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あげちうのブロマガ

それは理想を抱えていた

理想と現実はどうしても対立は、する。

ともかく前者を目指す時、現実は多く、何かのストレスに耐えねばならない。

一応、「資本論のバグ」それは解消し得た、感じもする。これに関しては自分が納得出来ればそれで良い、状況はそう言う感じにはなっていたようだ。

”雅”市場の市場管理者は、元来は不要だ、「大賀さん」に任せれば良いしかし。必要というなら作者である自分が収まっていれば良かったが、逆に言えば「誰でも良い」のだ、「大賀さん」に逆らわないなら命の危険も無い。その時?”そこ”は矯正される箱には成り得る。そこに、資本論の作者”その椅子”に座るには不適当な後継者がいるなら入れてしまえば、それは矯正され、資本論の挙動もまた、矯正されたそれに成るのでは?結果で継承者が死んでしまったとしたら、その時は、「資本論」が”雅”市場その一部と化すだけだ。

ともかく様々な感情論その他を含み、納得はし得た。しかも、多分これで、自分が最下層で「牢陽帝」とか言う必要も無くなった、気はする。後は、自分自身の創った世界かで、何とか生活を維持するべく働けば良いだけだ。状況は大分スッキリし、問題は無くなった、のだ、それが現実なら。

・・・とは言え、「一文字十円で」と言うそれが、実際には具現化してない?感じなのも、やっぱり現実の事象としては有る訳だが。


概念的には、「世界の人々に給与を支払っているのは、”雅”市場の作者である私です」とか言うのだけど、しかし。現実的には自分は、”それ”に対する褒賞、そう言うのは…得ていない。期待?の様なモノは、目の前に湧き出る様にお金が”発生”する、様だが。”それ”はちょっと現実的じゃ無く、現状では、誰であっても妨害し得るし、なら生活費を遮断する事は出来てしまう。基本的に打開せねばならない現実がある、農家は、畑を荒らされたら収入を絶たれるし、それは安直に容易い。これにより農家は今まで、必需で有りつつも武力、そう言うのに非常に弱い立場に置かれ続けた訳だが。”それ”に対して自衛をする、為にも、単独での利益性、その発生それは重要な話じゃ無かろうか。部屋で一人作業しているだけでもお金を得られるなら、生命財産を護る、それは可能に成る訳だ。

状況は、”発言する権利”は護られている、生活は何とか維持されている、もちろん満足し得る状態では無いにしろ、だ。しかし?期待する利益には程遠く、むしろ悪化している認識でさえあり、今が何時まで続くのか、それもまた、不確定な混沌の先にはある。報道で、追い詰められた人々の暴発的な犯行で数十人が死んだ、とか言うのを聞く度に、社会のセーフティネットの不備だ、とは思うのだが。その辺今も、打開された?様にも見えない、そんな環境の中に居るのは間違いなくて。

そんな窮乏する?感覚の先では、エヴァンゲリオン世代がまた、何かの理想その追求に、”今まで通り”の、何かの抑圧を始めようとしてる?と言う、そんな現状もあって。

屁理屈は色々と言う、最上位を最下層に置く必要がある、”それ”にそこに有る問題を打開出来なければ、システムは完璧とは言えない。「資本論のバグ」を補正した?として、それは現状を改良するのか…まだ何か、問題は有りそうな気もする。

景気の良い話と、何故こういう話はセットなのか。


使用イメージ
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im10842634
https://publicdomainq.net/ゲーザ・ヴァシュタグ-「横になる虎」-0060874/

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