カリフォルニアン・キッズ

4年を過ごしたカリフォルニア生活も終わり・・・
帰国子女となった子供たちとの日々をのんびり書いています

すごい地震でした~

2011年05月19日 10時52分17秒 | 日本の生活
今数ヶ月ぶりにこのブログを開いて(汗)、自分の一番最近の記事を読んで、そう言えばこんなこと書いたっけなあと思いながら、何気なく投稿日時をチェックして、??? 3月11日17時47分になっています!!! 3月11日といえば忘れもしないあの大地震があった日。もちろんブログなんて書いてないです、ネットは繋がっていたけれどそんな余裕なかった・・・。一体、どういうこと?と首を捻ったんですけど、私はこのブログを書くときは二つ同時に記事を書くことが多いんです。たぶん3月7日に二つ記事を書いて、もう一つの記事は予約投稿をセットしたんですね。それでまさかあんな地震が起こるとは思わずに、偶然3月11日に予約したんだと思います。ああ、びっくりした・・・。今の今までそんな設定したことさえ忘れていました!

さて地震ですが、こちらは震度6弱の揺れでした。私はあのとき自宅2階にいて、3時過ぎに息子が学校から帰るので、そろそろ帰ってくるなあ、お洗濯ものでも畳むかなあと考えていました。うす曇りの平和な金曜日、少し眠い午後2時46分です。すると地震。最初の揺れはゆっくりとした横揺れで、別段特別なものでもなく、いつものちょっとした地震だろうとまったく警戒心はありませんでした。ところがその横揺れはなかなか収まらず、あれっ、なんだかずいぶん長いぞ、と少しずつ心配になるうちに、ゆっくりしていた揺れがだんだん細かいガタガタとした揺れに変わり、えっ、えっ、何これ!と息を呑む間に、猛烈に立っていられないほどの激しい揺れに! うわあ、なんなの、これ、どうしよう?! まるでジェット・コースターに乗っているような、とても現実に地面が揺れているとは思えないようなそんな揺れです。呆然としながら(中腰になったまま動けないんです)、頭の中は「ついに来たんだ。本当に大地震が来ちゃったんだ。」という思いでいっぱい。そして揺れが長い・・・、永遠に続くかと思うほど長い。これ、どうするの?、永遠に続くの??、家つぶれるんじゃないの??とちょっと泣きそうになってきたところで、ようやく少しずつ揺れは収まりました。後で聞いたら、2分以上続いたそうです。そりゃあ長い、だってジェットコースターだって3~4分でしょう?

あまりのことに驚愕しながら恐る恐る1階へ。そうそう2階では階段踊り場に設置してある本棚から数十冊本が落下。でも揺れの怖さからすると、それほどの被害ではありません。1階はどうなっているかなあと不安だったのですが、両開き扉の食器棚が半開きになり、ガラスのコップが数個隙間から床に落ちて割れている程度。どういうわけか100円ショップで買った安いグラスばかりが犠牲に。た、たいしたことはないかも、と思っているうち、また地震が!! 安全そうな玄関付近に退避。はっきり覚えていないのですが、この後2つあった地震のうちの一つの震源が自宅からわりと近く、最初の地震とあまり変わらないぐらいの大きな揺れでした。一つ終わったと思ったのに、またこんなすごい揺れ?! もう嫌だあ~とかなり泣きたくなりました。だって、揺れが収まって少し行動を開始しようとすると、ドカーンと経験したことのないくらいの激しい地震がくるんだもの。その時点でテレビはつけていて、とりあえず震源は東北地方だと把握。テレビもパニックになっていたようですが、自分もテレビを見るより、「子供、子供の学校は大丈夫なの?」という心配で頭はいっぱい。時間的にまだ下校は開始になっていないだろうから、教室にいたはずです。こういう場合迎えに行くべきなのか、外に出たら危険なのか本当に迷います。避難訓練のときは学校に迎えにいくじゃないですか。でも、固定電話はもちろん、携帯電話も携帯メールも全部不通。でもそのときは携帯メールは通じるだろうと思っていたので、とりあえず携帯を握り締めたまま、玄関の外に出て学校へ行こうかなと思っていると、大きな余震が! 慌てて家の中に戻りうろうろ。そうこうしているうちに、あれ、携帯どこに置いたっけ?と探し回る羽目になり、するとまた地震が! 後から思うとかなりパニックになっていたんですね~。当日スウェーデンに出張中だった夫にメール、また近所の息子の同級生のお母さんにもメール。そのときは知らなかったけれど、このメールは数時間後にしか相手に届きませんでした。両隣は留守でしたが、もう1軒お隣の下の女の子が通っている幼稚園バスが到着しているのが見えたので、「あっ、○○さんは家にいるんだ! 小学生はどうするのか相談してこよう」と揺れを心配しながらも思い切って外へ。その方は誰かから聞いて「小学生は全員無事で校庭で待機しているって話ですよ~」と教えてくれました。そうなんだ、良かった! でも、自力で帰ってくるの? 迎えにいったほうがいいかな?と2人で話しつつ、自宅で何が落ちたとか、クロスに亀裂が入ったとか(その方の家で)、興奮して報告しあいました。そうこうするうちに、「あっ、あれ小学生! 集団下校してきているね!」と遠くに黄色い帽子をかぶった子供たちの姿が。家に帰らなくちゃ、お互い気をつけようね、と言って別れを告げましたが、それまで心細く一人だったのが近所の方と話してずいぶん元気が出ました。

息子の姿を確認しようと家の前で立っていると、「Hi, Mom!」とのんきな声が聞こえます。へっ?と驚いて道を見渡すと、思いがけず自転車に乗ってのんびりこちらに向かってくる中学生の娘が目に入りました。えー、なんであなたがここにいるのぉ?! 普段娘の学校の授業は3時半ぐらいまでで、地震発生時は授業中だったはず。先生がなんとかしてくださっているだろう、と娘のほうは全然心配していませんでした。「どうしてこんな早く帰宅できたの?、授業中に地震に遭わなかったの?」と聞くと、なんと今日は午前授業で、給食を食べてすぐ下校だったんだそうです。全然知らなかった。知っていたら、どこでどうしたか、すごく心配したはず。結局娘は、給食終了後少し学校でぶらぶらしていたものの、英語の宿題が終わっていないことを思い出し、珍しく早めに家に帰ることにしたのだそうです。そして帰宅途中ガムを買おうとミニストップに自転車を止めたところで、地震に遭遇。「すごい地鳴り、土煙だったよ! 電線がすごい揺れてた。でもさ、そんな大騒ぎするほどの地震だったの?」 外で地震に遭うと、揺れが家にいるときほど感じないみたいですね。ミニストップの中にいた人は全員外に出てきたそうです。1000年に1回の地震だなんて夢にも思わない娘は、そのまま自転車で下校を続行。途中道路がひび割れしているのを見てうわっと思ったり、Ks電器ではたくさんの人が外に出て大騒ぎなのを目撃したり、マンションからお母さんと小さい子供たちが叫びながら外に走り出てくるのは見たそうですが、数々の余震にはさっぱり気がつかなかったとか。あなたは呑気だねえと呆れて話を聞いていると、息子が帰宅しました。小学生より早く家に辿りついた私立中学生というのもなかなか少なかったかも。後から思えば、娘が珍しくも殊勝に宿題をやる気になって早くに学校を出たのは幸運でした。地震発生時に部活などで学校に残っていた生徒たちは、最初グラウンドで点呼、その後食堂に避難、夕方から自転車通学者は帰宅が許され、JRが止まったため保護者が迎えにくることのできた生徒は夜遅くに帰宅。100人以上が学校の食堂で一泊することになったんです。実際4月11日の大きな余震のときは娘は学校にいたため、食堂で非常食を食べながら夜8時まで待機する羽目になりましたし。このときは雨だったこともありますが。まあ、地震のとき自転車下校中で屋外にいても、何も落ちてくるものがなくて怪我がなかったから言えることではありますけどね。

家族全員が思ったより早く揃って、これほど安心したことはありません。でも、この日の夕方から夜のことも一生忘れないでしょう。何十年も生きてきて、本当に非常時というのは生まれて初めてでしたから。また気が向いたら、続きを書きますね。