あいらのひみつ箱

2006年の年明けとともにジュリーに堕ちました。日の浅いファンが 勝手な思いを書き連ねるゆるいブログです。

2/8 ニッポン放送「ごごばん!」にピーが出演①

2011-02-09 23:28:14 | テレビ・ラジオ
ニッポン放送「上柳昌彦 ごごばん!」の中の、2時過ぎに始まる「ごごばん トークセッション」のコーナーに2月8日のゲストとしてピーが登場しました~!
以下、ラジオの書き起こしです。
延々時間かけて何やってんだって話ですが、まあ、アテクシの性分なんで気にしないで下さい。
本当は番組の感想なんかも書きたいところなんですが、ピーに関しては、アテクシ本当に知らないことだらけなのですよ・・・
諸先輩方の感慨深いご様子を垣間見ておりますと、こりゃヘタなことは書けないゾって気になりますので、今回はヒヨッコの感想文は控えまして、書き起こし作業でピー勉にいそしむことに致しました。
(15分程度の書き起こしに4時間くらいかかってます。ほとんど文章暗記できるくらい!アホです・・)

尚、言いよどんだところや、曖昧だったところは適当に丸めてありますし、アナウンサーの相槌とかも適当に省いてますのであしからず~


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「ニッポン放送・上柳昌彦のごごばんです。2時台はお客様をお迎えするコーナーです。40年ぶりにメディアにご登場ということになります。元ザ・タイガースのメンバー、ピーの愛称で親しまれた瞳みのるさんです。どうもはじめまして、よろしくお願い致します。」
「よろしくお願いします。瞳です」
「教え子に会ってましたね」
「あ、はい、今ずっとその話で盛り上がってたんです」
「2人ね、2人教え子がニッポン放送にいまして、ひとりはあの~学生時代にね、人見先生のところに、『実は映画に出たいんだけど』って相談した人間ですよね」
「ええ、そうです」
「狙われた学園っていう角川映画に抜擢されて、『出たいんだ』ってのは覚えてらっしゃいますか」
「ええ、覚えてます。しっかり覚えてます。」
「まぁTさんという、すごい人気だったんですけど、今はものすごい優秀な社員でとして働いてます。あのT君とは何年ぶりなんですか」
「30数年ぶりです。彼が高校2年生の時に、僕が漢文教えてたんですよ」


「あっ、忘れないうちに・・・今日放送あるっていうんで、岡山の方がファンレター、あと祝電とか届いてます」
「ありがとうございます。ありがとうございます。」
「慶応高校の先生をやってらっしゃる時、あるいは学生の時代はまだ、あの人は元タイガースの・・・って時期だったと思うんですけど、ファンレターだとか、声かけられたりとか、当然ありましたよね」
「いや、ほとんどなかったですね。」
「そういうもんですか」
「ええ、皆わりと気遣ってくれたんで、なんか知らないような形で、ごくごく普通に、自然に授業が出来ました」


「なんかこう、いろいろと考えて今日なのかと思って、さっきお聞きしたんですが、きょうの朝日新聞の"ひと"の欄に、人見豊さんが載ってるんですよね」
「たまたまそうなったんですね」
「北京で音楽活動を再開したタイガースの元メンバーということで。どういういきさつでこれ、こうなったんですか」
「昨年の末にそういう取材の依頼があったんです。それで元々去年の3月末日で僕、かつての勤めをやめたもんですから、その後そして北京にほとんど来て仕事してたんです。それで生徒、ある卒業生なんですけども、学生の新聞に出てくれないかって。じゃあまぁ学生の言うことだからってことで、OKだよって言ったら、今度それを見た雑誌の方が、取材させて頂けないかな・・・とおっしゃったので、「いいですよ」と。「ただし僕、北京にいますけど」って言ったら、「いや、北京まで行きます」って」
「3~4週間前に載りましたよね」
「そうですね。まさか北京くんだりまでね、いらっしゃらないと思ったら、しかも2人も。編集の方と記者の方といらっしゃって、ちょっと断れなくなってしまって、じゃあ大丈夫ですって。それから今回の朝日新聞のほうの記者が、そんなことならばって。
北京ってのは日本人社会そんなに広くありませんからね。僕が来てるってのはある程度判るわけですけども、そんなことで・・・同じ北京の日本人界として、ちょっとお話してもいいかなと思いまして。それが結果、今日出るとは思ってなかったんですけども、まあたまたまそれが重なったもんですから」


「今ここまでお話を伺ってると、なんかやっぱり漢文の先生なんじゃないかって感じが(笑)」
「すいません~説教くさくなるような感じがしてます?」
「いやー、漢文の先生だなと・・・」
「いやいや、堅っ苦しいでしょう?」
「いや~~え?あの、どっからお話を伺っていいのやらなんですけど」
「いや、どこでも構わないんですよ、私もう。ええ」
「なんで今回、例えばその『ロング・グッバイのあとで』という本を集英社から出そうと思われたりとか、マスコミのインタビューに答えようというふうに思われたんですか」
「そうですね、僕自身、明治時代の音楽をやりたい、ということだったんです」
「小学校唱歌とか文部省唱歌ってものを研究されてるという」
「最近特にまた「仰げば尊し」って曲、また朝日でも取りあげられて、それが全国に流れて。Sさんという方が発掘なさったんですけど、そのSさんの・・・僕は親友がいるんですけど、その親友も慶応なんですけど、彼はその慶応の親友のお兄さんなんです。
で、僕がやってることと、Sさんがやってること。Sさんには失礼かもしれないけど、同じことなんです。だからすごい奇遇だなと思って驚いているんですけれど。もともとその音楽って言うのは、3,4年前・・5,6年前から興味を持っていて、もう一度垢をすっかり流して、本来の美しいメロディー、旋律を出したいなと思うのがきっかけだったんです。で、また音楽やりたいなと」


「でも、やっぱり高校の先生が話してるみたいだなと思ってしまうんですけど(笑)
ここで、若い方にもちゃんと知って頂きたいので、瞳みのるさんがどういうような方なのか簡単なプロフィールを用意しましたので、読んで頂きましょう」

(「君だけに愛を」をBGMに、女性アナウンサーがピーのプロフィールを紹介します。)

「瞳みのるさんは1967年、沢田研二さん、岸部一徳さんらとともに、ザ・タイガースのメンバーとして芸能界にデビュー。ピーという愛称で、ファンから絶大なる人気を獲得したものの、1971年、ザ・タイガースの解散とともに、芸能界を完全引退。
沢田研二さんら他のメンバーはそのまま芸能界で活躍する中、慶応高校の漢文の教師として教壇に立つことを選ばれました。
その後はメンバーとのプライベートな交流もすべて断ち切り、メディアへの出演もいっさいありませんでしたが、2008年あることがきっかけで当時のメンバーと再会。今月25日には、ザ・タイガースの解散の真相や、これまでの人生について綴った『ロング・グッパイのあとで』という本を出版されることになりました。改めて今日2時のゲスト瞳みのるさん。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」


「沢田研二さん達タイガースが同窓会という形でやり始めたところに、瞳さんは入ることは無かったですよね。」
「はい、はい。確かやめてから10年くらいでそういうことがあったようです」
「で40年経って、ある曲を人づてに聞いたんですか、これは」
「ええ、同僚の教師がいまして、それが「放送があったよ」というようなことで、「それは何?」っていうことで聞いたら、NHKの番組の中で僕に関する歌を沢田が歌ってた、ということなので、じゃあ、いっぺん聴いてみようかななんて思って、聴いたのがきっかけなんですけどね」
「それが『ロング・グッバイ』という曲で、詞が岸部一徳さん、沢田研二さんがお二人で書いていて、作曲と編曲が森本太郎さんがやってらっしゃって、"こんなに長い別れになってしまうなんて、あのとき思わなかったよ"っていう・・・ほんと瞳さんに向かって歌ってますよね」
「ああ、そうみたい」
「どう思われました?聴いた時」
「いやぁ、僕はやっぱり感激しましたし、すごく嬉しくて、こんな風にまでいつまでも思ってくれる仲間がいたんだなということで、やっぱりそれは素直に嬉しかったです」


「何気ない日本料理屋さんで、40年ぶりに皆さんとお会いになったんですよね、どうでしたか?」
「うん、最初はやっぱりわだかまりがあるような感じだったですけど、までも、森本太郎ってのがいるんですけども、あの・・・彼が最初から涙流して喜んでくれましてね」(←ピー、嬉しそうな声)
「小学校の時からの友達ですよね、タローさん」
「はい、森本太郎は小学生の時、同じ学校でした」
「で、岸部さんとは中学校」
「中学2年3年、同じクラスだったんです」
「で、かつみさんとは高校・・・沢田研二さんとは同じ学校ではなかったですか」
「同じ学校ではありません。彼自身は鴨沂高校という京都の府立の学校で、僕は山城高校というところに行っておりましたので、同じ高校ではないですけど」
「要するにほんとに仲のいい友達で集まって作ったバンドだったんですよね」
「そうですね、そういうような自然に集まったグループだったんです。人造ではない。ええ・・ええ。」
「モンキーズとは違うんですよね」
「そうですね」
「やっぱり友達同士で集まったバンドは、いつからかこれは思ってたのと違うぞ、と思うようなことがあったんですかね」
「それぞれ関わっていく過程の中で、別の社会と接する時間も多くなってきますから。そうするとやはり、自分自身の考え方も、これまで思ってたものとちょっと違うな、と言うようなことになってくるのかなと。それぞれが皆そういう思いを多少、少しずつあると思うんですね。
それが大きく・・・小さな小さなものからの積み重ねが大きく変わっていくことに、結果的にはなるのかなと思いますけどもね」


「喧嘩があったりとか、仲違いがあったりとかってのはあったんですか」
「はいもう、しょっちゅうやってました」
「でもそれは、解散につながるような喧嘩だったんですか」
「いえ、最初の頃は曲をめぐって、どういうふうに表現するとか、どういうふうに出せばいいかとかいうことですよね。そういうのが多かったですね。そのあとは、だんだんやっぱり忙しくなってくると、あんまりそういうようなことも・・・・喧嘩もやっぱり時間がないとできませんから。その後はもう、ほとんどそういう時間すらなかったですね」
「ああ・・・ただこなしていくだけ」
「そうですね」
「どの辺からもうやめたいなと思ったんですか」
「僕は・・・中に加橋かつみってのがいるんですけども、彼がまああの、やめていったわけですけど、そのときに、みんなでこう来たのに、彼自身がやめていった時に、「あれ?何か一つ大事なものが欠けたな」って思いが、心の中にポカっと穴が開いたような気持ちになっちゃって、それが全体まとまりのあったものがなんとなく、少しずつ崩れていくような感じがしたんですね。そのときに「うーん、どうなんだろうな」っていう気持ちの変化はありました。そっから気持ちが多少変わっております」


「1971年1月24日、日本武道館で最後のコンサートをやりました。ビューティフルコンサート。日本人のアーティストも武道館でコンサートやるんだなあなんて、当時思ったんですけども。もうそのときは完璧に、もういい、これでいいって思ってたんですか」
「ええ、これはもうたぶん、一生で最後の日だと思ったんです、舞台に出るのは。だからまさかまたこんな形でですね、皆さんにお会いするとは思ってもみなかったんですけれども(笑)でもまあ皆がそんなふうな・・・結果的に、もう一度仲良くできるものなら、できればいいなと思っているわけですけど」
「あの最後のコンサートのもう次の日に、車に家財道具積んで京都に帰ってくじゃないですか。あれは次の日じゃなきゃダメだったんですか」
いや、次の日じゃなくて、自分の気持ちとしてもう今日なんだと。これが最後なんだと。だからもうその日しかない・・・・1日も延ばしたくなかったんです」
「お金は貯めてられたみたいなんですけども、ほんとにすぐに勉強に入ってくわけじゃないですか。その切り替えってできましたか」
「はい、むしろできない方が、僕の方はできないんですよ。切り替える方は比較的簡単にできる。もともとゼロから戻ってるから、ゼロに戻るのはなんにも惜しくないんです」
「それで次の年に慶応の学生になってるってのが、もう信じられないんですけども」
「僕もあと一年やったら、たぶんパンクしてたと思います。ギリギリの状態で勉強してたもんですから。あともう一年やってたら、緊張は続かないんじゃなかったかななんて思います」


「で、一切芸能界のときのお友だちから連絡断っていくわけですよね」
「というよりも、新しい社会にとけ込むのに、そういう別の時間的余裕はないんです。僕は得たものも多いですけど、失ったものも多いので、失ったものを取り戻すために、やっぱりどうしても最低限必要な時間ってありますから。それがあまりにも多かったんです。ですから皆とまた、面白おかしく付き合うっていうことは、できるような状況じゃなかった」
「でも周りはね、「あいつ帰ってきたよね」とか、「いや~帰ってきたんだから久しぶりに会わないか」とか、そういう誘惑の手ってあると思うんですけど、一切遮断ですか。」
「彼ら、僕らの友達の方が、僕に遠慮してくれたのかも知れませんが、そういう誘惑はいっさいなかったですね。だから恵まれてます、とても。」

「またちょっと後半でお話を色々と伺いたいと思います。今日は40年ぶりにメディアにご出演でございます、瞳みのるさんにお話を伺っている、ニッポン放送「ごごばん!」です」


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※これでやっと前半終わり。たった15分ですごい情報量ですわね~

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10 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
奇跡の歳月 (はあちゃん)
2011-02-10 00:32:15
うわぁ
すごい!
なんてゆっていいのか。。。 すごい!
40年近く 時が流れても

あいらしゃん ありがとう!!
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40年待ってました。ピ~ (マルコ)
2011-02-10 02:07:48
あいら様、こんばんはー
うわぁ~、すごい大変だけど、書き起こしてくれて、ありがとう~
ほんとに、40年ぶりに聞いたピーの声は、変わってなかったし、笑い方も変わってなくて、優しい声でした。写真は、すごい笑顔で、うれしいし、また、ピーが、出てきてくれたこと、もう、幸せです
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書き起こしありがとう (しょあ)
2011-02-10 02:11:00
私は放送を聞けたけど、こうして文章で読むと
またあらためて感銘を受けますね。
あいらちゃんが赤字にした部分、
私も心に響いた言葉です。

後半も期待しています。
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お疲れ様・・・ (katya)
2011-02-10 07:24:35
某所で録音を聞くことができたのですが、こうやって文字にしてくださると、また、違う感慨があります。
聞き漏らしていたところも、わかったし。

気負いもてらいもなく、とても率直に誠実に話してくれているという感じで、心を打たれました。

無理なさらないでね。
でも、後半も宜しくお願いします。
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ありがとうございます (だんぼ)
2011-02-10 09:46:50
あいらさん、書き起こしありがとうございます。
これは…大変な作業でしたでしょう。

ファンの先輩方には及ぶベくもありませんが、録音を聴いて、書き起こしを読んで、当時を知らない私も胸が熱くなりました。

昨日は都内も雪が降ったみたいですね。
Sカルゴ氏、待望の雪を見られたかしら?
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はあちゃん様 (あいら)
2011-02-10 17:28:42
40年の歳月が流れても、ピーはピーだった!!んですね。
この番組を繰り返し聴いてると、当時のタイガースを
一度でいいから見たかった!って思いますわ。

じゅりがロング・グッバイを歌ってくれて、本当に良かった~(涙
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マルコ様 (あいら)
2011-02-10 17:30:04
このところピーのメディア登場が相次いでいるので、
マルコさん、きっと感激されてるだろうな~と思っておりました。

ピーの声、変わってなかったですか。
ラジオではソフトな声で、すらすらと澱みなくお話してましたね。
抑揚を付けた、ポイントがわかりやすい話し方で、さすが先生!
って印象でした。

この笑顔が、生で見られるといいですね。
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しょあ様 (あいら)
2011-02-10 17:31:12
文字って、音声や映像と違って自分の好きな速度で追えるから、
ゆっくり理解しながら味わえて、
頭の回転がゆっくり~なアテクシにぴったりなんです(^^)テヘ

「次の日じゃなくて、気持ちとしてはもう今日」
切り替えを「できないほうが、僕にはできない」

とか、解散時のピーの心境を考えると胸が痛いです。
長年のピーファンの方は、もっともっとさらに、なんでしょうね。
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katya様 (あいら)
2011-02-10 17:38:09
そうですね。
想像していたよりも、率直に色々お話してくれましたね。
ピーの人柄がうかがえるな~と思いました。

そして、タイガースのことを「人造じゃない」って言ったのが、
あとからシミジミ、胸に響いてきてます。
仲間のことを誇りに思ってるんだなって、嬉しくなりました。
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だんぼ様 (あいら)
2011-02-10 17:43:01
だんぼさんも何度も録音聴きましたか~(^^)/
文明の利器で、地方局のラジオも全国の方が録音で
聴けるようになって、ホントいい時代になりましたね。

アテクシも今回は、ちゃんと文明の利器(=ICレコーダー)を
正しく使えたみたいで、録音できてました(嬉
書き起こししながら、じっくり言葉を噛みしめましたわ。

昨日の雪はわからなかったけど、東京は今週末雪らしいです。
Sカルゴの人生初雪体験となるか?
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