「津波警告の碑」
西側の「津波警告の碑」 右側は往時のもの (東京・江東区深川牡丹)
4月20日掲載の大地震(23)「天災は忘れたころに来る」の戒めは
なんと 江戸時代にも 「津波警告の碑」 としてあった。
1791(寛政3)年の大津波で多数の犠牲者を出したことから
幕府は 深川付近を空き地にし これより海側に人が住むことを
禁じた警告の碑を 西と東の2箇所に建てた。
現在 西側の碑は 平久橋西詰め北側に
また東側の碑は 洲崎神社の境内にある。
今回の東日本大震災でも 岩手県・宮古市の「大津波記念碑」には
「高き住居は児孫の和楽 想え惨禍の大津波
此処より下に家をたてるな・・・」とあり その戒めを守り通してきた
先人たちのおかげで 今回の災難に逢わなかったことが
ニュースにあった。
寺田寅彦の「天災と国防」の一節に
『 昔の人間は 過去の経験を大切に保存し蓄積して その教えに
たよることがはなはだ忠実であった。 過去の地震や風害に
堪えたような場所にのみ集落を保存し、時の試練に堪えたような
建築様式のみを墨守して来た。 それだからそうした経験に従って
造られたものは 関東震災でも多くは助かっているのである。 』
しかし 現在の東京はどうだろうか?
海・河ぎりぎりに そしてゼロメートル地帯に人家が建ち並ぶ・・・
この 後世への警告を 完全に無視している。
洲崎神社周辺→ http://yj.pn/TyYD2m