カリフォルニアン・キッズ

4年を過ごしたカリフォルニア生活も終わり・・・
帰国子女となった子供たちとの日々をのんびり書いています

ブログを書くのは虚しいかな?

2007年09月15日 01時03分19秒 | ブログ
最近ブログの話を書いていませんでしたが、昨日読んで面白いなと思う記事があったので。 

■[ブログ論]ブログを虚しいと感じる人々への処方箋
ブログ板に「虚しさを感じながらブログ続けてる香具師集合」というスレがある。自分の場合、幸い今やってるこのブログで虚しさを感じることはないけれど、以前はてなでやっていたブログは虚しくて仕方なく、半年あまりで閉鎖してしまった。だからこのスレの住人の気持ちは非常によくわかる(実際書き込んだことも何度かある)。今回は何故ブログが虚しくなるのか、その原因と対処法を考えてみたいと思う。
そして、ブログが虚しくなる原因として、1:多くの人に見てもらいたいのに見てもらえない、2:コメントや拍手などのレスポンスをもらえない、3:投じたリソースほどの見返りが得られない、を挙げてその対処法が書かれています。

ブログが虚しいかあ・・・。私は三つもブログを書いているので、それぞれに対する気持ちが全く違うんですよね。

まずCai君応援ブログ。これは書いていて虚しいと思ったことは一度もないかな。あはは。自分に書く必要があるというか、書かずにはいられない気持ちがあるもので。もちろん読んでもらっているのがわかっているからというのもありますが、逆に多くの人に読んでもらっていると気楽に好きなことは書けないという欠点があるんですよね。緊張感が常にあるというか。だから、アクセス数が多いからブログを書くのは楽しいということにはならないと思います。虚しくないけれど、ときには苦しくもある。それと、これはこういう応援ブログだから仕方ないのですが、Cai君に不幸なことが起こると私本人がすごく苦しむことになり、ブログを書くのが苦痛になる・・・でも書かなくちゃ、みたいな悪循環が。虚しいのと苦しいのだったら、虚しいほうがいいような気がするなあ。アクセス数が20だったときから平気で毎日書いていたし、自分しか読む人がいなくなっても続けられる自信はありますが、それはCai君がハッピーなときだけ。不幸なことがあるともう止めちゃおうかなと何度も思う。でも、落ち込んだ気持ちをブログに書くとずいぶん救われるので、やっぱり止められないんですよねえ。

次にパスワードを設定して家族と友人だけに公開しているブログ。こちらは義務感だけで書いていますが、まったく虚しくありません。そりゃ、記事をアップすれば、必ず見てくれる人がいるのはわかっているから当然ですね。でも一週間書かないと「サボっちゃったなあ。」と罪悪感が。勉強か何かと同じ感じでしょうか?! 写真を数十枚アップして記事を書き終えると、いつも一仕事を終えた(?)充実感でいっぱいになります。ただし、パスワードを教えた人しか読んでいないのはわかっているので、どきどき感はないですね。不特定多数の人に公開するブログは怖い反面スリルもあって、そこがブログの楽しい一面なわけで。

最後に今これを書いているこのブログ。実は、虚しいです。書いているときは別に虚しくないんですけど、書き上げた後がなぜかとっても虚しい。上二つのブログでは全く感じないのに・・・。アクセス数の問題ではないと思うんです。なぜって何かを書くと、わりあい多くの人に読んでもらっていることになっているから。コメントをいただくこともあるからその問題でもないし。「投じたリソースほどの見返りが得られない」 - これかしら? でも見返りってなんだろう? 確かにかけた時間がもったいないなあという気持ちに少しなったりするんですよね。でも、特別見返りを求めて書いているわけではないし・・・。もしかして見返りが何かわからないままに書いているのが虚しさの理由かも。

Pablitoブログでは、たくさんの見返りがあります。自分の載せた写真にわくわくできるし、彼について書かれた文章は例え自分が書いたものであっても面白いし(おいおい)、同じく彼を愛する人に出会って喜びや悲しみを共にするのは本当に心強い。雑誌やテレビ情報を教えていただくなど、ブログを始めた頃は想像もしなかったヘルプも。
プライベート・ブログは、家族の思い出を目に見える形で書いていけるから、あとで読んだら興味深いだろうなあ、とそんな気持ちから頑張れます。帰国したら本にしてもらうつもりでいて、それも楽しみ。

でも、こういう見返りはブログを始めたときには全然期待していなくて、書いているうちにだんだん形を取ってきたものなんですよね。だから、きっとブログを書き始めはみんな見返りをわからずに書いていて、満足な見返りを得られなかった人は虚しくなって書くのを止め、時間と労力に見合った見返りを得られた人が続けていくのでしょうね。でもどの時点で見返りが得られるようになるのか、それがどんな形を取るのかは、誰にもわからない。(純粋に自己表現ができることに深い満足を覚える人もいるでしょうし。) というわけで、虚しさを感じつつ、私はこのブログを今しばらくの間は、ときどき書いていくことになりそうです。

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