セカンドライフ 

歳を重ねるのも悪くはない

シルバー大学 歴史コース⑧

2010-07-04 | セカンドライフ
                 講義が難解で窓の外に逃げ出したくなりました

武家政権の成立~鎌倉時代を考える~7/1


講師 本郷 恵子(ホンゴウケイコ)氏
    東京大学 史科教授 専門分野 日本中世史

◆ 二つの王権

◦鎌倉時代後期の公家社会

■後嵯峨院政
 承久の乱後の体制:四条天皇・九条道家━鎌倉幕府  公家の協調体制
                   公正な人事・訴訟の迅速な処理━徳政
1242年 四条天皇崩御→幕府の主導により、御嵯峨天皇践祚
1246年 後嵯峨譲位→後深草天皇(持明院統)
    後嵯峨院政の開始 院評定制の整備
             院の主導による裁判・政務手続きの合理化

1259年 後深草譲位→亀山天皇(大覚寺統)兄→弟
1268年 亀山皇子世仁親王を皇太子とする
1272年 後深草院崩御
1274年 亀山譲位→後宇多天皇 ※短い期間で天皇を争い変わる

■両統迭立
 持明院統×大覚寺統  政権の主宰者=治天の君
 治天の君の地位をめぐって両統が競合→幕府に自派の優越を主張
  「競馬のごとし」(賀茂神社クラベウマ) 当事者能力を失う
 熾烈な争いを展開する一方で、公家社会全体が家族的に纏まって行く傾向

1317年 文保の和談
 「両御流の皇統断絶すべからざるのうえは、後和談ありて、使節の往返を止めらるべし」
 (「花園天皇宸記」より)

■当時の天皇
 白河天皇 (1053~1129)
 後白河天皇(1127~1192)
 後鳥羽天皇(1180~1239)
 後嵯峨天皇(1220~1272)
 花園天皇 (1297~1348)
 後醍醐天皇(1288~1339)

シルバー大学 歴史コース⑦

2010-07-04 | セカンドライフ
                 今年の百日草は鮮やかで元気

武家政権の成立~鎌倉時代を考える~6/24


講師 本郷 恵子(ホンゴウケイコ)氏
    東京大学 史科教授 専門分野 日本中世史


■北条氏の権力と幕府内部の確執
 1199年 源頼朝没 頼家第二代将軍へ→親裁停止 北条時政以下13人のご合議制(反対される)

 1200年 梶原景時討たれる。
 1203年 実朝征夷大将軍に  比企氏の乱 比企能員討たれる
 1204年 頼家、修善寺で殺害される  (修善寺物語)
 1205年 北条時政、畠山重忠を討つ  平賀朝雅の将軍擁立を画策
          →時政・妻牧方追放される。北条義時、執権となる。

 1213年 和田合戦  和田義盛討たれる 頼家遺児の将軍擁立の陰謀
 1219年 実朝(三代)殺害される。
 1221年 承久の乱 (朝廷が負ける)
 1224年 北条義時没  御室伊賀氏・同光宗による一条実雅将軍擁立の陰謀
 1232年 御成敗式目の制定⇒道理と合議による政治
 1244年 将軍頼経辞任→頼嗣
 1246年 頼経・名越光時粛清される   将軍派の一掃(宮騒動)
 1247年 宝治合戦  三浦義村ら族滅
 1252年 将軍頼嗣、京都に送還される。
 1272年 六波羅南方北条時輔討たれる(二月騒動)
 1274年 蒙古襲来:文永の役
 1277年 極楽寺流塩田義政が信濃国塩田荘に隠棲
 1281年 蒙古襲来:弘安の役
     弘安8年(1285年)霜月騒動 安達泰盛、内管領 平頼綱に討たれる

 1293年 平頼綱・次男資宗誅殺される (平禅門の乱)
 1305年 北条時村討たれる、同宗方誅殺される(嘉元の乱)
 1326年 執権北条高時出家→金沢貞顕、執権に⇒泰家(高時弟)出家、貞顕出家
 1331年 御内人長崎高資を狙った陰謀発覚  得宗高時が画策か?
 1333年 鎌倉幕府滅亡

 ◦頼朝直系の早い段階での中絶→将軍権力の不在
 ◦北条氏の権力の拡大:執権→得宗  将軍派御家人との対立
 ◦伝統的御家人と新興御家人との対立 御家人☓御内人  北条氏内部の葛藤
 ◦道理による政治(御成敗式目)→原理主義的政策が出現し易い傾向にあった。

短い期間に余りにも多くの戦い、内部抗争(裏切り)、殺害(身内、血縁含む)等が多過ぎて鎌倉時代は
陰湿で暗いイメージと思われている。