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あげちうのブロマガ

簡単と言う境目の問題

ともかく、「艦隊これくしょん」は、今も人気、である。

他の同系のソシャゲ―に対して8年と言う長期に渡って第一線、と言う”それ”は、コンテンツとしては覇権でさえ有って。ニコニコ動画では「殿堂入り」のイラスト、その殆どが艦これで占められている、訳だが。「売れるコンテンツ」が欲しいのは間違いないしかし、今の状況では、こういう感じに、一強界弱へ、どうも成っていく感覚は少し重い。

こういう感じにやりなさいよ。

「表側」の状況、そこに彼らが居る理由、その辺から考えて、それが出来たらもちろんやっては居るのだ。皮肉的に言えば、アニメと言う産業も、「絵を描く」技術者に職を与える為の、そう言う方法論の結末だったのかもしれない。だから?「手で描く」事にこの産業は拘る訳だ、そう考えれば、それは道理として通る。

ともかくそこに居るのは、「絵を描く」事以外は、そんなに優位が無い人々、ではあって。ゴッホもまた、ある種の社会不適格者ではある、”そう言う人々”が、この産業には集う訳だけども。

民主主義の功罪、だろうか。この業界の多数決を取れば?結局は一強界弱、「誰が一番強い?」に意識は集い、戦国乱世に成った末に、天下統一をした一人が総取り、という、そんなイメージには成っていく訳だが。「ガンダム」は、そう言う感覚に”待った”を掛けはする、それをしてたら業界その物が潰れてしまう。しかし、結局そこに有るのは統制ではあって、”それ”を嫌う時、それは剣呑の塊に過ぎない、それはまあ、重い。

その過程でも更に、過失は積み重なっていく事には成る訳だが。

「理想」は、「商店街が総じて流行ってる光景」だ。その為には、合計で一万ある領域に千人が集うなら?一人は基本、10しか許容範囲が無い。その10の中で何とかしろ、11を創り出せ、他から奪うな、と言う要求をされる訳だが。「強さ」を見る時、どこを見ても10、という団栗の背比べは面白いか?は、それはまあ、議論の余地は有る話。

「理想」を、強引に、旧来を全部廃棄して、前に出す事は出来るしかし。
勿論その時、相応の衝突と相応の悲痛は有るだろう、遺恨は後々の暗黒を呼びはする筈だが。

表側が問題ない利益性を得られれば、侵略に対してもある程度は余裕が持てる訳だが。

”それ”をしかし、「艦隊これくしょん」がヒットした、後で有っても導入できてない現実、それはそれとして重くある。

何かの分岐点は、微妙に差し迫っている、様な感じもする。

どっちに行くべきか。


使用イメージ
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im8675514
https://publicdomainq.net/takahashi-shotei-0048588/

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