俗衣装をはじめ 
  色の違いなど各地の特色のある衣装を
      展示しているという。

  このような民族衣装は
     ポーランド (2018・7・6)でも

  触れたことを思い起こす。

 

 

 


ポルトガル紀行11 ヴィアナ・ド・カステロ11 カテドラル    

2019-04-12 | ポルトガル紀行

 

 

  旧市庁舎脇 サカドゥラ・カブラル通りを
  進んだ左側に カテドラルがある。

  ヴィアナ・ド・カステロ・大聖堂は
   17世紀のゴシック様式教会で 

  何世紀にもわたって存在し続けるが 
  1977年にローマ法王パウロ6世が
  ヴィアナ・ド・カステロの教区を設立し

  教会からカテドラルに格上げした。

  外観はロマネスクに着想を得た、
  要塞化された教会の風貌を残している。

  正面にはロマネスク様式の塔が2本堂々と並び
  その間に建物本体が収まっている。



    

 

  村と地域の伝統に最もつながりの深い6人の使徒
   (聖ペトロ、聖パウロ、聖ヨハネ、聖バルトロマイ、
  聖ヤコブ、聖アンデレ)の
彫刻が
  大聖堂の玄関を守るように配されている。


 

             主祭壇

  中は3つの身廊で構成されており
  洗練された装飾が目に付く。


     

        鮮やかな金泥細工の飾り

 

 


ポルトガル紀行10 ヴィアナ・ド・カステロ10 旧市庁舎    

2019-04-11 | ポルトガル紀行

 

 

  レプブリカ広場に旧市庁舎が残されている。

  16世紀に建てられたゴシック様式の建物で

  一階ではパンが売られていたという。


  レプブリカ広場にあって 旧庁舎の前の噴水
 
  左隣にあるミゼリコルディア教会とともに

  旧市街の観光に一役かっている。

 

 

 

  庁舎裏の外階段は

  かつて町の議会の集会所として

  使われて2階へとつながっている。

 

 

 

  なお 現在の市庁舎は

  ミゼリコルディア教会の脇の通り


  右側奥 駅前にある。

 

 


ポルトガル紀行9 ヴィアナ・ド・カステロ9 ミゼリココルディア教会    

2019-04-10 | ポルトガル紀行

 

   バルコニーの彫刻が美しい

  

 

  旧庁舎脇にある ミゼリココルディア教会

  16世紀に建てられたルネサンス建築の
  病院に隣接している。
  
  1714年に再建されている。

  マヌエル・ピント・デ・ビラローポスにより
  1714年に再建され、内部はアズレージョで
  壁面一面に覆われている。 

 

   


  ということで入場しようとしたら入口は閉まっている。
  残念! このような時ほど入りたがるもの。
   Web資料で拝見です。

 

 


ポルトガル紀行8 ヴィアナ・ド・カステロ8 レプブリカ広場   

2019-04-09 | ポルトガル紀行

 

 

                レプブリカ広場


  リベルダーテ広場から 街中心部 
  ビコタ通りを進みレプブリカ広場へ

  16世紀の建物やカフエに囲まれた
  レプブリカ広場がある。

  16世紀まで、この町は完全に一般市民のもので、
  貴族はここに住むことが禁じられていた。

  その禁がようやく解けた時、ヴィアナには突如
  宮殿、教会、修道院、噴水などが造られ

  美しく活気あふれる街に変容し、
  陽気で根強く残る市民の伝統が
  今も豊かに保たれている。

 

 

 


  レプブリカ広場の東 旧市庁舎前に
  1533年に造られた 
  天球儀と十字架のついた噴水がある。

 

 


ポルトガル紀行7 ヴィアナ・ド・カステロ7 病院船  

2019-04-08 | ポルトガル紀行

 

      ジョアン・アルヴァレス・ファグンデス像とギル・イアンヌ病院船

 

  港に船が係留されていたが
  この船 病院船だという。


  1955年にヴィアナ・ド・カステロの
  海軍造船所で建設された

  ギル・イアンヌ病院船
  (Navio Hospital Gil Eannes)は

  前回触れた ジョアン・アルヴァレス・ファグンデスが
  開拓した航路 
ニューファンドランド島と
  グリーンランドの沿岸で
北方の冷たい海に住む
  鱈を求めて操業する
ポルトガルのタラ漁の
  漁船団を数十年間支えてきた。


  現在 博物館ユニットと海洋センターに転換し
     記念艦となって
公開されている。

 

 


ポルトガル紀行6 ヴィアナ・ド・カステロ6 ジョアン・アルヴァレス・ファグンデス   

2019-04-07 | ポルトガル紀行

 

 

  リベルダーデ広場に 
  
      海に向かって大きく羽ばたくような人物像があった。

  エンリケ航海王子かと思ったが
  
     像は この地ヴィアナ・ド・カステロ出身の
 
   探検家であり、船主でもあった
 
   ジョアン・アルヴァレス・ファグンデス
  (João Álvares Fagundes)である。

  
     彼は 北大西洋のニューファウンドランド周りの
  
     航路を開拓(1520年)しており


  ポルトガルで様々な鱈料理が

  生まれる道を開いている。

  この町ヴィアナは海と切り離すことはできなく

  70隻の商船を擁していた時もあり

  大航海時代(15~16世紀)には


  ガリオン船や小型の帆船が

  ヴィアナで造船されて出航し


  インドや南北アメリカへの航路を回って

 
   砂糖、黒壇、象牙などの異国の
 
   品々を満載して帰港している。

 

 

 

 




ポルトガル紀行5 ヴィアナ・ド・カステロ5 カーネーション革命  

2019-04-06 | ポルトガル紀行

 

 

  リベルダーデ広場には 
  もう一つ 大きな構築物があった。


  駅前通りの突き当り 
  広場の一角にモニメントがある。

  1974年4月25日 ポルトガルで起こった
  軍事クーデターを記念したもの。

  軍事クーデターは 約半世紀にわたって続いてきた
  サラザール独裁体制を崩壊させた。


  若手将校たちが無血でこの革命を成功させ
  兵士らの銃口にカーネーションを刺したことから
  カーネーションが革命のシンボルとして
  「カーネーション革命」ともいわれている。


  1968年の「プラハの春」に倣ってか
  「リスボンの春」ともいわれる。

  現在ポルトガルでは4月25日は
  「自由の日」として国民の祝日となっている。


  その25年周年を迎えた 
  1999年に記念碑として建てられた。

  高さ16m 幅7.5m 腐食から保護する鉄系の
  外層で覆われた鋼鉄製という。

   また イベントがあるときは
  モニメントの周りに いくつかの噴水が立ち上がり

  ライトアップされるという。

 


ポルトガル紀行4 ヴィアナ・ド・カステロ4 リベルダーデ広場  

2019-04-05 | ポルトガル紀行

 

 

 サンタ・ルジア山から下り 街の川辺
 リベルダーデ広場へ 

  この広場は フェルナンド・タヴォラ(1923-2005)が設計
 
公共図書館は アルヴァロ・シザ・ヴィエイラ(1933-)の設計
 
写真の 文化センターは ソウト・モウラ(1952-)の設計

  また街中では カヒーリョ・ダ・グラサ設計のユースホステル
  ジョルジ・アルブケルケ設計のホテル・アクシス

  等と ポルトガルの現代建築家が
  この町の施設や空間を設計していることから
「建築のメッカ」とも
呼ばれている。

     追:建築界のノーベル賞ともいわれる
   「プリッカー賞」(1979創設)を
    1992年 シザ・ヴィエイラ
    2011年 ソウト・モウラ が受賞している。

  なお 1987年の丹下健三をはじめ
    日本人8名も受賞している。

 

     リベルダーデ広場からみた街並みと 
      先ほどのサンタ・ルジア教会が望める。


ポルトガル紀行3 ヴィアナ・ド・カステロ3 サンタ・ルジア教会 

2019-04-04 | ポルトガル紀行

 

         サンタ・ルジア山頂 サンタ・ルジア教会

 

 教会の名「サンタ・ルチア」は 
 サンタ(聖)ルチアの名で知られるキリスト教の殉教で

 目、及び視覚障害者、
   そしてシラクサの守護聖人からのようだ。

  ルチアは ローマ帝国がキリスト教信者の
 迫害を行っていた時代の女性で

 キリスト教徒であるがため密告され、
 拷問として、両目をえぐり出された。


 それでも ルチアは目がなくとも
 見ることができた奇跡が起きた。


 絵画や像では、彼女はしばしば黄金の皿の上に
 自分の眼球を載せた姿で描かれる。

 ディオクレティアヌス帝支配下の
 シラクサで304年に殉教した。

   また この聖人は ナポリの船乗りたちの
   守護聖人でもあり、

 サンタ・ルチアという有名なナポリ民謡も作られている。
 「ルチア」とはラテン語で光を意味する
 LuxまたはLucidから派生した名前である。
                 (ウィキペディアから)


 ネオ・ビザンチン様式のサンタ・ルズィア聖堂の建築は
 半世紀をかけて1959年に完成している。  




                       主祭壇
  
      陣内も ネオ・ビザンチン様式によるのか
  他の聖堂とは違う雰囲気が感じられる。
     壁面には キリストの処刑の場面が
     スライドのように描かれている。
  少々小さいが 

  サンティアゴ・デ・コンポステラ大聖堂で
     見た香炉も見える。 

 

 


ポルトガル紀行2 ヴィアナ・ド・カステロ2 サンタ・ルジア山  

2019-04-03 | ポルトガル紀行

 

    街中心地から望むサンタ・ルチア寺院とポサーダ


  ヴィアナ・ド・カステロ 町の北に
  標高249mのサンタ・ルジア山が控えている。


  最初の観光はこの山へ

  山頂にはパリのサクレ・クール寺院の影響を受けて
  建てられたサンタ・ルチア寺院がある。

 
  この寺院前の展望テラスからの眺望は
  波寄せる大西洋 リマ川に面した街全体が
     見えすばらしい景観だ。

         ケーブルカー麓駅

   我々は バスで登ってきたが
   街の中央からケーブルカーでも登ることができる。

     ケーブルカーは 2005年に開設し
   国内で一番長い 650mの距離を7分ほどだが

   シーズンオフのためか 運休しているようだ。

 

 

 


ポルトガル紀行1 ヴィアナ・ド・カステロ

2019-04-02 | ポルトガル紀行

 

 

  サンディアゴ・デ・コンポステラから約 180km
  ポルトガルに入国し 一番目の観光は
  ポルトガル北部を流れるリマ川の河口にある都市
  「ヴィアナ・ド・カステロ」
  別名「リマの女王」と呼ばれる。
  
  毎年 8月には  ロマリア祭が
  開催されることで有名である。

   1253年 アフォンソ3世が町を  
   建設したことに歴史が始まる。

  
  大航海時代ポルトガルの出港地の一つとなり

  ここを母港に大航海に乗り出す航海者が多かった。

  多く残る文化遺産は 
  この大航海時代に建設されたものが多い。


  人口約 9万人 主たる産業は 観光と
  現在ポルトガル海軍のドックを持つことから
  造船業になっている。


 

 

 

 


スペイン紀行 32 国境  

2019-04-01 | スペイン紀行

   

          ビーゴ湾に架かるロンデ橋

  
  スペイン サンチャゴ・デ・コンポステーラから

  巡礼路・ポルトガル人の道
  
  ポンテペドラ ビーゴ湾・ロンデ橋を経て
  
  国境のミーニョ川を渡り

 
  ポルトガルへ向かう。

 

   ビーゴ湾に面したビーゴの街 
    左の小高い丘はモンテ・ド・カストロ(城塞跡)


  
  ビーゴは、ポルトガルの国境手前
  スペイン・ガルシア地方の大西洋に面した
  
人口約30万人の港湾都市。

  岬と入り江が複雑に入り組んだ
  リアス式海岸が続く風光明媚なところ。

  ビーゴ湾は  スペイン語で  ”リア・デ・ビーゴ”。
  
  リアス式海岸の ”リアス”は  ここからと言われている。
  リアスは リアの複数形。


  ビーゴ湾は植物プランクトンが豊富で
  魚介類が多く 
  
特に ムール貝の養殖では世界的な産地であり
  スペイン最大の漁港となっている。

   
     ビーゴ湾ではかつて 
有名な戦闘が二回あった。
 
    スペイン・イギリス間のビーゴ湾の海戦。
  もうひとつは、サンパイオ橋の会戦(1809)で
  スペインとナポレオン軍との戦いがあった。


  

        ミーニョ川を挟んで国境

 
  国境を越えると ポルトガルのヴィアナ・ド・カステロ県

  
  その県都 ヴィアナ・ド・カステロを目指す。