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阿賀野市ブログ応援隊

個人・サークル・行事・歴史・頑張っている人などの阿賀野市の情報と、人生の楽しみ(?)をお伝えします。

瞽女(ごぜ) 小林ハルの写真?

2025年03月29日 | 歴史

 瞽女(ごぜ) 阿賀野市歴史民俗資料館で撮影(撮影地は出湯温泉?)

「ウイキペディアから」 瞽女は目明きの手引き連れられて、三味線を携えて村々を唄をもって渡り歩いた日本の女性の盲人芸能者を意味する歴史的名称。 20世紀には新潟県を中心に北陸地方などを転々としながら三味線を弾き唄い、門付巡業を生業とした旅芸人。

 越後(新潟県)には長岡瞽女と髙田瞽女の2派が大きく その組織を形成していた。小林ハルは最後まで活躍した長岡瞽女。阿賀野市の出湯温泉にも住んでいた。 1900年1月24日~2005年4月25日(105歳没)。 昭和35年(1960年)出湯温泉に移住 → 新発田市 → 胎内市で亡。

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1970年 大阪万博・太陽の塔

2025年03月28日 | 歴史

昭和45年(1970年)3月13日~9月13日 大阪の千里丘陵で開催。 アジア初かつ日本で最初の国際博覧会。終戦25周年記念。77ヶ国が参加。

(上)1枚目の写真は太陽の塔。この塔、「芸術」か わかりませんが、現在も人気だと言うのは芸術(?)なのでしょう。

当時、若かったので気にしませんでしたが、終戦25年目での国際博覧会。すごいスピードで終戦から復興したのだと気づきました。

「月の石」を見たかったのですが、すごい行列だったので、行列人数の少ない「美術館」を見た記憶があります。

来月 4月13日~10月13日まで大阪で開催される万博は「EXPO 2025 大阪・関西万博」と呼ぶようです。

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「聖籠町・大野耻堂」と「清酒・代々泉」の新聞広告 1975

2025年03月26日 | 歴史

家を片づけていたら古新聞紙が。 昭和50年(1975年)12月6日の新聞です。

「大野耻堂」は、聖籠町の生まれ。文化4年(1807年)~明治17年(1884年)亡

← 大野耻堂の書

 この時代(?)会社の住所と社名の表示がありません。正しくは旧水原町分田 塚野酒造(株)。 「代々泉 よよいずみ」だけで、どこの会社の酒か庶民は分かったのですね。 現在は残念ながら社長など経営陣が交代しています。

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新潟県・大区地図   明治5年(1872年)

2025年03月24日 | 歴史

 新潟県の大区地図 明治5年(1872年)

新潟市中央区にある新潟県立文書館で撮影。左右赤線部分の上が(旧新潟県)。下が(旧柏崎県)。

緑色線の「水原」は、現在の阿賀野市と阿賀町部分?

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「清酒・朝日山」 1975年の新聞広告

2025年03月13日 | 歴史

昭和50年(1975年)12月6日の「清酒・朝日山」の新聞広告。 朝日酒造(株)は、長岡市朝日で天保元年(1830年)に創業。

※上記の新聞には「ボクシング世界ライト級」ガッツ石松が5度目の世界タイトル防衛に成功したと記事に載っています。この時は「たった一人の日本人チャンピオン」。対戦相手はアルバロ・ロハス(コスタリカ。世界ライト級8位)。14回右アッパーがカウンターとなってKO勝ち。こんな時代の新聞広告です。

現在は朝日山「純米酒・特別本醸造・特別本醸造(生酒)・普通酒」の各種類があります。この広告の当時は、一級酒、二級酒と呼んでいたと、記憶しています。

  ← 現在の「朝日山」 (特別本醸造 千寿盃) 美味でした

現在は(下)の日本酒「久保田」も人気です。

 写真は「久保田」の萬壽 純米大吟醸。

 

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1898年(明治31年) 全国多額納税者互選名鑑(上位20人)

2025年01月13日 | 歴史

某所で撮影した表「明治31年(1898年)の全国多額納税者互選名鑑(上位20名)」 ※某所としたのは、少し間違いがあるから

互選」とあるのは、正確な多額納税者名鑑でないから・・と考えます。 金額の単位は「円」 もっと他に多額納税者がいたと思います。

1位の市島徳次郎は新発田市天王に住んでいた大地主。この前年の明治30年9月に貴族院議員を退任しました。

2位の白勢長衛は新発田市(旧加治川村)に住んでいた大地主。

5位の佐藤伊左衛門は、阿賀野市(旧水原町)に住んでいた大地主。1位の市島徳次郎と親類です。

7位の住友吉左衛門は住友財閥の創業家。住友家が3代目から代々、襲名した名前。この表の吉左衛門は、15代目「住友友純。大正15年、1926年没」 1895年に住友銀行を創設。 1900年(明治33年)貴族院議員になる。 1911年(明治44年)8月、男爵を授けられる「この表の1898年は男爵でありませんでした」

10位の二宮孝順は聖籠町の地主。 18位の五十嵐甚蔵は、阿賀野市(旧笹神村)金屋の地主。現在の五十嵐邸の家です。

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祝 神山駅 誕生

2024年12月31日 | 歴史

昭和19年(1944年)9月、輸送力増強(戦時中)のために神山信号場が設置された。「駅」でなく正確には「信号場」

(上)駅の看板に「てんのうしんでん」とあるが、現在は改称して「月岡駅」。「てんのうしんでん」とは、豊浦村大字天王から名付けた。

        天王新田駅が月岡駅に改称したのは、昭和25年(1950年)9月1日である。

(下)信号場開設の記念写真。 写真の左上角の赤矢印部分が、(上)の拡大写真。

(下) (上)の写真の拡大写真。皆さんの服と髪型は、時代を感じます。

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新潟市中央区 「万代シティ 誕生 1973年」

2024年12月23日 | 歴史

2024年1月 新潟市中央区の万代シティに設置されていた看板から。「万代シティ 誕生 1973」。昭和48年開業。

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阿賀野市(旧安田町) 山手小学校

2024年12月07日 | 歴史

(上)阿賀野市(旧安田町)山手小学校  (下)現在。廃校になり、阿賀野市歴史民俗資料館として使用されている。

(下)山手小学校の校歌 作詞と書「波多野傳八郎」 作曲「山田正與」 阿賀野市歴史民俗資料館に保管されています。

作詞・書の波多野傳八郎は、(下)のような人です。

(下)阿賀野市歴史民俗資料館の1階、玄関脇にある石仏。旧笹神村出湯地区の石仏群。

(下)旧山手小学校 庭の銀杏

 

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昔の看板

2024年12月01日 | 歴史

看板「ご贈答には 明治の菓子」  (明治)って、明治製菓のこと?

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昭和13年の伊勢神宮外宮と内宮の宇治橋

2024年11月28日 | 歴史

(上)伊勢神宮 外宮。 私の先祖が昭和13年(1938年)6月、伊勢神宮近くの旅館で一泊。ここで購入した絵葉書の一部。

 ← 内宮の宇治橋

 

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聖籠町、大地主「二宮考順」の額

2024年11月26日 | 歴史

新潟県北蒲原郡聖籠町(当時は聖籠村) 二宮孝順(にのみや こうじゅん) 明治19年(1886年)4月生。 新潟県士族、新潟県多額納税者、農業、大地主。 先代・孝順の長男。 2歳下の妹・ヨシは、新潟県多額納税者で大地主・白勢友彌の妻。

この書は、二宮孝順が昭和21年(1946年)3月に書いた書。 書いてもらったのは(所有者)当時、聖籠村の聖籠国民学校長・聖籠青年学校長だった片桐義一(笹神村)が敗戦を理由に教師を辞めた時に、二宮孝順氏が書いて寄贈したもの。片桐義一は昭和17年(1942年)~昭和21年(1946年)3月まで前記の学校長として勤務。聖籠国民学校は蓮野尋常小学校と聖籠尋常小学校が統合しできた小学校。32学級、職員35名。外に青年学校職員3名。二宮孝順の3歳下の片桐義一は孝順と気が合い、何度か二宮家に遊びに行っていた。その縁で退職する時に書を書いてもらった。

 額の大きさ 117×46㎝。 書の大きさ 89×30㎝。

(下)明治31年(1898年)全国多額納税者互選名鑑から  ※表の一番下、赤線部分が「二宮孝順」。 一番上の青線部分は新発田市天王の市島家。黄色線部分の「白勢長衛」は、二宮孝順の妹が嫁に行った家の戸主。緑色線部分の佐藤伊左衛門は、阿賀野市(旧水原町)で、1位の市島家・市島徳次郎の妻の実家。

近年、二宮家はバラ園の家として有名。5月には毎年、一般公開している。

 ← 二宮家のバラ(写真は、屋敷の一部) 綺麗な庭です。

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衆議院小選挙区の選挙 2024.10.27

2024年11月14日 | 歴史

令和6年(2024年)10月27日 新潟県3区の「衆議院小選挙区の選挙」が行われました。

結果 当選・黒岩宇洋 58歳 立憲 105,275票。 比例復活当選 斎藤洋明 47歳 自民 94,984票。

歴史の記録として投稿しました。

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「昭和13年の伊勢神宮内宮」 絵葉書

2024年11月13日 | 歴史

家にあった昭和13年(1938年)の、伊勢神宮内宮の絵葉書写真。 現在、この角度での撮影は不可能?

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阿賀野市 市議会議員選挙 2024.10.27

2024年11月11日 | 歴史

2024年10月27日、阿賀野市の市議会議員選挙がありました。定員16名で、立候補が18名。投票率は63.71%。前回を上回りました。

当選16名の平均年齢は66.0歳。改選前より0.5歳若返った。年代別では70代が8人。60代が5人。50代は2人。40代は1人。

地区別では水原7人。保田4人。笹神3人。京ヶ瀬2人。新人は6人が立候補したが、当選は4人。落選は庭山健吾さんと南場俊英さん。

女性は1人で遠藤智子さん(77歳)  歴史の記録として投稿しました。

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