もう日付変わって昨日だが、本当に阪神ファンにはショッキングなニュースが飛び込んできました…。
阪神・赤星が現役引退=33歳、首痛など持病悪化
我らが阪神タイガースのリードオフマン、赤星が持病の首痛の悪化を理由に現役を引退することを決め、
昨日の夕方5時から会見を行った。
以下、会見での一問一答
--どれぐらいの期間悩んだか
「この1カ月しか考える時間はなかった。今でも実感がわかない。
だれにも相談できない状況だったので、この1カ月が今までの人生で一番苦しかった」
--両親への相談は
「両親に話したら、やっぱり親なので体のことを第一に考えてくれて
『よく頑張った、もういいでしょう』と言ってもらえたので、それも決め手にはなった」
--引退セレモニーさえできていない
「このけがさえなければ来年もレギュラーでやっていける自信はあったし、
今でも若手に負けない気持ちはある。いつになったら実感がわくのかも、まだ分からない」
--現役9年間での思い出のシーンは
まだあまり振り返りたくはないが、2003年にリーグ優勝したときのサヨナラ安打がうれしかった。
ただ、05年の日本シリーズで(ロッテに)4連敗したときに力負けを痛感して、
あの悔しさがあるからこそ日本一になりたい気持ちを持ってきた。それを果たせずに辞めるのは悔いが残る」
--9年間どんなプレーにこだわってきたか
「盗塁に関してはプロで通用する自信はあったし、実際に通用した。
僕は本塁打を打てないから、みんなにホームまでかえしてもらうことが一番の喜びだった」
--新しい野球を見せられたのでは
「正直、僕が入団する前はそういうチームではなかったので、走塁改革はできたかなと思う。
他球団でも走塁の重要性が高まってきているのは感じる」
--これまで度重なるけがを乗り越えてきた
「絶対に気持ちで負けない野球をやろうと思ってきたので、これまでも肋骨が3本折れようが強い気持ちでやってきた。
ただ、今回ばかりは気持ちでカバーできるものではなかった」
--今後については
「僕から野球をとることはできない。
必ず球界発展のために何らかの力になりたいと思っているし、これからも子供たちの希望になりたいと思う」
--盗塁数に応じて車椅子を寄贈する活動もおこなってきた
「今回が最後の車椅子になるかと思うと、あと100個ぐらいは贈りたかったので、ちょっとショックです」
--チームメートへの思いは
「ぎりぎりまで悩んでいたので、まだ選手全員には伝えられていない。みんなには僕の分まで本当に頑張ってほしい。
若い選手にはまだまだできる選手がたくさんいるし、もっともっと頑張ってほしい。
08年に(巨人に)大逆転されて悔しい気持ちを持っている。
僕はもうプレーで(雪辱を)晴らすことができないので、みんなに託したい」
--記者会見して実感はわいてきたか
「現状ではまだ難しい。
1月になって自主トレーニングをしていなかったり、春にキャンプに行っていなかったりしたときに実感がわいてくるんじゃないかと思う」
--最後にファンへのメッセージを
「9年間本当にたくさんの応援をしていただけたからこそ僕もここまで成長できた。
優勝した喜びをファンと分かち合える経験もできた。
(甲子園の)あの大歓声の中でプレーできないのは本当にさみしい。感謝しきれないという気持ち。
僕は引退するが、これからは阪神を応援する立場として、日本一の夢を選手に託していきたい」
さらに会見前だろうか?本人のブログにはこう記されていた。
こんなギリギリの報告になる事をお許しください。
今回ケガをしてからこの日に至るまで、復活する事を考えていろいろしてきました。
しかし今の現状でプロスポーツに復帰するのは無理、というより次やってしまったら、不随になってしまったり、
最悪命の危険もありうると言われました。
もし復活できたとしても、プロ野球選手としてみなさんの期待するプレーはできないんではないかと思いこの決断に至りました。。
ということで、首の状態は思っていた以上に酷かったようで、全力プレーを発揮出来るのが困難になり、引退を決意したようだ。
今シーズンは何度か首を痛めて試合に出ない、というような時もあったが、
9月12日、甲子園での横浜戦の3回表、内川の右中間への当たりでダイビングキャッチを試みて滑り込んだ際、
痛めていた首を悪化させてしまった。そのままトレーナーに担がれて退場。
それでも11月に鳴尾浜でチームが練習していた際には顔を見せ、軽いながらもキャッチボールをするところまで行っていたというのをニュースで知っていただけに、
突然の引退発表は本当にショックでした。
でも次に悪化させると命の危険まである、と告げられると、この選択は致し方なかったのだろうと思います。
9年間本当にお疲れ様でした。
あの2003年9月15日のサヨナラタイムリーは一生忘れません。
今シーズン、赤星が抜けただけでもチームが機能していない試合が目立っただけに、
赤星が引退したということで、中継ぎもそうだが、センターのポジションと1番打者を強化しないといけなくなった。
まぁセンターには平野を入れれば良いなんて思っているんだろうが、1番としてはこなせるのか疑問符がつく。
メジャーリーグから獲ったマートンとかいう外人も、06年をピークに成績が下がっている。
期待薄いなぁ。
まぁ来季云々及びシニアディレクターさんについては、後日また書こうと思います。
阪神・赤星が現役引退=33歳、首痛など持病悪化
我らが阪神タイガースのリードオフマン、赤星が持病の首痛の悪化を理由に現役を引退することを決め、
昨日の夕方5時から会見を行った。
以下、会見での一問一答
--どれぐらいの期間悩んだか
「この1カ月しか考える時間はなかった。今でも実感がわかない。
だれにも相談できない状況だったので、この1カ月が今までの人生で一番苦しかった」
--両親への相談は
「両親に話したら、やっぱり親なので体のことを第一に考えてくれて
『よく頑張った、もういいでしょう』と言ってもらえたので、それも決め手にはなった」
--引退セレモニーさえできていない
「このけがさえなければ来年もレギュラーでやっていける自信はあったし、
今でも若手に負けない気持ちはある。いつになったら実感がわくのかも、まだ分からない」
--現役9年間での思い出のシーンは
まだあまり振り返りたくはないが、2003年にリーグ優勝したときのサヨナラ安打がうれしかった。
ただ、05年の日本シリーズで(ロッテに)4連敗したときに力負けを痛感して、
あの悔しさがあるからこそ日本一になりたい気持ちを持ってきた。それを果たせずに辞めるのは悔いが残る」
--9年間どんなプレーにこだわってきたか
「盗塁に関してはプロで通用する自信はあったし、実際に通用した。
僕は本塁打を打てないから、みんなにホームまでかえしてもらうことが一番の喜びだった」
--新しい野球を見せられたのでは
「正直、僕が入団する前はそういうチームではなかったので、走塁改革はできたかなと思う。
他球団でも走塁の重要性が高まってきているのは感じる」
--これまで度重なるけがを乗り越えてきた
「絶対に気持ちで負けない野球をやろうと思ってきたので、これまでも肋骨が3本折れようが強い気持ちでやってきた。
ただ、今回ばかりは気持ちでカバーできるものではなかった」
--今後については
「僕から野球をとることはできない。
必ず球界発展のために何らかの力になりたいと思っているし、これからも子供たちの希望になりたいと思う」
--盗塁数に応じて車椅子を寄贈する活動もおこなってきた
「今回が最後の車椅子になるかと思うと、あと100個ぐらいは贈りたかったので、ちょっとショックです」
--チームメートへの思いは
「ぎりぎりまで悩んでいたので、まだ選手全員には伝えられていない。みんなには僕の分まで本当に頑張ってほしい。
若い選手にはまだまだできる選手がたくさんいるし、もっともっと頑張ってほしい。
08年に(巨人に)大逆転されて悔しい気持ちを持っている。
僕はもうプレーで(雪辱を)晴らすことができないので、みんなに託したい」
--記者会見して実感はわいてきたか
「現状ではまだ難しい。
1月になって自主トレーニングをしていなかったり、春にキャンプに行っていなかったりしたときに実感がわいてくるんじゃないかと思う」
--最後にファンへのメッセージを
「9年間本当にたくさんの応援をしていただけたからこそ僕もここまで成長できた。
優勝した喜びをファンと分かち合える経験もできた。
(甲子園の)あの大歓声の中でプレーできないのは本当にさみしい。感謝しきれないという気持ち。
僕は引退するが、これからは阪神を応援する立場として、日本一の夢を選手に託していきたい」
さらに会見前だろうか?本人のブログにはこう記されていた。
こんなギリギリの報告になる事をお許しください。
今回ケガをしてからこの日に至るまで、復活する事を考えていろいろしてきました。
しかし今の現状でプロスポーツに復帰するのは無理、というより次やってしまったら、不随になってしまったり、
最悪命の危険もありうると言われました。
もし復活できたとしても、プロ野球選手としてみなさんの期待するプレーはできないんではないかと思いこの決断に至りました。。
ということで、首の状態は思っていた以上に酷かったようで、全力プレーを発揮出来るのが困難になり、引退を決意したようだ。
今シーズンは何度か首を痛めて試合に出ない、というような時もあったが、
9月12日、甲子園での横浜戦の3回表、内川の右中間への当たりでダイビングキャッチを試みて滑り込んだ際、
痛めていた首を悪化させてしまった。そのままトレーナーに担がれて退場。
それでも11月に鳴尾浜でチームが練習していた際には顔を見せ、軽いながらもキャッチボールをするところまで行っていたというのをニュースで知っていただけに、
突然の引退発表は本当にショックでした。
でも次に悪化させると命の危険まである、と告げられると、この選択は致し方なかったのだろうと思います。
9年間本当にお疲れ様でした。
あの2003年9月15日のサヨナラタイムリーは一生忘れません。
今シーズン、赤星が抜けただけでもチームが機能していない試合が目立っただけに、
赤星が引退したということで、中継ぎもそうだが、センターのポジションと1番打者を強化しないといけなくなった。
まぁセンターには平野を入れれば良いなんて思っているんだろうが、1番としてはこなせるのか疑問符がつく。
メジャーリーグから獲ったマートンとかいう外人も、06年をピークに成績が下がっている。
期待薄いなぁ。
まぁ来季云々及びシニアディレクターさんについては、後日また書こうと思います。