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あげちうのブロマガ

テレビと言う夢の悪夢

具体的に何をどうしろと言う訳じゃないのだが。

それでもやっぱり、エヴァンゲリオン世代、それには憤怒と言うか、憤りは思う。

今も相変わらず、だ。「夢は必ず叶う!」みたいな話を、ごり押しで通そうとしている、感じが重い。その結果で、弱い立場の状況が更に悪化してもお構いなし、だ。表現としては過失を重ねる末に視野がどんどん狭くなっていく、感じだろうが。ともかく問題は、”それ”を被害者側は押し返せない?感覚がある。

冷静に成る方が負ける、と言うか。

理由と言うか、それを探っても今は意味が無い。「資本論」そのバグを治す、という視点での改善が、結局”その”状態を加速させてる気分にさえなる。治し方、としては適当かもしれない、”雅”市場の「市場管理者」を、「資本論の作者」その権利を持つ存在にする事で、その存在は「大賀さん」の補正を受ける事に成り…結果で「王の権威」それと遜色ない「選択」が可能になる。「資本論」の暴走かバグが打開出来れば?”世界”全体の問題も、或いは。

…しかし、だから、か。不意に幾つか創案か要求されるネタが、結局は”彼ら”の意向を優先したモノになっている、訳で。

市場管理者の変更も、少し感覚にはストレスではある。”それ”により構造の問題が補正されうるとしても、”今まで通り”が通る時、今まで虐げられてきた人々は、やっぱり”排斥される側”ではある。物語としても、主張するのは荒唐無稽な世迷言に等しい。探査衛星「ハヤブサ」が帰ってきたのは奇跡だが、”それ”をもう一度やろう、そんな事を言って止まらない馬鹿さを、そこに見たりはする。

そんな愚かさに、自身らは今も、何かの抑圧か、否定それを受けているのだ。


「万引き如き犯罪じゃねーよ」エヴァンゲリオン世代に共通する彼らの”正義”ではある。苦笑し得るうちは良いが、”それ”も繰り返されると累積する。「軽犯罪の重過失」100円の万引きも100回やったら55万円盗難した事になる、と言う感覚で、彼らは主立って”そう言う”過失を背負っている、と言うべきだろうか。何にせよ、彼らの欲求はどうも、自身には迷惑な何かでしかない。

「漫画だなぁ、バカバカしい」

不意に、自分で企画したネタに、そんな侮蔑を向けてはしまう。夢を見るのは構わないがそれにどれだけの人間が迷惑を被ったか考えた事は有るのか?と、何だか誰に向けているのか解らない不満を想ったりする。彼らは彼らなりに「役立たず」そう言うレッテルを払いのけたいのかもしれないが、その繰り返すそれは、何かの過失を、より深めていないか。

或いは、「テレビ」と言うそれが背負った罪かもしれない。

「テレビに戻ろう」とか、言った後にこういう「テレビはもう廃棄しよう」そう言う、そんな狭間で、何だか。


使用イメージ
https://publicdomainq.net/maria-fortuny-0029550/
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im8658259

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