OSを一本化すべきだ。
いやいや、規約を一本化すべきだ。
「アプリを造る」事を考えた時、創ったアプリが隣のOSでは動かない?それは多少の問題は感じる。HTMLの様に、どのOSでも動く様にすべきでは?と言う「正論」に対して、今までの方向性としては、「開発環境が変わる」のはあまり希望しないし、HTMLの様な方向性では「プレーヤー」毎の差異、その問題が有り、また速度的にも無駄が出る、確実な性能も期待し難い。だったらOSの方を一本化するべきでは、そう言うのも「正論」としては有る。
…目指すべきは、どっちだろう?
物語として、
前者は「バベルの塔を建設せねば人類は救えない」と言う事態を前に、人々を統一し、その塔を完成させる王の物語、と言うイメージを出した。
対して後者は、少数の武装集団が自前で創った強力な兵器を用いて世界を統一する、様なイメージを出した。
良くも悪くも物語だ、どっちも…「正義」はある、面白くは創れる。物語の作り方として、こういう感じでのイメージソースは持ってくるべきではない、にしろ。需要に対して供給するのが商売の基本ではあり、切迫する事態に対しては自然と合致が。結果、両方とも多数の賛同と、強力な相応の批判を抱え、利益性としては「成功」には成ったとしても、物語が完結した、その後、或いは人々に奇妙な衝突が加速し、それはやがて「戦争」へと発展した。
紛争解決機構がある時、”それ”は、結構頻繁に起こる、が。
前者にしたら、後者が勝つのは悪夢だろう、後者にしろ同じ話だ。その他のOSに未来はないと言うのか?ハードの性能を引き出さんその追及は無意味だと言うのか。物語が断言レベルで面白い時、尚更不満は残る。”その時”、これはどっちが選択されてもおかしくなく、確実に”誰か”の願いはその時、潰える。紛争解決機構としてはこの時、残る「不満」に対してケアするのも大事な話、納得させ沈静化させる、そこも「仕事」として重要には成るのだが。
…要するにこれは、「確実な未来が無い」と言う事態の到来を意味はする訳だ。
「紛争解決機構を創らねばならない!」それまでの、一つの断言は有る。それは反論の余地をほぼ持たなくて良かった、「戦争の無い世界」それは人類全体の悲願でさえある、が。その先に有るのは、しかし、そう言う不安だ。戦争は良くない、物理衝突は悲劇しか生まない。かと言って独裁者が決めてしまっては社会の発展は無い、戦争は避けられないだから、仮想現実で決着にすれば、それらの問題は回避出来る。ここしかない。
そう言う果てにしかし不意に、「独裁者が居ない」未来を確実に示す奴が消えた?事態に不意に、不安がある訳だ。
物語を描く存在にとって責任はある、しかし。「これで良い」と決めるのは誰か。その衝突の先に有るモノを決めるのは作者では無い。勝利の女神と言う奴は、気まぐれにその時必要なモノを選んでいく、それに人間は逆らう事が出来ないのだが。
「神様」それは、それほど良い存在だろうか?
要するに、信仰の問題では、ある。