あかない日記

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写真家 植田正治

2022-07-04 | 人物忌

 

 7月4日は 
 写真家 植田正治が 亡くなった日

 

植田正治は

1913(T2)年 
  鳥取県西伯郡境町(現・境港市)
 履物製造小売業を営む父・植田常寿郎
 母・ミヤの二男として生まれる。
1931(S6)年 
 鳥取県立米子中学校(現・米子東高校)卒業
 米子写友会入会
1932(S7)年 
 増谷麟の世話により
 東京・オリエンタル写真学校に入学
 3ヶ月間通う。  

 帰郷し 自宅で植田写真場を開業
1937(S12)年 
   中国写真家集団創立同人となる。

1946(S21)年 
 戦後第1作「童」が
 朝日写真展覧会特選に入選
1947(S22)年
 写真グループ「銀龍社」に参加
1955(S30)年
 二科会写真部会員となる。
1958(S33)年 
 ニューヨーク近代美術館での
 エドワードスタイケンによる
 企画展に「雪の面」を出品
1975(S50)年
 九州産業大学芸術学部写真学科
 教授(待遇)に就任(~1994年)
1978(S53)年
 フランスから
 アルル・フォト・フェスティバルに
 招待される。

 作品数点がフランス国立図書館の
 コレクションに入る。
1993(H5)年
 東京で大規模な個展を開催
1994(H6)年
 フランス文化庁が20作品購入
1995(H7)年
 鳥取県岸本町(現・伯耆町)に
 「植田正治写真美術館」開館

 作品12,000点を収蔵
 建物は建築家 高松伸の設計により
 館内から大山を真正面に望み
 「逆さ大山」を写す人工池がある。

1996(H8)年
 フランスから芸術文化勲章を受章

2000(H12)年
 死去 享年87

このポスターは
2014
年島根に旅行したとき見かけたもの。

当方が初めて植田正治を知ったのは
2013年にNHKで放映された
「写真する幸せ~
   植田正治・UEDA-CHOの秘密~”であった。

植田は 生涯 故郷鳥取にとどまり
砂浜や砂丘を大きなホリゾント
(背景の幕)に見立てた
独特の「演出写真」を撮り続け 
その作風が「植田調」と呼ばれ 
海外でも そのまま「UEDA-CHO」と
表記されるほど 世界で
その名を知られる写真家となった。

特に フランス国立図書館が買い上げた
植田のオリジナルプリントの存在が
35年ぶりに明らにされていた。

 

        (参考:ウィキペディア ほか)

 

 



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