なんか難しい話。
「押し込み強盗は出来ません」
相手に、同意が貰えない。
要するに問題になるのが、「嫌がらせをする、しょぼいヤクザ一人を殴り倒したら、そいつが組その物を連れて報復に来た」への反論が、無い事ではある。有り得ない、とは言い難い。その時?「押し込み強盗を止める術が無い」訳だ。警察が事後でしか介入できないとしたら、その時もう、何もかも終わっている。
「正義」はこの時、勝てない。
もちろん?”これ”がこのままで有る時、経済の発展ももちろんない、訳だが。前出の年商一千億円の企業が、何故経営が傾いてるか?と言うと、その「押し込み強盗容認論」に限界が出てるから、だ。”それ”じゃ「最終的には利益に成らない」訳で。
帰結で、全ての商品?は、「良い社会」を形成せんとするベクトルに有効で有る時、そこに利益が出る。もちろん「押し込み強盗容認」それが良い社会の筈が無いので、そこには最終的に利益は無い、のだけど。それは結局、隣の会社に押し込み潰し、それを奪って糧にする。
”それ”を止めるパワーは、相変わらず、無い。
原理的な話をすれば、それは「強奪連鎖」その帰結、だ。頂点が「ちょっと無理をする」時、末端は潰れている。それを避ける為にはマクロ的な抑止が必要で、つまり平等なルール、そう言うのは、必須だ。それが無い自由市場は、結局は潰しあいに陥り、衰退してしまう。
押し込み強盗容認は、その際の勝率の高い感覚でしかない。
「お金を払って下さい」それを今、何だか要求している自分は居る。
その「お金」それに相当するのが、或いは「押し込み強盗容認」その否定、だ。
それは良くない。
その前に、現実の問題が存在する。ヤクザが大挙して襲ってきた時、その家族は一族郎党皆殺し、だ。その結果としてそのヤクザ一家が国家から罰せられるにせよ、殺された家族はもう、帰ってこない。
この時、正義は何処に有るのか。
大きな会社の侵攻を、小さな会社が止める、と言う事が出来るか否かは、一つの面として重要ではあり、「大賀さん」上では勝った、が。現実にはまだ、その事例が或いは、無い。
「正義は勝つ」のか、どうか。
それは相変わらず単純で、そして無理っぽい。