医師日記

「美」にまつわる独り言です
水沼雅斉(みずぬま まさなり)

美しき穂の国-15

2006年10月18日 11時06分12秒 | Weblog
③ オトタチバナヒメとあづま

 この話は最もロマンティックで美しい・・・。

 焼津での危機をはじめ、いくつかの戦いに勝利して諸国を平定したヤマトタケルは続いて、神奈川県の三浦半島から対岸の千葉県は房総半島へ、海を渡ることになりました。

 ところが事を甘く見たヤマトタケルに対して海神が怒り、海を荒げるのです。

 東征はヤマトタケルにとっては天皇からの絶対の使命、父の愛情を願う彼にとってはなんとしてでも成し遂げねばならず、途中で頓挫することは許されません。

 思案するヤマトタケルをそばで気遣う一人の女性・・・

 焼津で出会い、焼け狂う火の手の中で運命をともにし、火中ヤマトタケルが想いをめぐらせた「オトタチバナヒメ」です。

 ヒメは愛するヤマトタケルのために決心し、自分が身代わりとなり、自らの命を海神に捧げ、海に身を投げることによって海神の怒りを鎮めたのです。

 愛するオトタチバナヒメの命と交換に、ヤマトタケルの船は水上を走るように渡る事ができたのです。

 ですから横須賀の先、「走水」(はしりみず)にある走水神社にはヤマトタケルノミコトとオトタチバナヒメノミコトが祀られております。

 一説には流れが速い海なので走水だというこですが・・・。

 房総の上総(かずさ)では勝利した戦いの後、ヤマトタケルはオトタチバナヒメを思い出して、にわかには立ち去ることができなかったために「君去らず」→木更津となったそうな・・・。

 その場所が木更津の太田山公園といわれており、きみさらずタワーがあるとのことです。

 「きみさらづ」という単語を初めて聞いたとき、君津と木更津をむりくりくっつけたのだと思ったら、そんな美しいいわれがあったとは・・・。

 千葉県の君津の南に富津(ふっつ)岬がありますが、その富津という名は当初僕は戦いの神「フツ神」に由来しているのかな、と思っておりましたが、実はオトタチバナヒメの袖が富津岬に流れ着き、「布流津(ふるつ)」から来ているとのことでした。

 袖ヶ浦もそういうことなのでしょう・・・。

 その後の戦いでも勝利を収めたヤマトタケルは神奈川県の足柄付近で東を見て、亡き愛妻タチバナヒメを偲(しの)び悲しんで、「吾妻(あづま)はや」(ああ我が妻よ・・)と嘆きました。

 それ以来「東」を「あづま(我が妻)」と呼ぶようになったそうです・・・。

 弟橘姫の衣を納めたのが木更津の吾妻神社、櫛(くし)を納めたのが富津の吾妻神社だということなので、横須賀の走水神社とともに、いずれ訪ねてみようと思っております。

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