あいらのひみつ箱

2006年の年明けとともにジュリーに堕ちました。日の浅いファンが 勝手な思いを書き連ねるゆるいブログです。

2/8 ニッポン放送「ごごばん!」にピーが出演②

2011-02-10 12:00:00 | テレビ・ラジオ
※この記事はめずらしくww予約投稿です。
 夜中に頑張って書いたので、いつもよりちょっと早く、お昼にUPしてみようかなと。

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数分のCMを挟んで、後半開始です~
いやいや、それにしても、ピーってばけっこう早口ですわ。
じゅり出演のラジオ書き起こしより、難儀したような気がします。

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「さあ、今日のですね、ニッポン放送ごごばん!は、瞳みのるさんにお越し頂いてます。ザ・タイガースのドラムス担当で、40年間ずっとこういうところにはまったく、ご登場されなかったということで、緊張されてると」
「ハハハ・・・」
「でもあの・・・」
「出席とって頂ければ(笑)ハイって」
「でも、さっきT君に色々聞いたら、「人見先生は授業中に昔の話をしないわけじゃなかった」みたいな事を言ってたんですよ。思い出話はけこうしてたんですってね」
「ええ、たまにはやっておりました。彼は眠りますから(笑)授業は大体聞かないんです。そういう話は聞くんです」
「なるほど。で、一回か、何回かは全く授業をしないで、ずっとその思い出話をされてた時があった、というふうに言ってましたね。そういうのはよく覚えてるんですよね。」
「そうですね。良く覚えてますね。大体僕が言った下らない冗談見たいなものを良く覚えていて」
「けっこう冗談を言ってたというのは、この本の中にも色々書いてましたね」


「今瞳みのるさんはですね、髪の毛をちょっと長めにして横に・・・後ろにサッと流して、ロマンスグレーで、黄色い丸首セーターで、アスコットタイをされているのかな。茶系の・・濃い茶系のシャツを着ていまして、めがねをかけています。そのめがねがちょっとこう鼻の方におりてますので」
「これは老眼なんです」
「近いところを見る用ですよね」
「そうなんです」
「体重とかそういうのは、この40年間どうなんですか」
「やめた時は48キロだったんです。それでいきなり10キロ太りまして、やめたら。そしてマックス68までいったんですけども、病気2回やったものですから、やるたんびに今度また体重が落ちまして、今だいたい53キロくらいです。」


「あの~病気が、例えば近々のですと2009年の8月に中国に行ってらっしゃったときに倒れちゃったんですよね。」
「中国の雲南省の昆明というところで」
「どうなってたんでしたっけ」
「脳溢血、だったんですけど。」
「いろんなものがちょっとずつ遅かったら大変だったんじゃないですか。」
「そうですね。友人がいて適切な処置を取ってくれたもんですから。まあ、悪運尽きずにこうしてまた生き延びられたと思っております。」
「全然後遺症とか出なかったんですか」
「おかげさまで後遺症は何もないような感じです。ただ、あまりもの覚えがよくないほうなので、あまり僕も気にしてないんですけども」


「今は基本的には北京に住んでらっしゃるんですか、瞳さんは」
「基本的には北京に住んでます、で、またすぐに戻ります。ただ、2月25日に今度の私のほうの自伝がでますので、またそれまでには戻ってきてということになります。」
「そうですか~。で、この後、やっぱり皆さんが気にされてるのが、音楽活動っていうのが、瞳みのるさんの音楽活動、例えば今、朝日新聞の"ひと"の欄には瞳みのるさんの本名が載ってるんですよね。これがタイガースの時には、眼の方の瞳にひらがなでみのるだったじゃないですか。そっちの方にまた戻っていくような活動があるのか、あるいはザ・タイガースが何かやるときに、瞳さんがドラムスとして入っていくのか、このあたりをすごい気にされてるみたいなんですが、これはどうなんですか」
僕は自分自身では戻っていくつもりですけれども、とにかく仲間もいることですから、そちらの方もやるっていうんだったら、そちらのほうの話し合いがあって、戻る、あるいは戻らない、ということになるかなと思います」
「じゃ、まだその話し合いは、してはいないんですか」
「え~~~~、そうですね、ちょっと微妙ですね。」


(女性の声)「ドラムは・・今でも?」
「今、彼らのこういう話があったときに、あれ?いずれまたドラムを叩かなきゃいけないかなということで、もう2年くらい練習しております」
「あっ、やってますね!」
「ま、これは肉体的なトレーニングを含めて。まあウォーキングと同じような形で。」
「2年前からってことは、38年間ぐらいブランクがあったんですよね。どうでした?」
「スティックって持たないと、バンバンバンバン、スティック同士が当たるんですよ。だから練習して当たらないようにということで、やっぱり1にも2にも練習かなと」
「昔のカンは戻ってきたんですか」
「ええ。なんとか出来ます。昔はすごくパワーもあったと思いますが、今はそんなにパワーは無いかも知れませんが、ま、なんとかできるのかなと。」
「じゃ、スタンバイOKなんですね。話が上手くこう、まとまってったらという」
「そうですね」
「かなり期待してもいい?」
「どうなんでしょう。良くわかりません、私」


「この瞳みのるさんの「ロング・グッバイのあとで」を読んでいて、沢田研二さんが、なんかすごいステキだなと思ったエピソードが、自由ヶ丘のあるお店によく行っている」
「居酒屋ですね」
「居酒屋に行っている・・・そこを、「あれ?沢田研二さんも来てるよ」みたいな話を聞くくだりが、いいなと思って。」
「そうですか。僕もそこの店はずっと行ってたんですけども、で、店の主人はそんな話は一切無かったものですから」
「店のご主人は、瞳みのるさんはタイガースの人でってのは知ってるんですか」
「僕は知らないと思ってたんです。知らないでずっといるんだと思ってたんです。そしたらやっぱり知ってたんですね。」
「でも言わなかった」
「そうなんです。皆僕の周りの人っていうのは皆そういう配慮があって、すごくありがたいんです。だから普通の人間で、普通の感じでいけた」
「はいはいはい・・・」(←関心しきりな様子
「そこに沢田が時々来ていたという。それは聞いたら、僕が面と向かって合うとなると、構えたり、あるいは拒否するかもしれないので、偶然の出会いということで彼自身はそこに店に来ていたそうなんですね。
それを僕は後で、かつてのマネージャがたずねて来て、その話をしたときに、ああそういう思いだったんだと。わざわざその居酒屋に彼が来てたっていうことは、僕との自然な邂逅を、自然な出会いということを、そういう思いで配慮してくれていたんだな、ということがよくわかって、すごく嬉しくて、あったかいものをすごく感じました
「沢田研二さんっていうのはそういう方なんですか」
「だいたいあの、話はあんまり上手くないとは思うんですが、ちょっと朴訥としてますけど、そういう男気のある人だと思いますよ」
「これはなんか、いいエピソードですよね~」


「日本と北京はどれくらいの割合になりそうなんですか、今後」
「僕は出来れば半分半分くらいにしたいと思ってるんですけど」
「向こうではお仕事として、例えば音楽とか、中国の文学を研究したりとかしてらっしゃるんですか」
「向こうはまだ、何も、一つも売れてないんです。全然売れてない、これから売ろうという音楽家。というか音楽家というのはまだ、おこがましいんですけど。」
「作詞はされてますよね」
「作詞も、作曲も、それから翻訳もやります。作詞作曲だったら、ただのシングソングライターですけれども、翻訳は僕自身中国語にずっとかかわってきておりますので、それはやはり出来なきゃいけないと。
但し中国語の場合、中国語というのは、歌詞なんか特にそうなんですけれども、古典をけっこう使うんですね。ですから古典にある程度通じてないと詞は書けない。それがちょっとね・・・・・・・なんか、教室みたいになりましたよね。すみません。」
「だんだん先生になってきて(笑)メモ取りだしたりなんかして、フンフンなんて」


「立ち入った話なんですけども、あの・・・・離婚されたじゃないですか」
「ハイ」
「今一人じゃないですか」
「はい、そうです」
「でも料理作るの得意らしいですけども、その辺大丈夫なんですか。」
「昔、調理師免許取りましたので」
「調理師免許・・・それ、いつ取ったんですか」
「あんまり言うとこれ、色々と問題があるので。そうですね、もう20年・・・30年くらい前」
「相当中華料理上手に作られるんじゃないかと思いますよ」
「いえいえ・・・好きなんです。」


「一人の生活というのは、どうなんですか」
「そうですね。やっぱり淋しいですね。賑やかなほうがいいかなと思っておりますけども」
「でも逆に言うと、仲間がまた一緒にやるようになっていって、にぎやかな日々がくるかもしれないですよね」
「そうかも知れませんね。そうなったらまた、ケンカが始まるでしょうけど、でもケンカも楽しいですからね」
「あの~、かつみさんももう、全然大丈夫なんですか」(←なにげに核心に・・
「どうなんでしょう。よくわからないんですけど。彼も僕、たまには会うこともあるんですけど、彼自身の本音というのは聞いてない部分があるので、ちょっとよくわからない」
「ああ、なるほど。まあ40年ですからね。これをその間をまた埋めていくには、本当にゆっくり時間をかけて、そして納得していいものを。僕ら待ってますんで」


「今日沢山の方が、あるいはこれを録音して、ニッポン放送の聞こえないいろんな地方でこれをお聴きになると思うんですよ。メッセージを、一つよろしくお願いします。」
「あらたまって何かお話するというのは、すごくなんか照れくさいんですけど、僕自身また音楽の方、また文筆の方もやりたいと思っておりますので、両面でお世話になるかな、また皆さんとそういう関わりができてくるのかな、と思っておりますし、
また、タイガースの方はちょっとどうなるかわかりませんけども、そうなった場合には、またステージの方でですね、よろしく声援して頂ければありがたいなと思っております。本当にありがとうございます」


「「ロング・グッバイのあとで」、瞳みのるさんがお書きになりました本、集英社から定価1260円、2月25日金曜日発売です。瞳さんの人生を通じて、一つの昭和史から平成へ移っていくという、世相もずっとわかる、また中国との関係もよくわかる本なので、ぜひお読み頂きたいと思います」
「ありがとうございます」
「今日は、実は時々震えてらっしゃるので、緊張されてるのかなと思いながら、先生モードになると、ものすごいおしゃべりなんですね。やっぱり30年の教師生活なんだな、なんてことも思ってしまいました(笑)瞳みのるさんにお越し頂きました。今日はどうもありがとうございました。」
「ありがとうございました」

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<終わり>

上柳アナが言うように、緊張気味な雰囲気ながら、先生モードのスイッチが入ると、カナーリ饒舌になるんですよね~
聴きながら何度か「あら~?アテクシ今、NHK教育ラジオかなんか聴いてるんだっけ?」
みたいな感覚に陥りましたわ。
ハッキリとした意志や、ご自分の取り組んでおられることに対する意欲が、率直に伝わってくるようなトークだなという印象を受けました。
アナウンサーも上手いことズバズバ話を聞きだしてくれて(GJ)、なかなか中身の濃い番組でしたわ




(2/9サンケイスポーツより)

2/8 ニッポン放送「ごごばん!」にピーが出演①

2011-02-09 23:28:14 | テレビ・ラジオ
ニッポン放送「上柳昌彦 ごごばん!」の中の、2時過ぎに始まる「ごごばん トークセッション」のコーナーに2月8日のゲストとしてピーが登場しました~!
以下、ラジオの書き起こしです。
延々時間かけて何やってんだって話ですが、まあ、アテクシの性分なんで気にしないで下さい。
本当は番組の感想なんかも書きたいところなんですが、ピーに関しては、アテクシ本当に知らないことだらけなのですよ・・・
諸先輩方の感慨深いご様子を垣間見ておりますと、こりゃヘタなことは書けないゾって気になりますので、今回はヒヨッコの感想文は控えまして、書き起こし作業でピー勉にいそしむことに致しました。
(15分程度の書き起こしに4時間くらいかかってます。ほとんど文章暗記できるくらい!アホです・・)

尚、言いよどんだところや、曖昧だったところは適当に丸めてありますし、アナウンサーの相槌とかも適当に省いてますのであしからず~


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「ニッポン放送・上柳昌彦のごごばんです。2時台はお客様をお迎えするコーナーです。40年ぶりにメディアにご登場ということになります。元ザ・タイガースのメンバー、ピーの愛称で親しまれた瞳みのるさんです。どうもはじめまして、よろしくお願い致します。」
「よろしくお願いします。瞳です」
「教え子に会ってましたね」
「あ、はい、今ずっとその話で盛り上がってたんです」
「2人ね、2人教え子がニッポン放送にいまして、ひとりはあの~学生時代にね、人見先生のところに、『実は映画に出たいんだけど』って相談した人間ですよね」
「ええ、そうです」
「狙われた学園っていう角川映画に抜擢されて、『出たいんだ』ってのは覚えてらっしゃいますか」
「ええ、覚えてます。しっかり覚えてます。」
「まぁTさんという、すごい人気だったんですけど、今はものすごい優秀な社員でとして働いてます。あのT君とは何年ぶりなんですか」
「30数年ぶりです。彼が高校2年生の時に、僕が漢文教えてたんですよ」


「あっ、忘れないうちに・・・今日放送あるっていうんで、岡山の方がファンレター、あと祝電とか届いてます」
「ありがとうございます。ありがとうございます。」
「慶応高校の先生をやってらっしゃる時、あるいは学生の時代はまだ、あの人は元タイガースの・・・って時期だったと思うんですけど、ファンレターだとか、声かけられたりとか、当然ありましたよね」
「いや、ほとんどなかったですね。」
「そういうもんですか」
「ええ、皆わりと気遣ってくれたんで、なんか知らないような形で、ごくごく普通に、自然に授業が出来ました」


「なんかこう、いろいろと考えて今日なのかと思って、さっきお聞きしたんですが、きょうの朝日新聞の"ひと"の欄に、人見豊さんが載ってるんですよね」
「たまたまそうなったんですね」
「北京で音楽活動を再開したタイガースの元メンバーということで。どういういきさつでこれ、こうなったんですか」
「昨年の末にそういう取材の依頼があったんです。それで元々去年の3月末日で僕、かつての勤めをやめたもんですから、その後そして北京にほとんど来て仕事してたんです。それで生徒、ある卒業生なんですけども、学生の新聞に出てくれないかって。じゃあまぁ学生の言うことだからってことで、OKだよって言ったら、今度それを見た雑誌の方が、取材させて頂けないかな・・・とおっしゃったので、「いいですよ」と。「ただし僕、北京にいますけど」って言ったら、「いや、北京まで行きます」って」
「3~4週間前に載りましたよね」
「そうですね。まさか北京くんだりまでね、いらっしゃらないと思ったら、しかも2人も。編集の方と記者の方といらっしゃって、ちょっと断れなくなってしまって、じゃあ大丈夫ですって。それから今回の朝日新聞のほうの記者が、そんなことならばって。
北京ってのは日本人社会そんなに広くありませんからね。僕が来てるってのはある程度判るわけですけども、そんなことで・・・同じ北京の日本人界として、ちょっとお話してもいいかなと思いまして。それが結果、今日出るとは思ってなかったんですけども、まあたまたまそれが重なったもんですから」


「今ここまでお話を伺ってると、なんかやっぱり漢文の先生なんじゃないかって感じが(笑)」
「すいません~説教くさくなるような感じがしてます?」
「いやー、漢文の先生だなと・・・」
「いやいや、堅っ苦しいでしょう?」
「いや~~え?あの、どっからお話を伺っていいのやらなんですけど」
「いや、どこでも構わないんですよ、私もう。ええ」
「なんで今回、例えばその『ロング・グッバイのあとで』という本を集英社から出そうと思われたりとか、マスコミのインタビューに答えようというふうに思われたんですか」
「そうですね、僕自身、明治時代の音楽をやりたい、ということだったんです」
「小学校唱歌とか文部省唱歌ってものを研究されてるという」
「最近特にまた「仰げば尊し」って曲、また朝日でも取りあげられて、それが全国に流れて。Sさんという方が発掘なさったんですけど、そのSさんの・・・僕は親友がいるんですけど、その親友も慶応なんですけど、彼はその慶応の親友のお兄さんなんです。
で、僕がやってることと、Sさんがやってること。Sさんには失礼かもしれないけど、同じことなんです。だからすごい奇遇だなと思って驚いているんですけれど。もともとその音楽って言うのは、3,4年前・・5,6年前から興味を持っていて、もう一度垢をすっかり流して、本来の美しいメロディー、旋律を出したいなと思うのがきっかけだったんです。で、また音楽やりたいなと」


「でも、やっぱり高校の先生が話してるみたいだなと思ってしまうんですけど(笑)
ここで、若い方にもちゃんと知って頂きたいので、瞳みのるさんがどういうような方なのか簡単なプロフィールを用意しましたので、読んで頂きましょう」

(「君だけに愛を」をBGMに、女性アナウンサーがピーのプロフィールを紹介します。)

「瞳みのるさんは1967年、沢田研二さん、岸部一徳さんらとともに、ザ・タイガースのメンバーとして芸能界にデビュー。ピーという愛称で、ファンから絶大なる人気を獲得したものの、1971年、ザ・タイガースの解散とともに、芸能界を完全引退。
沢田研二さんら他のメンバーはそのまま芸能界で活躍する中、慶応高校の漢文の教師として教壇に立つことを選ばれました。
その後はメンバーとのプライベートな交流もすべて断ち切り、メディアへの出演もいっさいありませんでしたが、2008年あることがきっかけで当時のメンバーと再会。今月25日には、ザ・タイガースの解散の真相や、これまでの人生について綴った『ロング・グッパイのあとで』という本を出版されることになりました。改めて今日2時のゲスト瞳みのるさん。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」


「沢田研二さん達タイガースが同窓会という形でやり始めたところに、瞳さんは入ることは無かったですよね。」
「はい、はい。確かやめてから10年くらいでそういうことがあったようです」
「で40年経って、ある曲を人づてに聞いたんですか、これは」
「ええ、同僚の教師がいまして、それが「放送があったよ」というようなことで、「それは何?」っていうことで聞いたら、NHKの番組の中で僕に関する歌を沢田が歌ってた、ということなので、じゃあ、いっぺん聴いてみようかななんて思って、聴いたのがきっかけなんですけどね」
「それが『ロング・グッバイ』という曲で、詞が岸部一徳さん、沢田研二さんがお二人で書いていて、作曲と編曲が森本太郎さんがやってらっしゃって、"こんなに長い別れになってしまうなんて、あのとき思わなかったよ"っていう・・・ほんと瞳さんに向かって歌ってますよね」
「ああ、そうみたい」
「どう思われました?聴いた時」
「いやぁ、僕はやっぱり感激しましたし、すごく嬉しくて、こんな風にまでいつまでも思ってくれる仲間がいたんだなということで、やっぱりそれは素直に嬉しかったです」


「何気ない日本料理屋さんで、40年ぶりに皆さんとお会いになったんですよね、どうでしたか?」
「うん、最初はやっぱりわだかまりがあるような感じだったですけど、までも、森本太郎ってのがいるんですけども、あの・・・彼が最初から涙流して喜んでくれましてね」(←ピー、嬉しそうな声)
「小学校の時からの友達ですよね、タローさん」
「はい、森本太郎は小学生の時、同じ学校でした」
「で、岸部さんとは中学校」
「中学2年3年、同じクラスだったんです」
「で、かつみさんとは高校・・・沢田研二さんとは同じ学校ではなかったですか」
「同じ学校ではありません。彼自身は鴨沂高校という京都の府立の学校で、僕は山城高校というところに行っておりましたので、同じ高校ではないですけど」
「要するにほんとに仲のいい友達で集まって作ったバンドだったんですよね」
「そうですね、そういうような自然に集まったグループだったんです。人造ではない。ええ・・ええ。」
「モンキーズとは違うんですよね」
「そうですね」
「やっぱり友達同士で集まったバンドは、いつからかこれは思ってたのと違うぞ、と思うようなことがあったんですかね」
「それぞれ関わっていく過程の中で、別の社会と接する時間も多くなってきますから。そうするとやはり、自分自身の考え方も、これまで思ってたものとちょっと違うな、と言うようなことになってくるのかなと。それぞれが皆そういう思いを多少、少しずつあると思うんですね。
それが大きく・・・小さな小さなものからの積み重ねが大きく変わっていくことに、結果的にはなるのかなと思いますけどもね」


「喧嘩があったりとか、仲違いがあったりとかってのはあったんですか」
「はいもう、しょっちゅうやってました」
「でもそれは、解散につながるような喧嘩だったんですか」
「いえ、最初の頃は曲をめぐって、どういうふうに表現するとか、どういうふうに出せばいいかとかいうことですよね。そういうのが多かったですね。そのあとは、だんだんやっぱり忙しくなってくると、あんまりそういうようなことも・・・・喧嘩もやっぱり時間がないとできませんから。その後はもう、ほとんどそういう時間すらなかったですね」
「ああ・・・ただこなしていくだけ」
「そうですね」
「どの辺からもうやめたいなと思ったんですか」
「僕は・・・中に加橋かつみってのがいるんですけども、彼がまああの、やめていったわけですけど、そのときに、みんなでこう来たのに、彼自身がやめていった時に、「あれ?何か一つ大事なものが欠けたな」って思いが、心の中にポカっと穴が開いたような気持ちになっちゃって、それが全体まとまりのあったものがなんとなく、少しずつ崩れていくような感じがしたんですね。そのときに「うーん、どうなんだろうな」っていう気持ちの変化はありました。そっから気持ちが多少変わっております」


「1971年1月24日、日本武道館で最後のコンサートをやりました。ビューティフルコンサート。日本人のアーティストも武道館でコンサートやるんだなあなんて、当時思ったんですけども。もうそのときは完璧に、もういい、これでいいって思ってたんですか」
「ええ、これはもうたぶん、一生で最後の日だと思ったんです、舞台に出るのは。だからまさかまたこんな形でですね、皆さんにお会いするとは思ってもみなかったんですけれども(笑)でもまあ皆がそんなふうな・・・結果的に、もう一度仲良くできるものなら、できればいいなと思っているわけですけど」
「あの最後のコンサートのもう次の日に、車に家財道具積んで京都に帰ってくじゃないですか。あれは次の日じゃなきゃダメだったんですか」
いや、次の日じゃなくて、自分の気持ちとしてもう今日なんだと。これが最後なんだと。だからもうその日しかない・・・・1日も延ばしたくなかったんです」
「お金は貯めてられたみたいなんですけども、ほんとにすぐに勉強に入ってくわけじゃないですか。その切り替えってできましたか」
「はい、むしろできない方が、僕の方はできないんですよ。切り替える方は比較的簡単にできる。もともとゼロから戻ってるから、ゼロに戻るのはなんにも惜しくないんです」
「それで次の年に慶応の学生になってるってのが、もう信じられないんですけども」
「僕もあと一年やったら、たぶんパンクしてたと思います。ギリギリの状態で勉強してたもんですから。あともう一年やってたら、緊張は続かないんじゃなかったかななんて思います」


「で、一切芸能界のときのお友だちから連絡断っていくわけですよね」
「というよりも、新しい社会にとけ込むのに、そういう別の時間的余裕はないんです。僕は得たものも多いですけど、失ったものも多いので、失ったものを取り戻すために、やっぱりどうしても最低限必要な時間ってありますから。それがあまりにも多かったんです。ですから皆とまた、面白おかしく付き合うっていうことは、できるような状況じゃなかった」
「でも周りはね、「あいつ帰ってきたよね」とか、「いや~帰ってきたんだから久しぶりに会わないか」とか、そういう誘惑の手ってあると思うんですけど、一切遮断ですか。」
「彼ら、僕らの友達の方が、僕に遠慮してくれたのかも知れませんが、そういう誘惑はいっさいなかったですね。だから恵まれてます、とても。」

「またちょっと後半でお話を色々と伺いたいと思います。今日は40年ぶりにメディアにご出演でございます、瞳みのるさんにお話を伺っている、ニッポン放送「ごごばん!」です」


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※これでやっと前半終わり。たった15分ですごい情報量ですわね~

本日P-DAYなり

2011-02-08 13:00:08 | その他
今朝起きたら、ケータイに何通かメールを頂いていまして、
「今日の朝日新聞にピーが載ってる!」とのお知らせが。

実は前の晩、寝る直前ぐらいまで、友人たちと焼肉食べに行く話で
メールをやり取りしていたので、てっきりその話の続きだと思って
見てみたんですが、全然違いました。オホホホホ。

実は・・・あいら家は新聞を取っていないため、こうして新聞情報を
教えて頂けるのは、本当に何よりもありがたいです。
ご連絡下さった皆さま、ありがとうございました

さっそく駅の売店で朝日をゲットし、激混み通勤電車の中、
サラリーマンのおじさま方の技を見習って、新聞をちっこく折りたたんで
読むのに挑戦してみましたわ。
あ~、週○現代に続き、折り折り新聞を電車の中で・・・
アテクシもすっかり、おじさんの仲間入りね


始業前に、ケータイでパチリ。
ドラムスティックを手に、ステキな笑顔のお写真。

記事内容ですが、じゅりファンとして、なんと言っても注目なのは
やはり最後の文章かな~と。

「再結成するときの最初の歌を日中両語でつくり、
先日、沢田さんの声が入ったデモテープができた。
曲名は「老虎再来(タイガースが帰ってきた)」。


週刊誌ではなく、日本の3大新聞の記事で、デモテープの存在や
曲名が公表されたというのは、すごいのではないでしょうか。
再結成自体については具体的なことが書かれていませんが、
それだけに信憑性があるし、時期はともかく、こうして動きがあるってことに
嬉しい気持ちになりました。


また、本日は新聞だけでなく、ピーがラジオ番組にも生出演との情報があり、
まさに「PAY DAY」ならぬ「P-DAY」といった雰囲気ですね!


ピーが出演予定らしいラジオ番組
「上柳昌彦 ごごばん!」(ニッポン放送)
も、今日出勤前にICレコーダーに録音すべく設定してきましたので
上手く録れていれば、内容を書き起こしたいと思ってます。
つい最近失敗したばかりなので、今度はちゃんと録れてますように。
ちなみにこの番組、昨日7日のゲストは、
「おりん」こと斉藤由貴さんだったみたい。奇遇ですわ~

はね駒⑤

2011-02-07 17:33:01 | ドラマ・舞台

さて、翌日からさっそく、マンツーマンの容赦無い厳しい指導開始でございますわ。


「違う。もう一度。」
「違うっ!もっと耳に神経を集中して、正確に聞き取ろうとしなければ。」

あの・・・アテクシ的には、先生が色っぽすぎて集中できないんですが・・・


厳しい指導について行けず、だんだん集中力がなくなってしまうおりん。
「あっ、今ドラ猫がお魚を咥えて行きました!先生とこのおかずじゃねえんですか?」
と、ついついよそ見をして、余計なことを言ってしまいます。


「そんな遊び半分の勉強なら、やらないほうがいい。時間の浪費だ。」


「今自分のしていることに神経を集中していれば、庭で何が怒ろうと目に入らないはずだ。」
「そんないいかげんな勉強のお相手は、御免こうむる!!」

語気を強めて、叱責なさる先生ですわ・・・


「・・・・今日は帰り給え。」
って、冷やか~な声がコワイの。

「帰りなさい」
って、静か~~に言うのが、コワーイの。

そしてついに、
「帰り給え!!!」
と激しく声を荒げ、一喝。
キャアアアア・・・・ズビバゼンでしたぁ~~(号泣)


「せっ、先生!わっ、悪うございました。もう、ホントによそ見なんかしねえで、
もう、真剣に勉強やりますから、どうか勘弁して下さい。
もう本当にどっこも見ねえで、真剣にやりますから・・・」

もう何言ってんだか、とにかくパニック気味にまくし立てるおりん。最後には
「帰れって言われても帰りません」
「帰らねえもん、わだす!!」

と、居直り気味です。


こんな顔の松波先生を前に、そこまで啖呵を切れるとは、なかなかいい度胸でございますわ。
さすが、朝ドラのヒロインだけのことあります(違


そして、何とかもう一度やり直して頂くことになりましたが、

「『ほんとに』とか、『したって』とか、そういうこと言うのをやめなさいっ!!」
じゅ・・イエ松波先生の声、めっさドスが効いてますから。
想像してみてくだしゃい・・・・


さすがのおりんも、しょぼぼぼぼ~~ん。


と落ち込むかと思いきや、最後には
「コリント全書13章を英語で暗唱してみせる」と啖呵切りましたわよ。
「わだすやります!」って、また、気の強い子だこと・・・

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そして、一生懸命勉強し、いよいよ松浪先生の前で、
コリント全書を披露する日になりましたが・・・

おりんが途中詰まってしまうと、松浪先生の顔がどんどん険し~くなっていき、
おりんはますます萎縮してしまうという負のスパイラルに。


暗唱に失敗して、落ち込み嘆くおりんちゃん。さすがにカワイソス。
「わだす、ほんとに一生懸命・・・勉強して・・・
なのに、どうして、できないんだべか・・・
どうして・・・先生ーー!」

と救いを求めて、ガバッと先生の顔を見上げると

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓


わああ~ん、さらに超険しい顔になってる~
この顔で微動だにせずだんまりって怖すぎですわ。
で、この数秒後、おりんはいたたまれなくなって部屋から逃げ出します。
ムリモナイ・・・

そして行った先は礼拝堂。
松浪先生だと怖すぎるので、今度は神様に問いかけることにします(?)

「わだす本当にだめなんですか?神様・・・」
そしてその場で、コリント全書の暗唱を始めます。
そしたらアラ不思議・・・今度はなんだかスラスラ言えちゃうみたい?
きっと、目の前にコワイ人がいないからじゃないの~?

するといつのまにか、松浪先生も礼拝堂にやってきて
一緒にコリント全書を唱えるではございませんか。


ところで、「愛は妬まず、誇らず、高ぶらず・・・」ってこれ、
結婚式のときに牧師さんが話す言葉じゃございません?
それを、じゅりと掛け合いで・・・・・なんてうらやましいんざましょ。


「良く勉強したね。きっとやれると思っていたよ。」
優しい声でそう言われ、感極まったおりんは・・・


駆け寄って、抱きついた~!
これが、けっこう長い時間、抱きついてるのよ。


いや~ん、そろそろ離れなさいよぉぉぉぉ~~~~!!

はね駒④

2011-02-06 03:03:50 | ドラマ・舞台
さて、今年もいよいよ、魔の2月がやって参りましたわ~
一年で一番、仕事がいっそがしい月です。
考えただけでどよよ~~んってな感じで、心がすさみ切ってる今日この頃ですが、
そんな時はやっぱり、じゅりに癒してもらうに限りますわ。

ということで、久々にNHK連続ドラマ:「はね駒総集編」第二回です。
今までに第一回を①~③に分けて、じゅりが出てくるところだけupしてますので、
今回はその続きからになります。

忘れちゃった方は、こちらでおさらいしてね。
↓↓↓
はね駒①
はね駒②
はね駒③

さて第一回のラストで、東北女学校を受けに船で旅立ったおりんですが、
・・・・・・女学校には、もう受かりました。(←話飛びすぎ
で、そこらへんの感動的なシーンは(じゅりが出てこないので)ざっくりと飛ばしまして、
いきなり学校の中で、おりんと松浪先生が対面するシーンからです。

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さて、晴れて東北女学校に給費生として入学したおりん。
学友らと互いに着付けをして、いざ入学の式典へ。
とそこで、松浪先生に遭遇。

ちょっと~こんなにタキシードが似合う先生って、アリなの~~~


「女学生になったね・・・本当に」
「はい」
「良く頑張った・・・おめでとう」

ですって。キャッ。

そして、入学式典が始まります。

歌う松浪先生に、目が釘付けのおりん。
「この先生とこれからいつも一緒に、この学校で一緒に勉強ができるんだ」
って、勉学への熱意に燃えるおりんなんですが、なんだか、若干違う熱意も
感じ取れるのは、アテクシの心がよごれっちまっているからでしょうか?

こうして、意気揚々と女学生ライフをスタートさせたおりんですが、
彼女は給費生。授業料が免除されるかわりに、
朝晩の寮のおさんどんの手伝いとか、労働も義務付けられています。
そのため、他の女学生と同じようには時間がとれず、勉学がおろそかに。

問題が解けず、黒板の前でフリーズしてしまい、厳しく叱責されてしまいます。

「どうしたのかな、橘さん。」
って、なんかコワイです・・


「この前の時間に、これはやったばかりでしょう。」
「ちゃんと復習してこなければダメだ!」

じゅり・・・じゃなかった、松浪先生、コワイよ~


ショボボボーンとうなだれるおりん。


「そんないいかげんな態度で勉強していては数学は出来ないよ。」
とクラス全員に向かってお説教でしゅ。


「習ったところは必ず自分で復習すること。
それがイヤな人は、授業を受ける必要は有りません!」

うわわ~ん、すみませんでしたーと、思わず土下座したくなりますわ。
ものすごく迫力のあるお説教ぶりです。
ここはやはり、じゅりの地が・・・イエナンデモ

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でもでも~。
もしこんな先生に習っていたら、アテクシだったら
わからないところが無くたって、わからないフリして
「先生~ここがわからないんですぅ~
って、職員室にに入り浸っちゃうわー。

そして、松浪先生はきっと、そこんところもお見通しなのよね。
「あいら君、キミ本当は、この問題もわかっているのではありませんか」
「あっ、あの・・・」
「わかっているのに、どうしてあえて質問に来るのですか」
「そ、それは・・・」
「あいら君、ちゃんと私の目を見て、答えなさい」

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・・・・・・って、アテクシの妄想はどうでもよくて。


さて、成績が芳しくなく、ついに落第寸前になったおりん。
校長に呼び出され、このままでは給費打ち切りだと言われてしまいます。

ガガーン「どうすたらいいんだべ・・」

そこで学校のガイジン先生の一人が、松浪とおりんに提案を。
なんと、松浪に夏休み中、おりんの個人教授をやってあげてくれと言うのですわ。
おりん、チャ~~~ンス!


「しかし・・・一人の特定の生徒に、私一人が・・・」
と、松浪先生はカナーリためらいますが、


「私は先生の人格を尊敬しております。彼女を助けてあげてください」
と、ガイジン先生が強力プッシュしてくれたおかげで、


「わかりました。」(と、おりんにチラリと投げかける視線が、なぜか悩殺系流し目にw)


「では、特別指導することをお引き受けしましょう。」
という運びに。ガイジン先生、GJ!


でもっておりん、喜びすぎww
ま、無理ないですけどねっ。

だって!!
松浪先生の個人授業よ、特別指導よ!
個室で二人っきりよ~~(鼻血)
もお、一から十まで、何でも教えて欲しい~~~



と言うわけで、次回「スパルタ個人授業編」ですわん。
ウフウフウフウフ・・・・