あいらのひみつ箱

2006年の年明けとともにジュリーに堕ちました。日の浅いファンが 勝手な思いを書き連ねるゆるいブログです。

2/8 ニッポン放送「ごごばん!」にピーが出演②

2011-02-10 12:00:00 | テレビ・ラジオ
※この記事はめずらしくww予約投稿です。
 夜中に頑張って書いたので、いつもよりちょっと早く、お昼にUPしてみようかなと。

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数分のCMを挟んで、後半開始です~
いやいや、それにしても、ピーってばけっこう早口ですわ。
じゅり出演のラジオ書き起こしより、難儀したような気がします。

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「さあ、今日のですね、ニッポン放送ごごばん!は、瞳みのるさんにお越し頂いてます。ザ・タイガースのドラムス担当で、40年間ずっとこういうところにはまったく、ご登場されなかったということで、緊張されてると」
「ハハハ・・・」
「でもあの・・・」
「出席とって頂ければ(笑)ハイって」
「でも、さっきT君に色々聞いたら、「人見先生は授業中に昔の話をしないわけじゃなかった」みたいな事を言ってたんですよ。思い出話はけこうしてたんですってね」
「ええ、たまにはやっておりました。彼は眠りますから(笑)授業は大体聞かないんです。そういう話は聞くんです」
「なるほど。で、一回か、何回かは全く授業をしないで、ずっとその思い出話をされてた時があった、というふうに言ってましたね。そういうのはよく覚えてるんですよね。」
「そうですね。良く覚えてますね。大体僕が言った下らない冗談見たいなものを良く覚えていて」
「けっこう冗談を言ってたというのは、この本の中にも色々書いてましたね」


「今瞳みのるさんはですね、髪の毛をちょっと長めにして横に・・・後ろにサッと流して、ロマンスグレーで、黄色い丸首セーターで、アスコットタイをされているのかな。茶系の・・濃い茶系のシャツを着ていまして、めがねをかけています。そのめがねがちょっとこう鼻の方におりてますので」
「これは老眼なんです」
「近いところを見る用ですよね」
「そうなんです」
「体重とかそういうのは、この40年間どうなんですか」
「やめた時は48キロだったんです。それでいきなり10キロ太りまして、やめたら。そしてマックス68までいったんですけども、病気2回やったものですから、やるたんびに今度また体重が落ちまして、今だいたい53キロくらいです。」


「あの~病気が、例えば近々のですと2009年の8月に中国に行ってらっしゃったときに倒れちゃったんですよね。」
「中国の雲南省の昆明というところで」
「どうなってたんでしたっけ」
「脳溢血、だったんですけど。」
「いろんなものがちょっとずつ遅かったら大変だったんじゃないですか。」
「そうですね。友人がいて適切な処置を取ってくれたもんですから。まあ、悪運尽きずにこうしてまた生き延びられたと思っております。」
「全然後遺症とか出なかったんですか」
「おかげさまで後遺症は何もないような感じです。ただ、あまりもの覚えがよくないほうなので、あまり僕も気にしてないんですけども」


「今は基本的には北京に住んでらっしゃるんですか、瞳さんは」
「基本的には北京に住んでます、で、またすぐに戻ります。ただ、2月25日に今度の私のほうの自伝がでますので、またそれまでには戻ってきてということになります。」
「そうですか~。で、この後、やっぱり皆さんが気にされてるのが、音楽活動っていうのが、瞳みのるさんの音楽活動、例えば今、朝日新聞の"ひと"の欄には瞳みのるさんの本名が載ってるんですよね。これがタイガースの時には、眼の方の瞳にひらがなでみのるだったじゃないですか。そっちの方にまた戻っていくような活動があるのか、あるいはザ・タイガースが何かやるときに、瞳さんがドラムスとして入っていくのか、このあたりをすごい気にされてるみたいなんですが、これはどうなんですか」
僕は自分自身では戻っていくつもりですけれども、とにかく仲間もいることですから、そちらの方もやるっていうんだったら、そちらのほうの話し合いがあって、戻る、あるいは戻らない、ということになるかなと思います」
「じゃ、まだその話し合いは、してはいないんですか」
「え~~~~、そうですね、ちょっと微妙ですね。」


(女性の声)「ドラムは・・今でも?」
「今、彼らのこういう話があったときに、あれ?いずれまたドラムを叩かなきゃいけないかなということで、もう2年くらい練習しております」
「あっ、やってますね!」
「ま、これは肉体的なトレーニングを含めて。まあウォーキングと同じような形で。」
「2年前からってことは、38年間ぐらいブランクがあったんですよね。どうでした?」
「スティックって持たないと、バンバンバンバン、スティック同士が当たるんですよ。だから練習して当たらないようにということで、やっぱり1にも2にも練習かなと」
「昔のカンは戻ってきたんですか」
「ええ。なんとか出来ます。昔はすごくパワーもあったと思いますが、今はそんなにパワーは無いかも知れませんが、ま、なんとかできるのかなと。」
「じゃ、スタンバイOKなんですね。話が上手くこう、まとまってったらという」
「そうですね」
「かなり期待してもいい?」
「どうなんでしょう。良くわかりません、私」


「この瞳みのるさんの「ロング・グッバイのあとで」を読んでいて、沢田研二さんが、なんかすごいステキだなと思ったエピソードが、自由ヶ丘のあるお店によく行っている」
「居酒屋ですね」
「居酒屋に行っている・・・そこを、「あれ?沢田研二さんも来てるよ」みたいな話を聞くくだりが、いいなと思って。」
「そうですか。僕もそこの店はずっと行ってたんですけども、で、店の主人はそんな話は一切無かったものですから」
「店のご主人は、瞳みのるさんはタイガースの人でってのは知ってるんですか」
「僕は知らないと思ってたんです。知らないでずっといるんだと思ってたんです。そしたらやっぱり知ってたんですね。」
「でも言わなかった」
「そうなんです。皆僕の周りの人っていうのは皆そういう配慮があって、すごくありがたいんです。だから普通の人間で、普通の感じでいけた」
「はいはいはい・・・」(←関心しきりな様子
「そこに沢田が時々来ていたという。それは聞いたら、僕が面と向かって合うとなると、構えたり、あるいは拒否するかもしれないので、偶然の出会いということで彼自身はそこに店に来ていたそうなんですね。
それを僕は後で、かつてのマネージャがたずねて来て、その話をしたときに、ああそういう思いだったんだと。わざわざその居酒屋に彼が来てたっていうことは、僕との自然な邂逅を、自然な出会いということを、そういう思いで配慮してくれていたんだな、ということがよくわかって、すごく嬉しくて、あったかいものをすごく感じました
「沢田研二さんっていうのはそういう方なんですか」
「だいたいあの、話はあんまり上手くないとは思うんですが、ちょっと朴訥としてますけど、そういう男気のある人だと思いますよ」
「これはなんか、いいエピソードですよね~」


「日本と北京はどれくらいの割合になりそうなんですか、今後」
「僕は出来れば半分半分くらいにしたいと思ってるんですけど」
「向こうではお仕事として、例えば音楽とか、中国の文学を研究したりとかしてらっしゃるんですか」
「向こうはまだ、何も、一つも売れてないんです。全然売れてない、これから売ろうという音楽家。というか音楽家というのはまだ、おこがましいんですけど。」
「作詞はされてますよね」
「作詞も、作曲も、それから翻訳もやります。作詞作曲だったら、ただのシングソングライターですけれども、翻訳は僕自身中国語にずっとかかわってきておりますので、それはやはり出来なきゃいけないと。
但し中国語の場合、中国語というのは、歌詞なんか特にそうなんですけれども、古典をけっこう使うんですね。ですから古典にある程度通じてないと詞は書けない。それがちょっとね・・・・・・・なんか、教室みたいになりましたよね。すみません。」
「だんだん先生になってきて(笑)メモ取りだしたりなんかして、フンフンなんて」


「立ち入った話なんですけども、あの・・・・離婚されたじゃないですか」
「ハイ」
「今一人じゃないですか」
「はい、そうです」
「でも料理作るの得意らしいですけども、その辺大丈夫なんですか。」
「昔、調理師免許取りましたので」
「調理師免許・・・それ、いつ取ったんですか」
「あんまり言うとこれ、色々と問題があるので。そうですね、もう20年・・・30年くらい前」
「相当中華料理上手に作られるんじゃないかと思いますよ」
「いえいえ・・・好きなんです。」


「一人の生活というのは、どうなんですか」
「そうですね。やっぱり淋しいですね。賑やかなほうがいいかなと思っておりますけども」
「でも逆に言うと、仲間がまた一緒にやるようになっていって、にぎやかな日々がくるかもしれないですよね」
「そうかも知れませんね。そうなったらまた、ケンカが始まるでしょうけど、でもケンカも楽しいですからね」
「あの~、かつみさんももう、全然大丈夫なんですか」(←なにげに核心に・・
「どうなんでしょう。よくわからないんですけど。彼も僕、たまには会うこともあるんですけど、彼自身の本音というのは聞いてない部分があるので、ちょっとよくわからない」
「ああ、なるほど。まあ40年ですからね。これをその間をまた埋めていくには、本当にゆっくり時間をかけて、そして納得していいものを。僕ら待ってますんで」


「今日沢山の方が、あるいはこれを録音して、ニッポン放送の聞こえないいろんな地方でこれをお聴きになると思うんですよ。メッセージを、一つよろしくお願いします。」
「あらたまって何かお話するというのは、すごくなんか照れくさいんですけど、僕自身また音楽の方、また文筆の方もやりたいと思っておりますので、両面でお世話になるかな、また皆さんとそういう関わりができてくるのかな、と思っておりますし、
また、タイガースの方はちょっとどうなるかわかりませんけども、そうなった場合には、またステージの方でですね、よろしく声援して頂ければありがたいなと思っております。本当にありがとうございます」


「「ロング・グッバイのあとで」、瞳みのるさんがお書きになりました本、集英社から定価1260円、2月25日金曜日発売です。瞳さんの人生を通じて、一つの昭和史から平成へ移っていくという、世相もずっとわかる、また中国との関係もよくわかる本なので、ぜひお読み頂きたいと思います」
「ありがとうございます」
「今日は、実は時々震えてらっしゃるので、緊張されてるのかなと思いながら、先生モードになると、ものすごいおしゃべりなんですね。やっぱり30年の教師生活なんだな、なんてことも思ってしまいました(笑)瞳みのるさんにお越し頂きました。今日はどうもありがとうございました。」
「ありがとうございました」

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<終わり>

上柳アナが言うように、緊張気味な雰囲気ながら、先生モードのスイッチが入ると、カナーリ饒舌になるんですよね~
聴きながら何度か「あら~?アテクシ今、NHK教育ラジオかなんか聴いてるんだっけ?」
みたいな感覚に陥りましたわ。
ハッキリとした意志や、ご自分の取り組んでおられることに対する意欲が、率直に伝わってくるようなトークだなという印象を受けました。
アナウンサーも上手いことズバズバ話を聞きだしてくれて(GJ)、なかなか中身の濃い番組でしたわ




(2/9サンケイスポーツより)