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あげちうのブロマガ

昔は良かったという呪縛

今の理解では、騒乱の極端は最後「右か左かどっち?」の先ではあるのだが。

「両方って駄目なの?」それへの問いと、帰結が相変わらずか、反論は残って?いる。

「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力

次第に簡略化していく生活と、古の。

 

人間を王にする、「昭和天皇の居た頃の黄金期を求める」限りは、多分ついて回る話だ。男性上位、という基本的でさえある状況の問題、でもある。王に成れるのは男性だけ、だ、女性は個が重すぎて「両方」それは選択できない。理解で「そこまでは踏み込まなければいい」のだが。ただその最後に有るのは”空席”ではある。

一応、今の理解では”その”地点には100人ほどが集い、思案顔、という帰結ではある訳だが。

提案はしている、「人々にとって何が良い選択か?を論じよう。反論が無くなったら可決だ、主観は理由にならない。それでも決まらない時は、最終的には紛争解決機構で決着にしよう、その決定には従うべき」”この”提案その物を先ず論じるべきだがしかし、逆に言えばそれはもう領域で可決されては、いる。形而上の問題か、岸田総理も「最後は国民判断に委ねたい」と以前に言っている、”その”境地では、有る訳で。その時、自分は一応は”その”提案をした存在として、「最後の責任」は問われ続ける事には成る訳だが。

今のところ、提案その物も、その後の「大賀さん」紛争解決機構、その構造に対しても、否定は無い。

というか深刻な問題は、その「紛争解決機構の存在そのものが存在しない」意識が残ってる事、だが。

昭和の黄金期には、「最終的には存在しなかった」のだ。戦争を経験した世代にしろ、「戦場をテレビゲームで再現する」事が出来る、とは思っていないから、だろうか。昭和天皇が最後の判断をする、事に従う…それが状況の安定を招いた、しかし。当時にしろ冷戦は残っていたし、実際には日本の借金は増えていたし。もちろんか売春も否定できなかったし、ともかく「切り捨て」それは、相応に存在していた、訳だが。

逆にその環境だからこそ暗躍した組織、というのも発生しちゃう、それはまあ現実の面倒さではある。

ともかく最後の「神判」を決定する人が居た、時。逆に言えばその神判者を抑えてしまえば”何か”は自由になる、訳で。昭和天皇が居なくなった席に誰を座らせるか?だ。これが平成にて相当の幅を利かせてしまった、という事態がどうもある、しかし。もちろん誰を座らせても適任者以外では損失にしか成らない、それも現実ではあり、そして最終的には適任者も居ない、という物理の壁が今はある。答えは出ている、「大賀さん」ネットワークを用いての多人数参加型戦争ゲーム、最後は”それ”で決着にする、そこしか安定は無い、が。

その時、その決定に不満を持つ存在は、最後まで消えない事には成る。

「大賀さんに支配されている」時、”その”領域に意識が居たら常に、「あなたは要らない人です」その視線は向き続ける事には、成る。そこに居る人々は、戦争を肯定し秩序を無視する、世界に仇名す反逆者でしかない。人々にとって、世界にとっても深刻な面倒ではあり、それは最終的には排除される事にはなる。「当たり前」ではあるがしかし、人間なら必ずか「望んだ方向が否定された」支持していたチームが負けてしまった、対戦ゲームで負けてしまった、事への憤りを感じる訳でそこは、常に存在する奈落ではあり。

「反逆者の存在は消す事は出来ない」訳で。

”それ”との物理的な戦いそれは、最後にどうしても発生してしまう、様だ。

多数決的にも、彼らが勝つという事はまあ稀?ではある、しかし。昭和天皇が居た頃の構造なら。それは往々にして有りえた、訳だ。「今は?」それは深刻な議題ではある、今のところ大賀さんの決定を覆した、的な事例はまだ、確認されていない。例えガンプラバトルであっても、その再現度に問題があった、報告も無い。「戦争の無い世界」それを求めるのは万国共通の希望ではあり、その上での「大賀さんの決定に従う」それもまた、反論は存在しない、と言っても良い、否定はあっても。それでもその先に有るのは人間が作った構造、とは言える。最後は神にしか解らない部分だ。

「0.02%以下の反論は無視する」それでも、人口80億人ならそこには、160万人も居るのだった。

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