2016年4月20日撮影
平成5年(1993) 「財界にいがた 12月号」に新潟ロシア村に関する二つの記事が載っています。 その第2部の話です。 新潟ロシア村が何故、笹神村にできたのか・・・・ その答えが書かれています(よく調べられたと感心します)。
この記事を詳しく書くと、記事の丸写しになってしまい、まずいので「単語」のみを書きます。 ケイマンゴルフ、新潟中央銀行の副頭取(当時)、金融業のYさん、新潟農林開発、ケイマンゴルフの将来性、任意団体の日本ケイマン協会を設立、借金、S・H・Nさん、新潟ファクタリン、土取り場、赤字解消、会員権募集、融資、ソ連投資環境整備、協力、ロシアホテル。
51ページに載っている写真は、その後の新潟ロシア村に関する頭取と村長の未来を考える貴重(?)な写真です。
理由はともあれ、夢を見た人・夢を語った人・夢を実現した人・算盤をはじいた人・幸せを手にした人・一生の伴侶を得た人・地域おこしを語った人・ソ連から笹神村に来て仕事をした人・そして夢破れた人。 いろいな人生模様が繰り広げられました。
何度か遊びに行った私は、ソ連に行かずに玉ねぎ屋根の教会を見て楽しんだこと・五木寛之の小説に出てくるイコンの実物が見れたこと・ソ連の若い美しい女性たちの踊りを楽しんだこと・・・・良いことと残念なこともありました。 管理人