旧岩崎邸
12月2日 岩崎久弥に触れたが
その邸宅が台東区池之端にある。
1896(M29)年
岩崎久彌によって洋館と和館を
併設した新しい屋敷が建てられた。
その後の約50年間、新しい洋館と和館は
岩崎家の本邸として使われたが、
終戦を迎えるとGHQに接収されていた。
2001(H13)年
「旧岩崎邸庭園」は
東京都に移管され後、
都立公園として開園している。
現在の「旧岩崎邸庭園」に
残されているのは、
洋館と和館の一部、撞球室、
庭園の一部だけになっている。
内部は撮影禁止になっていた。
1961(S36)年
洋館と撞球室が重要文化財に指定
1969(S44)年
和館大広間と洋館東脇にある
袖塀が国の重要文化財に指定
1999(H11)年
宅地、煉瓦塀、実測図が
国の重要文化財に指定
庭園から眺める洋館
洋館の前は大名庭園の形式を
一部に踏襲した和洋併置式の
芝庭になっており
近代庭園の初期の形をしている。
洋館ベランダに並ぶ列柱は
1階がトスカナ式
2階はイオニア式の装飾が施されている。
洋館は木造2階建て、地下室付
イギリス17世紀初頭の
ジャコビアン様式を基調とし
明治洋風建築を代表する建物。
その設計は、
英国人ジョサイア・コンドル
(1852-1920)が手がけた。
コンドルは現在の東京大学工学部建築学科の
初代教授に就任
本格的な西洋建築の教育を行い
多くの人材を育成した。
門下生には東京駅を設計した辰野金吾や
赤坂離宮を設計した片山東熊など
著名な建築家がおり
日本建築界の礎が築かれた。
和館
和館は書院造りを基調とし
棟梁は財政界の大立者たちの
屋敷を数多くてがけた
大河喜十郎と伝えられている。
和館内には橋本雅邦が下絵を描いたと
伝えられる障壁画が残っている。
スイスの山小屋風の造りの撞球場
洋館と地下通路で繋がっている。
重要文化財 「袖塀」
岩崎家の家紋である
「重ね三階菱」の意匠は
三菱の社章の基となった。
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