逆に自身の主張、思想が通っているとしたら。むしろ自分の要求は壁の前ではある。
自分の前には99人のか、等価以上の他者が居て、それがその要求を査定しているのだ。
※「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力
そのキャラはもう、自分よりずいぶん年下になってしまった。
もちろんか、逆もまた真なり、ではあり。そしてそこを制するのは多数決ではない、「主張の正論性」相手が反論できない、という強度ではある。それは人々の益に成っているのか?単なる独善か利益の独占に過ぎないのでは。それは是非を計る上では大事な視点には、成る。
その筈ではあるのだが。
果たして「嬬魔」それに、独占権は主張出来るか、そこは少し混沌は有るのだった。
自分の想定では「ガンダム」そのMSとは「職業的文化の象徴化」では、ある。多分わかりやすい所では「ザク」は農業、GMは事務職、ボールは清掃業、いわゆるRX-78-2ガンダムは社長業、と言うニュアンスには、なる。要するに自由市場経済での衝突を「戦力」に準えて表現した様、ではある訳だ。が、”それ”は或いはサンライズが「勝手に」主張し権利を確保しただけの話で、”その下にあるモノ”は、公共物の様な物ではあるまいか。そう言う事は許されるのか?例えばあなたの店が、貴方の許諾を待たずに勝手にMSとして表現され、それは望まない相手と戦争状態にある、事に成ってしまうのだが。
…とは言え「農業」その概念に、所有権は主張して良いのか?ではある。
そもそも「キャラクター」それが、かなり「そう言う物」として一般に浸透した物ではある、「キャラのイメージ」それには大概か、元ネタの様な物はある、これ誰?ともかく普通のキャラの場合、意図的に似せる様な事をしない限りは現実とは一致しない、のが普通ではあり、そこは暗黙の了解により意識しない、事には成っている…訳だが。
「大衆は神である」その思想の場合、そこは神が査定する部分ではあって、問題視されない限りは問題にしないのが通例に成っている、神が認めているのだ、それ以上は無意味である。ガンダムもそれは同じく、「自由市場での騒乱を避ける」上での特例に近い話としてガンダムは許諾されている、訳で。他のロボット作品は多く、”そう言う意図は持っていない”ので、どうしてもガンダムより次点以下に成るのはやむを得ない。
…そして、ガンダム並みの要求、そう言うのもちょっと、レアだ。
「売れる」為には、意図、目的が神の査定を通るモノである事、それは前提でさえある。「なんで売れないのか?」と言う時、その辺が非常に個人的か、或いは犯罪的でさえある、そう言う場合が多い。世間に、人々に有益な物で無ければそれは容認されないのだ、否定は「売れない」と言う結果で判明する。創作者は最終的にはそう言う倫理的な障壁を掻い潜って、「必要な物」を創造しなければ成らない、利益はその先にある。
という道理を通せないまま、平成は大分喪失を起こした訳だが。
そう考えると「同人」そこでは、商業キャラクタがかなり乱雑に勝手に利用されつつも容認されている、そこには理由は出てくる。”それ”がどこか一か所に独占されると、その「標的」が、所有者の自由にされてしまう可能性はまあ、高い。その時しかし、第三者の利用はそこにアンチテーゼを投げる訳で…そこで中和は発生する。その辺に自由を設定する事で、逆に「神の意向」それは通りやすくなる、訳だ。
「公共物の私物化は良くない」もちろんでは、ある。
今、その権利を持っている所は。単に「責任を預けられている」に過ぎない訳だ。”神”から。
扱いが妥当でなければ、損失と、或いは権利のはく奪さえも視野である。利益を求めるなら、その辺は真摯に対応するべき、それは間違いないのかも。
しかし逆に、貴方が考えたと主張するキャラクターであろうと、実は私物化は出来ない、そう言う事にも成る。
神が妥当とする扱いをしなければ、それは容易く居なくなる、そう言う物、だろうか。