あかない日記

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小説家 子母澤寛

2020-07-19 | 人物忌


(日本経済新聞 2003/8/30)

 

7月19日は 
小説家 子母澤 寛 が
亡くなった日 享年76

子母澤寛は
1892(M25)年2月1日
 北海道石狩郡厚田村
(現石狩市)に生まれる。
 本名梅谷松太郎  祖父母に養育された。
 画家三岸好太郎は 異父弟にあたる。
 
  祖父梅谷十次郎(通称斎藤鉄五郎)は
  彰義隊生き残りで五稜郭にこもり
  後に漁師の網元になる。

  この祖父の育てられたことが
  後の文学にも影響している。

1914(T3)年 明治大学法学部卒業。
   釧路毎日新聞社入社
1918(T7)年 上京し読売新聞社に入社
1926(S1)年 東京日日新聞社に転籍
1928(S3)年「新選組始末記」
1929(S4)年「新選組遺聞」
1932(S7)年「新選組物語」

 新選組三部作は 史実と巷説を
 現地踏査によって再構成し
 新選組の隊士らの実相を描いた。
 また「国定忠治」など
 股旅ものにも新境地を開いた。

1933年(S8)以来 文筆専業となる。
1955~56(S30-31)年
 勝小吉・麟太郎(海舟) 父子を
 描いた「父子鷹」
1959(S34)年 高橋泥舟の生涯を
    綴った「逃げ水」
1960(S35)年「おとこ鷹」
1961(S36)年 随筆集「ふところ手帖」
1962(S37)年 幕末遺臣と江戸への挽歌を
   点綴した一連の作品により
    第10回菊池寛賞を受賞
1968(S43)年7月19日没。





新選組の母体ともなった
近藤勇の道場「試衛館」跡が
東京・新宿区市谷柳町にある。

なお 跡地については諸説あり。
子母澤寛の「新選組始末記」では
小石川になっている。

この道場は 1839(天保10)年
新選組局長の近藤勇
(1834-1869)の
養父である天然理心流3代目
近藤周助が創設し、
1861(文久元)年 近藤勇が
4代目として後を継ぐ。

その後 近藤勇が上洛するが
三代目が亡くなる
1867(慶応3)年まで存続した。

近藤勇が道場主の頃は
新選組の中核をなす門弟の
 土方歳三(副長)
 山南敬助(副長)
 沖田総司(一番隊組長)
 井上源三郎(六番隊組長)
食客の
 永倉新八(二番隊組長)
 原田左之助(十番隊組長)
 藤堂平助(八番隊組長)
らが名を連ねていた。

 



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