「町だより すいばら」 1996年6月号の記事から
明治2年7月に越後府を水原県と改め、壬生基修(みぶ もとおさ)県知事が赴任。
明治3年3月、明治新政府は鎖国政策を改め、長崎・神戸・横浜・新潟・函館の五港を開港し、海外貿易をすすめた為、外国船の応接、外国領事館の設置など水原では不便なので、県庁を水原から新潟の奉行所だった所(現在の新潟市中央区 NEXT21あたりの場所)に移し、新潟県と改めた。
越後府・水原県の建物は、新潟に県庁が移っても民政局(水原局)という出張所のようなものがあり、しばらく残っていた。
しかし、明治6年には全部取り壊してしまった。 おそらく政府はお金がないので、売却したようである。
売却した後、天朝山の土地は そのまま市島家に戻った。
次回に続きます。