3代目・豊山、2022年11月場所で引退
(下の写真3枚) 2017年8月24日に投稿 豊栄駅南口に北区出身の相撲、三代目・豊山の等身大パネルが設置されていました。このパネルは豊栄市商工会青年部が設置。来年(2018年)3月末まで設置予定。豊山は時津風部屋・23歳、身長185㎝。
お盆の帰省客夫婦がパネルの隣に並んで立ち、記念撮影していました。
(下)2018年1月投稿。豊栄駅南口に立つ豊山のパネル。パネルの下は雪が積もっています。
2018年1月 大相撲初場所で、幕内で初めて9勝で勝ち越した、新潟市北区出身の豊山関(24歳)時津風部屋。
←2018年5月に撮影
「下。2018年7月25日に投稿」 2018年7月の大相撲名古屋場所で新潟市北区出身で西前頭9枚目の豊山(24歳。本名 小柳亮太、時津風部屋)が12勝を挙げ、敢闘賞を受賞。 豊山の三賞受賞は初。 本県出身力士では、2002年名古屋場所で霜鳥・妙高市出身(のちの霜鳳)が敢闘賞に選ばれて以来16年ぶり。豊山は16年春場所で初土俵。17年の夏場所で新入幕を果たした。 敢闘賞、おめでとうございます。
「下。 2018年9月3日に投稿」 2018年8月28日の新聞記事から
大相撲秋場所(9月9日初日)の新番付が発表された。先場所、初の三賞を受けた豊山は、西前頭9枚目から自己最高位の東前頭2枚目に躍進した。
「2020年7月14日投稿」 豊山は2020年7月場所を自己最高位の西前頭筆頭で迎える。 去年夏には真梨絵さんと結婚。
「2023年5月24日投稿」 引退・令和4年(2022年)11月場所。 豊山亮太「本名は、小柳亮太」 平成5年(1993年)9月22日生
身長185.0㎝、体重181.0㎏、初土俵は平成28(2016年)年3月、最高位は前頭筆頭、敢闘賞1回、90取組し36勝。
今までの相撲人生に、拍手いたします。
2023年6月7日追記 新潟日報の記事から紹介
2022年11月28日付 「豊山10敗・これが現実」 西十両4枚目の豊山は5勝10敗で九州場所を終えた。「全部出し切るつもりで思い切りやった結果。納得はしていないが、これが現実」と受け止めた。
2022年11月29日付 「豊山 現役引退。幕内在位26場所」 本名・小柳亮太(29才)さんは、親方にならず協会を去る。29日にオンライン(コロナウイルス感染予防の為)で記者会見を行う。大器として期待されたが、最近は両肘の故障に苦しみ、九州場所は8場所ぶりに10両に転落し、5勝10敗と負け越した。突き、押し相撲を得意とし、通算成績は277勝281敗10休。三段目、幕下でそれぞれ優勝1回、2018年名古屋場所では敢闘賞を獲得。最高位は西前頭筆頭。 新潟市北区の光晴中学校から石川県の金沢学院東高(現金沢学院高校)、東京農大を経て16年春場所に三段目100枚目格付け出しで初土俵。同年九州場所で新十両になり、所要7場所で17年夏場所に新入幕を果たした。 幕内昇進を機に、ともに新発田市出身で元大関の内田勝男さん「日本相撲協会元理事長」、元小結の故・長浜広光さんが名乗った由緒ある「豊山」のしこ名を受け継いだ。豊山の引退で、新潟県出身の関取(10両以上)は不在となった。
豊山は東京農大では、世界相撲選手権重量級で優勝するなど、個人タイトル5冠を達成。16年に時津軽部屋に入門。2019年には結婚を発表。同年秋場所の番付で3場所ぶりに幕内復帰を果たし「二重の喜び」を味わった。その半面、両肘の故障に苦しむように。 豊栄下町商店街振興会長は「地元を盛り上げてくれた」と感謝。新潟市長は「郷土が誇る力士として、夢と力を与えてくれた」とコメントを出した。
2022年11月30日付 29日、オンラインで記者会見し「腕が限界を超えた。痛みで思うように体が動かせず、理想とする相撲がとれなかった」と引退理由を明かした。 思い出の一番は、優勝争いに絡んだ2018年の名古屋場所千秋楽での御嶽海との取組。すでに優勝を決めていた御嶽海を下し、「もっと強くなれる実感が湧いた」と振り返った。 「豊山」のしこ名への思いもあふれた。「名前を頂いたとき、絶対に逃げないぞという気持ちを持った。その信念を曲げずに相手に向かっていけた」と、受け継いだことへの感謝を口にした。 今後はパーソナルトレーナーを目指す意向。 豊山の師匠、時津風親方(元幕内土佐豊)の話・・大きな期待を背負って入門しただけに残念だが、明るい性格で若い衆の面倒をよく見てくれた。