カリフォルニアン・キッズ

4年を過ごしたカリフォルニア生活も終わり・・・
帰国子女となった子供たちとの日々をのんびり書いています

ブログ引越しのお知らせ

2012年01月11日 16時24分41秒 | 日本の生活
1年に2回ぐらいの更新になっているこのブログ・・・。いきなりですが、別のブログ・サービスで、帰国子女の英語保持をテーマに、新しくブログを始めてみました。続くかなあ~。このgooのブログは使い慣れているし、編集もしやすいから、本当はこのまま使いたいのですけど、amazonの本の画像を貼り付けることができないのが致命的に欠点なんですよね。(有料版なら可能ですけど、もう一つのブログを有料版にしているので、趣味でブログをやっていて、二つも有料版というのはお財布的にちょっと・・・。)それで、そういうことができるブログ・サービスを見つけて、始めてみました。といっても、まだ3つぐらいしか記事書いていませんが。アマゾンの画像については簡単に貼り付けることができて満足。ただ、記事の編集は慣れているこちらのほうがやっぱりずっと簡単だなあ。とりあえず、ここも残しておいて、また戻ってくるかもしれません。

というわけで新しいブログはこちら:California Kids →ちょっと書いてみたら、ここのブログ・サービスも今ひとつだなあと思い、結局以前プライベート・ブログを書いていたFC2にもう一回お引越し。もう! 完璧なブログ・サービスはなかなかないですねぇ。新しいアドレスはこちらです:California Kids

管理人名をFaithなんてしてみました。全米赤ちゃん名前ランキングから、気に入ったものを選んでみた。これはわりと普通ですが、最近の名前はアメリカもすごく変わっているものがありますね。

そして、うっ、4ヶ月も前にのりままさんからコメントをいただいていたのに、気が付かなくて申し訳ありません。とっくに解決されていると思いますが・・・。コメント欄にお返事しました。(といっても、何も解決策もなく。無事に解決されているといいのですけど。)

すごい地震でした~

2011年05月19日 10時52分17秒 | 日本の生活
今数ヶ月ぶりにこのブログを開いて(汗)、自分の一番最近の記事を読んで、そう言えばこんなこと書いたっけなあと思いながら、何気なく投稿日時をチェックして、??? 3月11日17時47分になっています!!! 3月11日といえば忘れもしないあの大地震があった日。もちろんブログなんて書いてないです、ネットは繋がっていたけれどそんな余裕なかった・・・。一体、どういうこと?と首を捻ったんですけど、私はこのブログを書くときは二つ同時に記事を書くことが多いんです。たぶん3月7日に二つ記事を書いて、もう一つの記事は予約投稿をセットしたんですね。それでまさかあんな地震が起こるとは思わずに、偶然3月11日に予約したんだと思います。ああ、びっくりした・・・。今の今までそんな設定したことさえ忘れていました!

さて地震ですが、こちらは震度6弱の揺れでした。私はあのとき自宅2階にいて、3時過ぎに息子が学校から帰るので、そろそろ帰ってくるなあ、お洗濯ものでも畳むかなあと考えていました。うす曇りの平和な金曜日、少し眠い午後2時46分です。すると地震。最初の揺れはゆっくりとした横揺れで、別段特別なものでもなく、いつものちょっとした地震だろうとまったく警戒心はありませんでした。ところがその横揺れはなかなか収まらず、あれっ、なんだかずいぶん長いぞ、と少しずつ心配になるうちに、ゆっくりしていた揺れがだんだん細かいガタガタとした揺れに変わり、えっ、えっ、何これ!と息を呑む間に、猛烈に立っていられないほどの激しい揺れに! うわあ、なんなの、これ、どうしよう?! まるでジェット・コースターに乗っているような、とても現実に地面が揺れているとは思えないようなそんな揺れです。呆然としながら(中腰になったまま動けないんです)、頭の中は「ついに来たんだ。本当に大地震が来ちゃったんだ。」という思いでいっぱい。そして揺れが長い・・・、永遠に続くかと思うほど長い。これ、どうするの?、永遠に続くの??、家つぶれるんじゃないの??とちょっと泣きそうになってきたところで、ようやく少しずつ揺れは収まりました。後で聞いたら、2分以上続いたそうです。そりゃあ長い、だってジェットコースターだって3~4分でしょう?

あまりのことに驚愕しながら恐る恐る1階へ。そうそう2階では階段踊り場に設置してある本棚から数十冊本が落下。でも揺れの怖さからすると、それほどの被害ではありません。1階はどうなっているかなあと不安だったのですが、両開き扉の食器棚が半開きになり、ガラスのコップが数個隙間から床に落ちて割れている程度。どういうわけか100円ショップで買った安いグラスばかりが犠牲に。た、たいしたことはないかも、と思っているうち、また地震が!! 安全そうな玄関付近に退避。はっきり覚えていないのですが、この後2つあった地震のうちの一つの震源が自宅からわりと近く、最初の地震とあまり変わらないぐらいの大きな揺れでした。一つ終わったと思ったのに、またこんなすごい揺れ?! もう嫌だあ~とかなり泣きたくなりました。だって、揺れが収まって少し行動を開始しようとすると、ドカーンと経験したことのないくらいの激しい地震がくるんだもの。その時点でテレビはつけていて、とりあえず震源は東北地方だと把握。テレビもパニックになっていたようですが、自分もテレビを見るより、「子供、子供の学校は大丈夫なの?」という心配で頭はいっぱい。時間的にまだ下校は開始になっていないだろうから、教室にいたはずです。こういう場合迎えに行くべきなのか、外に出たら危険なのか本当に迷います。避難訓練のときは学校に迎えにいくじゃないですか。でも、固定電話はもちろん、携帯電話も携帯メールも全部不通。でもそのときは携帯メールは通じるだろうと思っていたので、とりあえず携帯を握り締めたまま、玄関の外に出て学校へ行こうかなと思っていると、大きな余震が! 慌てて家の中に戻りうろうろ。そうこうしているうちに、あれ、携帯どこに置いたっけ?と探し回る羽目になり、するとまた地震が! 後から思うとかなりパニックになっていたんですね~。当日スウェーデンに出張中だった夫にメール、また近所の息子の同級生のお母さんにもメール。そのときは知らなかったけれど、このメールは数時間後にしか相手に届きませんでした。両隣は留守でしたが、もう1軒お隣の下の女の子が通っている幼稚園バスが到着しているのが見えたので、「あっ、○○さんは家にいるんだ! 小学生はどうするのか相談してこよう」と揺れを心配しながらも思い切って外へ。その方は誰かから聞いて「小学生は全員無事で校庭で待機しているって話ですよ~」と教えてくれました。そうなんだ、良かった! でも、自力で帰ってくるの? 迎えにいったほうがいいかな?と2人で話しつつ、自宅で何が落ちたとか、クロスに亀裂が入ったとか(その方の家で)、興奮して報告しあいました。そうこうするうちに、「あっ、あれ小学生! 集団下校してきているね!」と遠くに黄色い帽子をかぶった子供たちの姿が。家に帰らなくちゃ、お互い気をつけようね、と言って別れを告げましたが、それまで心細く一人だったのが近所の方と話してずいぶん元気が出ました。

息子の姿を確認しようと家の前で立っていると、「Hi, Mom!」とのんきな声が聞こえます。へっ?と驚いて道を見渡すと、思いがけず自転車に乗ってのんびりこちらに向かってくる中学生の娘が目に入りました。えー、なんであなたがここにいるのぉ?! 普段娘の学校の授業は3時半ぐらいまでで、地震発生時は授業中だったはず。先生がなんとかしてくださっているだろう、と娘のほうは全然心配していませんでした。「どうしてこんな早く帰宅できたの?、授業中に地震に遭わなかったの?」と聞くと、なんと今日は午前授業で、給食を食べてすぐ下校だったんだそうです。全然知らなかった。知っていたら、どこでどうしたか、すごく心配したはず。結局娘は、給食終了後少し学校でぶらぶらしていたものの、英語の宿題が終わっていないことを思い出し、珍しく早めに家に帰ることにしたのだそうです。そして帰宅途中ガムを買おうとミニストップに自転車を止めたところで、地震に遭遇。「すごい地鳴り、土煙だったよ! 電線がすごい揺れてた。でもさ、そんな大騒ぎするほどの地震だったの?」 外で地震に遭うと、揺れが家にいるときほど感じないみたいですね。ミニストップの中にいた人は全員外に出てきたそうです。1000年に1回の地震だなんて夢にも思わない娘は、そのまま自転車で下校を続行。途中道路がひび割れしているのを見てうわっと思ったり、Ks電器ではたくさんの人が外に出て大騒ぎなのを目撃したり、マンションからお母さんと小さい子供たちが叫びながら外に走り出てくるのは見たそうですが、数々の余震にはさっぱり気がつかなかったとか。あなたは呑気だねえと呆れて話を聞いていると、息子が帰宅しました。小学生より早く家に辿りついた私立中学生というのもなかなか少なかったかも。後から思えば、娘が珍しくも殊勝に宿題をやる気になって早くに学校を出たのは幸運でした。地震発生時に部活などで学校に残っていた生徒たちは、最初グラウンドで点呼、その後食堂に避難、夕方から自転車通学者は帰宅が許され、JRが止まったため保護者が迎えにくることのできた生徒は夜遅くに帰宅。100人以上が学校の食堂で一泊することになったんです。実際4月11日の大きな余震のときは娘は学校にいたため、食堂で非常食を食べながら夜8時まで待機する羽目になりましたし。このときは雨だったこともありますが。まあ、地震のとき自転車下校中で屋外にいても、何も落ちてくるものがなくて怪我がなかったから言えることではありますけどね。

家族全員が思ったより早く揃って、これほど安心したことはありません。でも、この日の夕方から夜のことも一生忘れないでしょう。何十年も生きてきて、本当に非常時というのは生まれて初めてでしたから。また気が向いたら、続きを書きますね。

娘の学校の懇談会

2010年12月18日 18時11分32秒 | 日本の生活
先週アマゾンに頼んだ本は、次の6冊。

Miles to Go
Miley Cyrus

Diary of a Wimpy Kid #5: The Ugly Truth
Jeff Kinney

A Series of Unfortunate Events #1: The Bad Beginning: Or, Orphans!
Lemony Snicket, et al

The Witches
Roald Dahl, Quentin Blake

Matilda (PMC) (Puffin Modern Classics)
Roald Dahl, Quentin Blake

The Case of Hermie the Missing Hamster (A Jigsaw Jones Mystery)
James Preller, R. W. Alley

最初の2冊は娘のリクエストなんですが、ハード・カバーなので高かったです(ぶつぶつ)。一番上のはマイリー・サイラスの自伝。17歳で自伝というのもすごいですよね。私が本屋で日本語訳されているのを立ち読みして、内容がティーン・エイジャーが読むには結構いいかなと思い娘に勧めてみました。やっぱり読みやすかったみたいで、すでにほとんど読み終わっているらしい。2番目のは、有名なウィンピー・キッズの最新作。中学生でまだこれを読んでいるって、ちょっと恥ずかしいです。(まあ息子も読むので)

ところで、この前娘の通う学校で、帰国子女クラス向けの懇談会がありました。娘のクラスの担当の先生は日本語もぺらぺらなことを知っていたので、当然日本語で話すだろうと思っていたら、普通に英語でのお話でした~。聞き取れないわけではないけれど、良く考えると目の前の人が英語を話す状況って日本では滅多にないから、ちょっと新鮮。しかも、引き続き行われた個人面談も、先生たちからは英語。英語を聴くのはともかく、自分が話すのはちょっとしどろもどろ、だってもう1年以上話していないんだもの! というわけで、途中から自然に日本語での会話になってしまいました。まあ、ここは日本ですし、許してもらおう。

面談の順番を待っている間は、適当に他の保護者と雑談していたわけですが、教室の片隅にお紅茶やお菓子(クッキーやクラッカーなど)が並べられていて、先生が「Please help yourself!」と言っていたのには、アメリカの学校の雰囲気を感じました。基本的に日本の学校はお菓子持込厳禁ですから・・・。
お母さんの中で、パロ・アルトにいた方がいて、話が盛り上がりました。ミツワや紀伊国屋の話なんかしたりして、懐かしかったです。途中、シアトルにいた方が話に加わったのですが、「日本は曇り空でも、シアトルに比べれば、明るいと感じますよ!」と話されていたのには、へえーとびっくり。カリフォルニアを体験してしまうと、日本はものすごくお天気の悪い国に思えるわけですが、ほんとアメリカは広いですよね。

学校の勉強がおろそかになっているかも

2010年12月02日 17時37分37秒 | 日本の生活
Holesを読み終わりました。とても面白かったです。平易な英語でストレスなく読めるのに、構成が緊密で、ストーリー展開も興味深い。でも内容的に、小学生向けではないような気がするなあ~。穴掘り矯正施設が残虐すぎて10歳以下にはちょっとどうかなと思いました。しかし、本来娘向けの本なのに私が読んでどうするのでしょう?! とはいえ、楽しく読書できたので、このレベルの英語で他にも面白い児童書はないかな?とアマゾンを物色中です。

The Penderwicks: A Summer Tale of Four Sisters, Two Rabbits, and a Very Interesting Boyのほうは、車の中で聴くとなかなか良いことを発見。週に一回隣の市のなんちゃってインター(日本人しかいないので)のアフター・スクール・クラスに通っているんですけれど、片道30分弱かかるんですよね。その送迎の車の中で聴いてみたら、集中して聞けました。特に帰りは夜で辺りが真っ暗なので、ストーリーに入り込めるみたいです。問題は、運転の私もじっと聴いてしまうので、運転に気をつけないと! それにしても、耳から聴く英語の本が面白いのって新鮮です。もっと早く知っていたら、アメリカでの長く退屈なドライブ(7時間とかね!)のときに利用できたのに! ハリー・ポッター1巻なども、こうやって聴くとどんな感じなのでしょう? でも映画も見ちゃったしなあ。ナル二アの映画化されていない巻を聴くとか。ただ想像するに、知らない単語がたくさん出てくるような本は聴いても理解が難しいのでしょうね。

この間は書き忘れましたが、息子には "Sideways Stories from Wayside School " も買ったのでした。Holesの作者のようです。届いた本を見たら、すごく活字が小さかったので読めるかなあ?とちょっと心配に。先に娘が読みました(苦笑)。でもおとといぐらいから、息子も寝る前にベッドで読み始めて、問題なく読めているようです。

うちでは、この他に、もう週に一回カナダ人の先生の英会話に通って、あとは家で細々とワークブックをやっています。でもつい昨日、息子の小学校から月の終わりのテストが帰ってきました。すると漢字も九九も驚くほど点が悪いんですよ~。九九なんて、娘のときはもうアメリカにいたから、週に二回の日本人学校で勉強するだけで、それでも特に問題なく覚えることができたというのに。みっちり日本の小学校の算数の授業を受けている息子は簡単に覚えるだろうとたかをくくっていたらこの有様。漢字も、毎日のように漢字ドリルをやっています。アメリカでやる漢字学習とは比べ物にならないくらい時間をかけているのに、さっぱり身になっていないような。英語をやっている場合ではないということでしょうかね~。実際、私が見ているのは英語だけで、2年生のお勉強なんて学校だけで十分わかるだろうと思っていたのですが、大きな間違いなのか?! たぶんお勉強の時間がちょっと少ないのかも。学校から帰ってくると、おやつもそこそこに、5分もしないうちにお友達が誘いに来たりして、弾丸のように近くの公園に飛んでいく毎日。主にサッカーなどをして5時まで遊び、家に帰ってくるとやっつけで宿題のドリルを終わらせ、あとはテレビにPCゲームに・・・。ご飯を食べて、お風呂に入って、一応英語の本、またはゾロリを読みながら寝る・・・昔ながらの小学生の男の子の生活とも言えますが。 


制服だけでも30年前の公立とは違う・・・

2010年04月23日 17時04分52秒 | 日本の生活
またさぼってしまいました~。いえ、応援しているサッカーのチームがついにリーグ優勝目前!! しかし日本からだと午前3時や4時起きでネットを見なくちゃいけないから、もう大変です。一週間に二度も試合があったりすると体力の限界に挑んでいる感じです(選手でなく自分が)。

それにしても、恐ろしくお天気の悪い今日この頃。日本ってこんんなでしたっけ?! 感じとしては太陽を見るのが一週間に一日か二日しかないような。日本はこれほど日照の少ない国だったかなあ、半年毎日快晴のカリフォルニアに慣れて忘れてしまっただけ?と首をひねっています。その上、最高気温が10度とか。冬としか思えない。さすがにこれは異常ですよね!

娘のほうは無事に新しい中学校に入学。英語は帰国生クラスで勉強しています。アメリカ、イギリス、シンガポール、ドイツ、ブラジルなどからの帰国の子たち15人がいるみたい。ただ、数年前の帰国の子も多いので、授業自体はアメリカのミドルに比べると格段に易しいようです。都内の渋谷幕張や、神奈川のSFCなどではアメリカの学校そのものの授業を受けられると聞きましたが、そんな難関校は遠くて通えない上に、娘では最初から受かりません・・・。仕方ないですね~。

ところで、週に7時間ある英語のうち1時間は日本人による日本風のグラマーの授業があります。昨日練習帖を覗いたら、「Is this an orange or an apple?」という文章があって受けました。見ればわかりそうなものですが。更には「Is this an egg or a ball?」というのも。卵とボール・・・状況を想像すると笑えます。

自分が公立の中学、高校にしか通ったことがないもので、私立の中高一貫校とはどんなものやら興味津々。制服からして、昔と違って、ベストだのセーターだのバリエーションがいろいろあるんですねぇ。(私なんてセーラー服だけだったけど。)あと、襟元に結ぶのも黒いリボン、黄色いリボン、ネクタイと3種類あって、その日の朝の気分次第だそうで・・・。成績は私のほうがずっと良かったのに(!)、こんな学費の掛かる学校に通わせてもらえるなんて、娘が羨ましいくらいです(苦笑)。


日本の小学校って・・・、その1

2010年02月12日 14時59分00秒 | 日本の生活
久しぶりに日本の小学校を体験すると、びっくりするようなことがいろいろ。
まずお勉強面なんですが、宿題がドリルしかないんですね~。低学年はまあ、計算と漢字に力を入れるということでいいのかなとも思いますが、6年生になってもドリルだけ、それも自主的に進めてOK。あとは何もなしというのがちょっと驚き。うん十年前の自分だって、確かにあまり宿題なんてした記憶はありませんが、ついこの前までアメリカのミドルで毎晩宿題をこなすのにぜーぜー言っていた娘が、今は暇そうにぶらぶらとしているのを見ると(受験も終わったので)、これでいいのか?!と思ってしまいます。授業だけでしっかり頭に入っていればいいけれど、教科書をめくっても、妙に子供っぽい易しい内容ですし、アメリカの学校のテキストの方が難易度はずっと高いような・・・。

ミドルの授業の進め方はとてもシステマティックで、宿題提出が何パーセント、クイズの点数が何パーセント、テストの点数が何パーセント、クラス参加が何パーセントで成績が付くと予め先生から通告されていて、日々自分の成績をネットで確認できたじゃないですか。宿題を出さなかったりしたら途端に成績が下がるから、子供もちゃんとやるし、モティべーション維持には良いシステムだったと思います。娘はコレクター気質のところがあるから、PCで見て成績がAになったり、B+に落ちたりするたびに一喜一憂していました。アメリカには塾がないせいかなあ、毎日の宿題がないというのは考えられないですよね。親もとりあえず宿題をこなしていれば大丈夫なんじゃ?という気持ちがあって、ある意味教育的には健全な状態と言えるかも。

で、昨年すごく驚いたのは、去年の春に娘が最後に受けたSTARテスト(カリフォルニア標準テスト)の結果がようやく日本の我が家にも届き、成績がEnglish-Language ArtsもMathもとても良かったんです。娘いわく:「MathのMs.Lynnの教え方が結構わかりやすくて、宿題とテストを続けていったら、STARテストもわりとできた感じはしたんだよね。」とのこと。Mathは今までで一番良かったし、もっとびっくりなのは3年前はFar Bellow BasicだったEnglish-Language Arts(要するに英語)がどーんと成績が上がっていたこと。こちらはMs.Haasという先生で、宿題には毎晩苦労していたのですが、頑張った甲斐があったということでしょうか。3年間でここまでに英語を吸収できる子供の柔軟性は驚異的、と同時に、やっぱりサラトガのミドル・スクールの先生たちもかなり優秀なのかも。普通に授業と宿題をこなしていただけでこれですからね。サラトガの家を出るとき、たくさんの親子が家を見に来て、みんなが「この学区のミドルに子供を行かせたいから。」と言っていたのも理由があるんだなあ、と今更感じ入っています。中には子供たちを私立の学校に行かせているのに、サラトガのミドルのほうがいいから転居したいというお母さんまでいたんですよね。

と、アメリカの思い出話になってしまいましたが、日本の小学校ももう少しやり方を工夫すると、子供の学力向上になるのではないかなあ、と。ドリル一冊を2回も3回もやるだけでは・・・なんだか無駄だし、12歳の子供にそれだけって味気ないというか手抜きというか。同じ娘でも、圧倒的にアメリカの学校のほうが能力を引き上げてくれていたな、とはっきりわかるだけに、日本の学校には苛立たしさを感じてしまいます。
でも、今比べているのは小学6年生と、アメリカのミドルの6年生ですから、日本でも中学に行けばいろいろ違うのかもしれません。娘は公立には行かないので、息子で初体験となるわけですが・・・。
それから、サラトガは非常に裕福な家庭が集まっている学区ですから、私立の学校並みの先生、授業の質を保てるということもあるのかも。娘も、断然アメリカの授業のほうが面白かったと言っています。きっと普通の日本の公立の学校とは比べてはいけないのでしょう。


無茶苦茶久しぶり・・・娘の私立中受験体験記

2010年02月09日 13時20分47秒 | 日本の生活
もう前はいつ書いたのか覚えていないほどなんですが(汗)。
サッカーのブログはきちんと(笑)毎日書いていたので、忙しかったという言い訳もできませんよね~。あっちのほうのブログは、一日でも休むと「一体何があったの?!」と聞かれるくらいで、それはそれで密かにプレッシャーがかなり。試合が負けた後とか、書くのは辛いのに、なんとか書かなければいけない葛藤が超苦しいです。

それはさておき、実は秋頃から、娘の中学受験にいい加減ながら取り組んでいました。こちらは首都圏ではない、ある一地方。なのでそれほど熾烈な受験は存在しないのですけれど、それでも最後の一ヶ月は、厳しい受験のほんの一端を垣間見てしまったような気がします。当初は近所の公立の中高一貫校とやはり近所の私立の帰国子女受け入れ校を考えていました。でも秋の模試が悲惨で、公立の一貫校は諦めることを決断。入試問題が膨大な記述式で、誤字脱字漢字の間違いが多い娘の回答用紙は、たぶん一瞥しただけで不合格になると思われたから。それに、問題がね~、「日本を訪れた外国人は、日本の街並みが綺麗ではないと考えているとのアンケート結果があります。外国人に日本の街並みの良さをわかってもらうためにはどうしたらいいと思いますか?」とか今ひとつ訳がわからないものが多いんです。娘は、「日本の町ってすごく汚いじゃん。」とそこで思考が止まってしまい、必死で考えた末に「町の見た目はきれいではないが、お店やレストランの中は清潔でごみも落ちていない。」と回答。アメリカを知っている子ならではの、「だよね~」と思える答えだけれど(笑)、たぶん全然的外れなんだと思います。そういう感じで、日本的常識を知っていないとちょっと難しいかな?という印象でしたね。

それで私立の中堅校に絞ったわけですが、全国的な難易度では全く難しくないとはいえ、やっぱり私立中の試験問題だけあって、算数は公立の小学校では一つも習わないことばかりが出題されています。帰国枠を使うと、通常4教科のところ、国語、算数の2教科受験。それに本人面接、親子同伴面接が追加されます。ただ受ける試験問題は一般の子たちが受けるものと同じ。合格基準がわからなくて非常に困ったのですが、塾によると「いくらなんでも算数0点では落ちますよ。」 うーん、最初の計算問題はできても、秋の時点でその他の問題は見事に0点。だって、旅人算やらニュートン算やらって、日本人学校でもアメリカの現地校でも全く習わないじゃないですかぁぁ。算数15点ぐらいでは受からないのかなあ、と思いつつ、仕方なく11月から塾に週3回、午後8時半から9時50分まで通い、冬休みは毎日6時間通いました。それで、食塩の問題と植木算とやらはまあわかるようになり、でも、ニュートン算と旅人算は今ひとつなまま、漢字は四文字熟語がボロボロのまま本番突入。

落ちたら公立の中学校に行けばいいよ、お金も安いし、と親は思っていたのですが、それでも試験本番の日は超緊張しました~(両親のほうが)。娘は前夜も11時にはぐっすり夢の中で、いやはや度胸だけは据わっているようで。
当日は、私たちは面接があるので待合室となっている食堂で待機。でも他にもたくさんの付き添いの親御さんが子供たちの試験が終わるのを待っています。お昼を挟んで午後まで試験はあるのに! 国語、算数と試験が始まると、問題が張り出されます。早速漢字をチェックして、「うわー、たぶん半分も書けていない。単刀直入なんて絶対書けない。」と頭を抱え、「もっと漢字をしっかりやらせるんだった、でも何度も言ったのに! あんないい加減な勉強で受かるほど世の中甘くないよ!」としばし激しく後悔する私。そうこうするうちに国語と算数が終わった娘が出てきて、「漢字、できなかった。算数、食塩はできたけれど、わからないのも一杯あった。」 はあ~~。

面接に臨んだ親子は20組ぐらいいたでしょうか。全員帰国枠だと思われます。「MOMA」と書いたバッグを持っているお母さんがいて、ニューヨークにいたのかなあなんて思ったり。
本人面接は、まず英語からだったので、わりと上手く行ったそうです。家で練習をしたとき感じましたが、英語で話すほうが堂々とわりと理路整然と上手に話せますよね。
次は緊張の親子面接。家庭での教育方針やら娘の長所やら聞かれて大変でしたが、まあ日本語ですし、私は精一杯頑張って娘の良いところをアピールしました。度胸があるとか、生きる力があるとか(笑)。ところが、最後に話は娘に振られ、「お母さんからたくさん良い面を伺いましたが、あなたは自分の長所はなんだと思いますか?」 娘:「それは、明るく元気で、少しのことにめげないことです。」(←練習してきたとおり) 校長先生:「今まで辛いことなど何かありましたか?」(あっ、その質問は練習していないわ!) 娘:「・・・(長い沈黙)。別にありません。」 おいおい、辛いことがなかったのにめげないってどうしてわかるんだあ?!と心の中で突っ込み。

もう冷や汗たらたらの面接で、学科試験も微妙だったようですし、二日後の発表まで「どうだろう?」と頭はぐるぐるでした。英検2級はたいしたことないけれど、英語面接では聞かれたようだし、現地校の成績はまあまあ、最後のStar Testはかなり良かった、日本人学校の成績は良くて、先生のコメントもずいぶん良い評価を書いてくれていた・・・このへんを加味してくれないものかなあ~なんて。(アメリカでの成績などは一切合財全部提出済み)公立でもOKだったはずなのに、どういうわけか不合格は嫌でなにやら祈るような気持ちになっている自分が不思議でした。

さて、合格発表の日。なんとネットで合否が確認できるんです。デジタルの時代ってすごいですね。でも夫は会社だし、娘は学校、私一人で見なければいけないんですよね。時間の11時を待ってアクセスしたところ、集中しているのかアクセスできません。最初は胸ドキドキでクリックしたのに、何度かはねられると「あれっ」と機械的に何度もクリック。すると、あっけなく「おめでとうございます。合格です。」の表示が。うぉー、受かったよ!!! た、たいして勉強していないけれど、良かったあ(涙)。
それにしても、娘の力というより、親子面接で頑張った私のおかげじゃ?なんてちょっぴり思ったりするのですが。

ちなみにこの学校は娘の通っていた日本人学校で毎年説明会を開いています。説明会をあそこでやるということは、塾でなくてあの学校に通っている生徒でもいいんだよね?と何度も思ったのですが、やっぱりそうだったのかな。一応、帰国子女用の英語クラスがあり、週7時間、うち6時間はネイティブの先生の授業です。公立中の英語の授業は週3時間なのに比べると、時間的には手厚いのでそれが一番の志願理由ですが、授業のレベルは入ってみないとわかりません。
子供がもっと頭が良くて、距離が近かったら、渋谷幕張など素晴らしそうです。英語の授業はアメリカの現地校とほとんど同じカリキュラムのようですね。授業はとても楽しいらいしい。息子にどうだろう?なんて一瞬思って調べましたが、やっぱり通えないし、息子がそれまで英語をキープできるとも思えないです。(まあその前に頭が・・・。最低でも英検準一級は必要だとか)

こんな短いなんちゃって受験でもどきどきだったのに、4年生から通塾して受験する親子の方たちの苦労は計り知れません。それから、首都圏の難関校を帰国枠で受けるなら、アメリカでも日本人学校になんて行かずに塾に通っていないと絶対に無理ですね(常識か・・・)。うちののんびり娘は地方在住で本当に良かったです。ただ、通うことになる学校は、地元ではクラスで上位にいたお友達ばかりになるはずなので、どうなることやら・・・。付いていけるのか非常に心配です。

久しぶりに書いたら、やけに長くなってしまいました。読む人もいないだろうけれど、自分の備忘録代わりに。

日本からです!

2009年08月30日 17時47分26秒 | 日本の生活
ご無沙汰しています~、といっても誰も見ていないと思いますが。日本でもサッカーのブログは毎日書いているのですけれど、また怪我しちゃったから・・・。

日本はですね、恐ろしくお天気が悪いです。カリフォルニア晴天に慣れすぎてしまったのか、真剣に鬱になるんじゃないか?!と思うくらい酷いです。9月はどうなんでしょう。7月、8月は一時帰国で経験ありますけれど、9月はこの四年間経験していないので、どんなものだか。

明日から子供たちの学校が始まります。信じられない量の持ち物で、もう親があんぐり。7月に帰国したものの、インフルエンザ感染の恐れから(今となっては笑ってしまいますが)一週間自宅待機になったために、結局子供たちは一週間学校に行っただけで夏休みに入ってしまいました。なのでほとんど持ち物をそろえなかったのですが、明日からはフル装備です。巾着袋に5枚の机に敷くナプキン、5枚の口拭き用のミニ・ハンカチ(5日分だから)、2枚のマスク、別の巾着にはうがいコップと歯磨きセット、もちろん上履き袋に上履き、連絡袋に連絡帳、教科書とノート、赤白帽子、絵本袋にお道具箱、算数セット、夏休み明けなので工作作品、夏休みの宿題プリント、下敷き、ペンケース、ペンケースの中には鉛筆が5本、赤青鉛筆、消しゴム、定規、鉛筆削り、図書室で借りた本、ハンカチ、ティッシュ・・・。まじですかあ!!! しかも明日の天気予報は台風が近づいているために大雨。バックパックにお弁当だけ(本当にそれだけ! スクールランチのときはバックパックは空!!)を入れて通っていた、というか車から降りてクラス・ルームまで歩いていただけだった息子。まあ力はあるので、倒れはしないと思いますが、毎日毎週これだけ持ち物を自力でそろえることができるのかというほうが問題です。しかもなんと毎日持ち物検査が・・・。爪と名札をつけているかの検査も。親のほうが、書いているだけで憂鬱になってきます。これ本当に全部必要? 一体どれだけ小袋が必要なんだか~。(アメリカ人だったら、絶対に全部大小のジップロックで済ませるね!!)

あっ、もちろん日本で良いこともあります。やっぱり食べ物が美味しい。食材もたくさんあるので、夕食作りがアメリカでほど苦痛ではありません。結構簡単に準備できるのはすごくいいですよね、普通にスーパーでいろいろなものが買えるから。
それと、自宅は、高いローンを払っているだけあって、アメリカの借家よりもずっと雰囲気がいいです。キッチンも使いやすいし、イーサン・アレンのダイニング・テーブルもぴったりだったし、Longerbergerのバスケットもvery good。アメリカの家よりも日本の家のほうがマッチするというのも妙な話ですけれど、建築時に無理して輸入物の木のサッシを窓に使ったので、ウッディな感じはとっても合うんです。もっと買ってくれば良かったなあと後悔。アメリカの家は、手を入れている家は素敵ですが、借家にしている家は設備も建具も15年以上古かったりするので、そのへんはずいぶんぼろかったなあと今になって思います。(広さは今の家の1.5倍あったけれど。)

さて、夕食を作らなければ。今日は冷やし豚肉しゃぶしゃぶです。これは簡単ですぐできるからいいなあ(笑)。絶対アメリカでは食べられなかったし。

歴史的な選挙の結果ということでテレビでは大騒ぎですけれど、私たちはなぜか選挙権がありませんでした。どうしてかわかりませんが、あの選挙のお葉書が来なかったから・・・。半年とか住んでいないと駄目なんでしょうかね?